奇人達の戯れ−3
「あ、造園やってたんすか」
慌てて豊が井上を見た。相変わらず凛とした雰囲気を変えない井上がそこにいる。口元には穏やかに笑みを湛えていた。
「いいえ、自己流で三十数年程になります。一昨年まで現役を勤めさせて頂いていました」
優しい眼で庭を見つめていた。
「すごいです、自己流ですか。でも三十年やってたんすからプロっすよね」
あははと豊は苦笑いした。
「俺なんて鹿島さんに七年もお世話になったのに、まだつかめていないんです。あ、こんな話をしたら、未熟者なのに手を掛けさせてもらってるって失礼な話しっすよね」
「いいえ、私も自己流とはいえ三十年経った今でも掴めていません。貴方は鹿島殿が見込んだ方ですよ」
庭を見据えていた優しい瞳が豊を見た。この人はどうしてこんなに綺麗な目をしているのだろうと、豊は無意識にそう思うほど澄んでいた。
歳は鹿島よりは幾らか下に見える。禿げる兆しが見えない頭髪が若く見せているのだろうか。シワが他人より決して少ないというわけではないのに。
「庭とは生きるもの。生き物のコツを掴むのはそれ相当に大変なものですね」
そう付け足した井上は豊の後ろに視線を落とした。
「いやいやいや、失礼しております」
庭先に鹿島が立っていた。サンダルにトレーナー姿の、いましがた起きましたといわんばかりの風貌だ。両手にはポットと湯飲みの入った籠を下げている。
「おや、職員の方々は?」
その様子を見て井上は立ち上がると、そそくさと籠を受け取り縁側に鹿島を誘った。この動作の軽やかさといい俊敏さといい、歳を全く感じさせない。
「いやいや、私が持っていくと言って来たんですよ。目に入れても痛くない愛弟子の仕事ぶりの監視といきましょうか」
ボリボリと耳の後ろを掻きながら鹿島は縁側に腰を置いた。
「外が随分賑やかですね、こういう行事があるのは素晴らしい事です」
茶を煎れようして井上に茶筒を先に捕られ、何度か会釈しながら鹿島は、井上の炒れるお茶に目線を落とした。
それほど高価な茶葉ではない。それなのに井上の優雅な仕草で煎れられた茶は、急須から翡翠のように澄まされた湯が湯飲みに満ちた。
「イベントではありませんよ」
湯気を上げる湯飲みを二人に差し出して、井上は庭に目を穏やかに移した。
「あれは喧嘩です」
その言葉を聞いた豊は、あっけに取られながら静かに湯飲みを手に取った。そしてつい先の夢だったような現実を思い出す。
あの戦い方は演技でもなんでもない、尋常でもない。
「今晩は何人が病院に送られるでしょう。あまり無理をなさらければいいものを」
他人事のように井上は目を細める。
「見かけない人もいたんですけど」
豊が静かに言うと、井上はこくりと頷いてみせた。
「老人ホームの黒百合荘の本館は、本来は山の下にあります。病院の横にある施設が黒百合荘で、あちらはひらがなで【くろゆり荘】と書いてしっかりした有料老人ホームです」
ここに居る数人ばかりの職員は、全員あちら側の職員だという。もちろんどちらも直行の敷地内であるには代わりないが、ここはいわゆる、やはり尋常でない人たちの隠居場らしい。
「こちらは二号館という届出はしていますので、職員が常時何人か交代でやってきています。しかし誰も介護を必要とする人たちがここにはおりませんから。事実上ここは隠れ家ですね」
「ほうほう」と鹿島は顎を押さえながら相槌を打った。初めて訪れた時の職員もどこか朗らかでゆったりしていたのを思い出した。
「今回の合戦には、おそらく下の施設の元気な方が参戦なさったんでしょう。丈夫なお方もおられますからね」
「なんかすごい事っすね……」
事態を把握できないまま、豊はため息をついてみせた。
「……喧嘩というと、アレの件ですか」
珍妙な面立ちで鹿島は井上の横顔を見た。
「ええ、アレの件です」
そう答えると、鹿島も井上も前方を見詰める。
苔むす日本庭園が風を受けていた。