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若き日の女優ー2

 

 大女優の部屋というのはこういうものか。絵に描いたような部屋だった。

 白を基調とした洋風の家具は、金が掛かっているのは一目瞭然。

 小さなヨークシャテリアがチロチロと室内を徘徊している。

(犬が居たとは。散歩は誰がしているのだろう)などと考えている鹿島を横に、山南は犬においでと言うと、その小柄な犬には大きすぎるケージに入れ、ゆっくり鹿島を向き直った。

 黒百合荘は入居者が、自分の部屋を好きなようにリフォームができるが、一つ屋根の繋がりである一棟の外壁や窓は変えてはならない。その代わり、内装は好きにしてもいいという決まりごとだ。

 好き勝手リフォームするもよし、原型のままでもよしといった具合だが、山南の部屋は大改造の賜物だろう。少なくとも増築したばかりの鹿島のいる山本議員の部屋と、さほどかわらない真新しさが漂っていた。

 

 当主である直行の離れは最初からあったものだ。この膨大な一帯は直行の私有地であり、この施設も直行の所有物になる。

 なるほど寅次の脳天を割るだけの権力はあるということか、鹿島は納得した。

「お掛けくださいな」

 山南はそう言うと洒落た椅子を勧めた。窓の外には芝生が見えた。やや奥に茂った林がある。そこはおそらくホールから見え、あの直行が愛し、離れに隣接した日本庭園だろう。豊が作業するアルミ脚立の脚が生垣の隙間から見えた。

「あなたのお弟子さんは善い青年ね」

 遠くを見て山南は呟いた。昨夜の凛とした声は少し枯れている。いつもの山南ばあさんだ。ニットのカーデガンを軽く羽織り、やはり猫背気味に座る。

「着物を着ているとね、背筋が不思議と伸びるのよ」

 鹿島の心を読んだように山南は笑った。

「私は紅茶が好きなんです」

 テーブルの上にブランドの名のついたティーカップを置くと、手馴れた仕草で紅茶を淹れた。

 目を瞑っていていも、その柔らかい琥珀色の液体が揺れるようにカップに注がれ満る様子が目に浮かぶ。

 丁寧な仕草だった。

「でも直行殿がお煎れになる日本茶はとても好きですの」

 もうご馳走になりましたかと、山南は鹿島を見た。

「井上さんの煎れてくれたお茶は何度も頂きましたが、いやいや意外ですな。直行殿も茶を煎れるとは。私も一度は頂いてみたいものです」

 普段の直行は、いつも井上が煎れた茶を飲んでいる。その姿は見ている。だからこそ、彼自身が茶を煎れる姿など想像もできなかった。そんな一面もあるんだなと、鹿島は少し興味深く頷いた。

「しかし素晴らしいお部屋ですね。西洋がお好きなのですか」

 部屋の隅に掛けられた着物をチラリと見て、少し不釣合いだなと鹿島は思った。

「いいえ、好き嫌いはありませんの。私は日本人ですもの、日本の家屋が好きです」

 少し俯き加減で山南は笑って見せた。猫背が一層丸まって見えた。

「昔の映画の影響かしらねぇ、みんな挙って洋風をイメージなさるのよ」

 確かに。華やかで美しいレースを纏った、薔薇のよく似合う清楚な女性が鹿島の脳裏に今も残っている。豊かであり黒々とした髪は、緩やかなカーブを描いて。

「身内まで皆そういうイメージで見ているのよ、特に孫娘はねぇ」

「お孫さんがいらっしゃるんですね」

 大女優、山南菊江の孫娘とはどんな人物だったかなと、鹿島は記憶の引き出しを開けてみた。もともと芸能界はほとんど無知に等しいだけに、菊江に孫がいたことすら分からなかった鹿島は、諦めて頭をカリカリ掻いた。

「ええ、ハリウッドでメイクをしておりますの」

「ハリウッドといえば、あのラスベガスの?」

 驚いて鹿島は飲んでいた紅茶に咽た。その様子を見ていた山南がクスクスと笑う。

「女優になるだのモデルのなるだの、色々思案した挙句、メイクアーティストが一番性に合っていたのですね」

 穏やかに山南が笑った。彼女の孫娘が、世界トップスターをも手がける有名なメイクアーティストだということは、鹿島には分からない。ただ、ハリウッドで仕事をしているという言葉だけで、それはすごいもんだなぁとただただ感心した。

「じゃあ今はアメリカに?」

「いいえ、東京に事務所を構えておりますの、あの子ったら私が心配だとかって」

「お幾つになるんですか、お孫さんは」

 なにやら普通の孫の話では済まなそうだ。今年大学に入りますとか、来年結婚するんですとか、そういう世間一般のほのぼのとした話とは超越している。

「二十八になりますねぇ」

 ほうほうと、鹿島は頷いた。

「東京に事務所といいますと、なかなかなものです」

 慣れないティーカップを、その太い指で不器用に持ち上げ、鹿島はゆっくり口をつけた。思っていたほど苦いものでもない。むしろ優しい匂いが心地いいかもしれないと目を細めた。

 昔仕事でよく伺っていた家の庭先にあるラベンダーを思い出す。お茶とは記憶の引き出しをゆっくり穏やかに開けてくれるものだと、鹿島は感じた。

「本当はアメリカに行くと随分楽なんでしょうに、どうしても東京にって。何かあればメイクを施しにここに来てくれるのよ」

「メイクをしにですか?」

「ええ」

 ほのかに小さく笑って菊江は目を伏せた。

「私も、もうこんな歳でしょう?」

 ゆっくりと、しかし芯の通った声で山南は鈍く微笑んだ。

 そのあまりにも穏やか表情と艶めかしい視線に、鹿島の心がドキリと揺れた。心臓発作かと一瞬疑ったくらいに鮮明に心が弾かれたのを感じて、鹿島は思わず唾を飲んだ。

「孫がね、ここを教えてくれたの。ここなら東京からそうも離れていないし、東京と違って風景も美しいし」

 そう言うと、ゆっくり今度は窓に目線を映した。

 青々とした空に向かって、少し離れた場所から、ゆったりとした曲線を作った広葉樹の山並みが見える。この部屋から直行の日本庭園が幾分奥の方に見えるだけで、そこは草原のように草が生えている風景だった。 

「あの子の言うとおり。確かに、心穏やかに過ごすのにはとてもいい場所ねぇ」

「なるほど、お孫さんがね」

「あの子ったら仕事柄かとても顔が広いの。色んなお話を聞いてきちんと頭にいれているのね、だからこういう場所があるのも聞く事ができたのね。私なんてちっとも知らなかった」

 この部屋も孫娘の趣味というわけだ。

 しかし、山本議員といいサラリーマンであった寅次といい、ピンからキリまで色々な人が入所している。その伝手がよくわからないなと鹿島は頭を掻きながら、ふと脇にあるテーブルに置かれた写真に目が言った。ちょっと失礼と、鹿島はそれを手に取る。

 

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