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寅次という男−1

 何をするでもなく、鹿島はブラブラ庭を歩いた。

 風を受けてそよぐ楓の音を聞いているだけで癒される。それなのに長年樹木に携わる仕事をしていると、癖のように木の葉から枝先、隅々まで隈無く見てしまうのだ。

 庭木の一本一本に、防腐剤が塗られた切り口が見えた。これは豊が最近施工したものではないのは、その古さから見てわかった。直行がこの庭をずっと昔から大切にしている、そういうものが滲み出ているなと、鹿島は心がじんわりきた。

 だがそう思うもつかの間、どこか異質な空気、ざっと言えば殺気のようなものを感じて鹿島は足を止めた。

 穏やかな木の葉の向こう側に、禍々しい光を放つハゲ頭が見えた。

 寅次が向こうに居る。包帯がとれて、大きな絆創膏をそのハゲ頭にひっつけていた。

 その目は忌々しく庭を見据えている。まるでこの世に存在してはいけないものを見る憎悪に満ちた視線が揺るぎなくそこにあった。

 尋常じゃないなと、鹿島は微かに身震いを覚えた。

「ふん、お前か」

 やはり寅次は鹿島の存在を確認していた。こちらに目線を向けることなく鹿島に声を掛ける。

「はい、あまりにも楓が綺麗なもので」

 なるべく平然を装うようゆったりとした口調で鹿島は応えた。

「ふん、楓か」

 その言い草に今度は鹿島が眉を顰めて「おや」と声を挙げた。

「楓はご趣味ではありませんか」

 何気にそう言ってみる。寅次が日本庭園を侮辱しているのは百も承知だ。だからといって敢えて聞いてみたのは意地悪だからではない。

 鹿島は確認したかったのだ。人には好き嫌いはある。だがどうしてそこまでして日本庭園を毛嫌いするのか。その真意が分からなかった。

「ざわざわ揺らいでばかりで品がない」

 吐き棄てるように寅次は目を細めた。

「品ですか」

「お前は庭師だったと聞いたな。だったら英国の庭園を見たことがあるだろう、あれは素晴らしい。色とりどりの華やかな花々が緻密に計算されておる。そういうのを庭というものだ」

「英国のですか」

 少し考えて鹿島は寅次を仰ぎ見た。

「あなたは英国の庭がお好きなのですか」

「常に新鮮ではないか。このように古めかしく陰々とはしておらん」

 そよそよと風が(なび)く。この幽遠を、陰々としていると表現する事もあるのだなと鹿島は心の中で感心して頷いた。だが、その自己中心的な考えも如何なものかなと思案する。

「これが陰々としているとは、私はそうは思いませんがな」

 このままでは怒りをこうむると、脳が警告を発しているのを堪えて鹿島は言ってみた。案の定ギラリとした視線が蛇のように鹿島に纏わりつく。

(嗚呼、殴られるか)

 生つばを何度も飲み込みながら鹿島は、自分の無鉄砲な口を呪いたくなった。

「私は菊江さんを好いておる」

 額に血管を浮き立たせて怒る寅次に、鹿島は気圧される様に後づさった。

「いやいやいや、それは結構な話です」

 そして自分はそれを妨害しようという気は更々無いということを付け足して、鹿島はそのまま側にあった木製の椅子に腰を落とした。

 ここまで血の濃い人だと予想をしていたような、予想外だったような。どこか腹の底がふつふつするのを感じて、鹿島はどうしようもない溜め息を吐いた。

「あの方には時代遅れの風景は似合わない。もっと近代的で華やかな英国の庭が必要なのだ」

 熱弁するその眼には、もはや鹿島の姿など映っていない。

「このような旧い庭園はもう卒業だ、それも気づかぬとは愚かなものだ」

 全て切り払い、平地にし、花壇を造り、花を植える。壮大とした庭園作りを語りだす。

「寅次さんは旧き物を棄てるというのですか」

 鹿島は一呼吸置いてから、じろりと寅次を見た。 

「何だと」

 やや間があって、怒りを蓄えた眼光が鹿島を捉える。それでも今度は怯まず話を続けた。どうせ睨まれたのなら、それ以上でもそれ以下でもあるまい、言いたい事は言ってしまおう。そう腹を決めたのだ。

「直行殿があの庭をどれほど大切にしているかご存知でしょう。それなのに何故それを壊そうとするのです」

 たかが入居者の分際で、と鹿島は心の中で罵った。昔から傍若無人な人間を見れば腹が立つのだ。

だからついつい自分の無鉄砲な口が余計な事を言ってしまう。

「ほう、お前もあの男の息が掛かっているのか」

 憎悪にも似た声色。

「いいえ、私は単なる造園屋上がりです。どの庭にも否定も批判もしませんよ。ただ」

 鹿島は椅子を立ってゆっくり背を向けると、自分を見ているだろうかも分からない相手に向かって言葉を投げた。

「貴方も旧き時代を生きた人だ。例え当時に最先端を装って生きてきたとしても、今は旧き人だ。私が言いたいのは、旧き人も物も決して愚かではない」

 返事を待たずに鹿島は歩いた。

「おい待て」

 怒気を蒸した怒声が鹿島の背中にぶつかる。

 それでも鹿島は振り向く事なく背を向けたまま歩いた。正直、振り向くのが怖かった。

「私はただ、菊江さんを好いているだけだ! 彼女の喜ぶ顔を見たいだけだ! それを成し遂げようとして男として何が悪い!」

 怒りに混じった悲痛な声が、冷えた空間にただ響いた。

『なるべく関わらずに部屋に篭っていろ』

 山本議員の声が脳裏に聞こえた。

 ふっと鹿島は笑った。

「どうせ一年足らずだしな」

 とんでもないことに巻き込まれたのか、はたまた自分から顔を突っ込んだのか。そんな事はどうでもいい。要は大人しく部屋に引き篭ってはいられないようになったなと。




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