若き日の女優ー3
ふっくらとした雪餅のような肌に、たわわに揺れた黒髪。大きく澄んだ瞳は潤んで深く白黒の写真からでも芳しい芳香が漂ってきそうだった。
首元から始まったレースのドレスが驚くほど似合っている。背後前後に飾られた白い薔薇が彼女を一際引き立てていた。
確かに、写真の彼女の為にこの部屋が宛がわれたようだった。
鹿島は一度、壁側に置かれたテレビに目をやった。部屋にこんな大きなテレビがあるのに、山南はほとんどをホールのテレビの前に費やしている。
「ああ、そうだ」
思い出したように山南は表情を明るくして、鹿島の目線の先にあるテレビに顔を向けた。
「鹿島さんのお部屋にはテレビは置いてないんですのよね? 私は、ほら。ずっとホールに居たので見過ごしていないとは言えないけれど。大きなテレビは運んでいなかったように思えたの」
少し無邪気な微笑みで鹿島を振り返る。
「あら、私ったら。それで鹿島さんをお部屋に及びしたのにねぇ」
先ほどのやり取りをすっかり忘れたわ、と楽しそうに山南はケラケラ声をあげて笑った。
「そこのクローゼットのところに箱があるのでそれを持って行って頂戴」
見ればクローゼットの前に箱入りのテレビがあった。大きさはビジネスバック程度だ。
「ちょうどいい大きさだ」
思わず鹿島は少年のような顔でそれを手に取ってみた。
「ああ、ええ、いいサイズです、これくらいでいいんですよ、ベッドサイドに置くのが個人的ベストポジションなんです」
「まぁまぁ、鹿島さんたら少年みたい」
くすくすと笑って山南は顔を伏せた。
「山南さん」
鹿島は先ほどの写真立てを元の位置に戻すと、ゆったり山南を見詰めた。そんな鹿島を訝しげに見上げながら、山南は首を傾げた。
「貴女は酒場でもよく笑って下さいますが、普段ではあの様には笑わないのですね」
山南は驚いた様子をその目に表して大きく見開いたが、それだけで疲れてしまったように目を伏せた。そして静かに言う。
「いつもこのように笑っていますが。さてはあの時はメイクの賜物でしょうかねぇ」
「いいえ」と鹿島は目を細めた。
上品なレースのカーテンから零れる日差しが、色褪せて白髪が出てきた髪を黄金に輝かせている。年齢よりはうんと若く見える容貌ではある。それでも、あれほどの美貌を持っていた女性なら、この程度でも前を見れなくなるものかもしれない。
老いた事を否定できないのは事実だ。
「お孫さんに遠慮しなくていいと思うんですよ。綺麗になりたければいつでも呼べばいいんです。お孫さんもきっとそれを望んで、だから東京に居るのではないですかねえ」
彼女の皺の寄った唇が微かに上がった。
「ですがね」
続けて鹿島は言葉を並べると、じっと山南の瞳の奥を見た。
「化粧をした貴女は美しい。だけど、私の目の前にいる貴女も、それはそれは眩いです」
こんな話を誰かに聞かれまいかと、一瞬脳裏に豊の顔が浮かんだ。自分がこんな事を女性に話している姿を見でもしたら、彼なら口を押さえて笑い転げるだろうなと、そんな事を薄っすら考えたりしていた。
「だから、思うんです」
鹿島はゆっくり言葉を紡ぐ。
「寅次さんはきっと貴女の笑顔を見たいんでしょうな」
「寅次さんが?」
「ええ、この写真に写っている貴女は、薔薇に囲まれている」
一度置き直した写真を再度手に取り、鹿島はゆっくりその写真と窓の景色を見比べた。
「私はまだ寅次さんと親しくお話をする機会がなかったのですけど……この間ホールでお会いする機会がありまして。寅次さんに不思議な質問をされたんです」
豊が作業しているだろうその先をじっと見詰める。
「まぁ」
山南は不思議そうに首を傾げた。
「日本庭園は古めかしい。洋風庭園を作るべきだと」
鹿島の言葉を聞いた山南は少しだけ表情を引き締めた。
「菊江さんの部屋を知っているのは寅次さんだけですか?」
「ええ、そうね。何度か薔薇の花束を持って来てくださったの。その時に、ほら、今みたいにお茶を召し上がっていただいたわ」
「一見、この部屋の趣味は貴女の趣味だと思うでしょう。私もそう思いました」
なるほどね、と山南は微笑んだ。
「だから薔薇いっぱいの洋風庭園を造りたいと?」
山南が窓辺に寄り添うように腰掛けた。
「ご存知だったのですね、直行さんと寅次さんとのもめ事を」
豊かに水を湛えた噴水があって、レンガを敷き締め青々とした芝生が湛えている。そこに、色とりどりの薔薇がこの部屋の窓の外にあればどんなに素晴らしいだろう。
そして若きし頃の山南菊江は、まさにそれをバックにして立つべき人物だった。
寅次にはその残像がいつまでも脳裏に焼きついて離れていなかったのだ。
「寅次さんは貴女の事を愛しておられるようですね」
静かに鹿島は言った。
「……この歳になって、愛だの恋だの。ふふふ、おもしろいわね、ほんと」
山南は静かに目を伏せた。
その瞼には静かな哀しさが漂っていたように鹿島には感じ取れた。
「すいません、変な意見をペラペラと。どうもこの減らず口が」
一応のつもりで鹿島は頭を掻いて詫びた。幾ら話しやすい山南といえど、余計な事にまで首を突っ込む筋合いはない。昨夜の寅次の威圧を想い悩んでいただけに、判っていても気がついたら話してしまっていた。
「うふふふ、おもしろいわね鹿島さん。あなた探偵さんみたいね」
山南は困った様な表情を乗せて、それでも楽しそうに鹿島の顔を眩しそうに見た。