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《 シェア邸 黒百合館 》

 苔むした日本庭園は時代遅れだと、鼻で笑った寅次とらじ)が麓の病院に送られた。

 寅治を病院送りにした直行(なおゆき)は、その日本庭園をこよなく愛していた。それを穢されたのだから一溜まりもない。

 彼にしてみれば、腹が立って側にあったちゃぶ台を顔面めがけて投げつけてやった。

 ただそれだけだ。


 

 《 シェア邸 黒百合館(くろゆりかん) 》


「初にお目にかかります」

 初老の男が直行なおゆきの前に正座した。この館の当主である直行より、幾分若い外見だったが、声は弱々しい。

「正座が辛いなら足を崩して下さい」

 凛とした声が座敷に響いた。直行の斜め前に座っている井上いのうえという男がそう言ったのだ。張詰めた空気が漂うその空間で、直行と井上の二人は龍と虎のような貫禄を漂わせていた。

 一時おいて、庭の鹿威しが緊張した空気を裂くように響いた。

「いえ、けっこうです大丈夫です」

 間の悪い顔をして初老の男は頭を掻いた。

 共同住居の一角とは思えない佇まい。最近替えられたばかりだろう青々とした畳に、優艶な日差しが差し込んでいる。四十畳以上はありそうな座敷だ。

 雨戸を開け放たれた左右から、縁側と欄間を駆け抜けた心地いい風が入ってきた。

 開放感はこの上ない。

 二人の龍虎を前にして、初老の男はちょこんと真新しい畳の上に居た。

「申し遅れました。私、鹿島と申します。鹿島(かしま)昭夫(あきお)です」

 男はよそよそしく挨拶をした。それから準備しておいた文章を口から流すように喋る。

「山本先生の、何ていうか。親しくして頂いていた者で。私のような人間が御屋敷の敷地を跨ぐ資格などなかったのですが」

 どうもこういう畏まった場所は苦手であって、まさか共同住居にまで来てこういう挨拶をさせられるとは鹿島は思っていなかった。

 何となくバツの悪さに、少し落ち着きが無くなっているのが自分でも分かると、鹿島ははにかんでボリボリと頭を掻いた。

「鹿島殿よ、唐突に訊ねるが、この庭はいかが思う」

 直行は眉を顰めて、自分より若い鹿島と名乗る初老の男を見詰めた。

「庭ですか……」

 やや間があって、鹿島はちらりと横目で庭を見やった。

 昨夜降った雨が苔を潤し、楓の大木が緩々と豊かな枝葉を広げている。日差しがあって風も爽やかなのに、しっとりとした空気が漂う幽玄な空間だった。

「素晴らしいものですな」

 鹿島は色々思考を凝らしてみたが、その言葉が一番適切だった。

 座敷を据えた庭は、まるで山々の濃厚な息吹がそのまま吹いて来るような、圧倒的な緑の濃さを纏っていた。

 それは深く重なりあった楓の枝が、一層濃く演出しているのだろう。手入れをした痕跡はあるものの、ここしばらくは手付かずだったような印象だ。

 それでも鬱蒼と暑苦しくならないのは、樹木の一本一本の配置が絶妙であるからだろう。

「自然の趣を残しておられるのですね」

 しばらく手入れ不足、とは面と向かって言えるはずもない。鹿島はゆっくり庭から目線を戻した。

「ふむ」

 直行は腕胡坐を組んで、鹿島とは逆にゆるりと視線を庭に移す。

 鹿威しが鳴った。

 直行には(おとこ)としての貫禄は十二分にある。どっしりとした武将のようなその横顔には、この世に〔不〕などない様な勢いが見えた。

 その肉体は八十歳を超えているにも関わらず、漲る気迫の持ち主だ。

「鹿島殿は庭師をしていたそうだな」

「はい、四年程前に退職しました」

「山本殿から話は聞いている。ここの庭師の手配もしてくれるそうだが」

 ちらりと前に座る井上に目をやると、直行の視線に井上はすかさず小さく会釈する。

「はい、鹿島さんに紹介をお願いしております。在職中のお弟子さんがいらっしゃるそうです」

 淡々と井上は応えた。

「本日から伺うように話しています」

 つられて鹿島もそう付け加えて頭を下げた。

「弟子とな、なかなかなものだ。お前は長生きしそうだな」

 直行が鹿島に向き直りゆっくり笑った。

「ありがとうございます」

 言われた言葉の意味を探りながら、深々と頭を下げる。

「お下がりになられて結構ですよ」と井上に促され、ようやくというように鹿島は腰を上げた。廊下に視線を移すと、若い女が二人廊下に据えていた。

「お手をお貸し致します」

 かしこまった口調でこちらに頭を下げている。

「いいや、けっこうです、どうもどうも」

 ここでも遠慮をしておいて、鹿島は今一度上座に座る直行と井上に会釈した。

「鹿島さんは足を痛めておられますから、よろしくお願いします」

 凛とした姿勢で井上が言うと、女達は揃って頭を下げた。

 待っていた女達に足元を確認してもらいながら、鹿島は廊下をひたひたと歩いた。板間にも塵ひとつない屋敷だ。しっかりとした木材の床は黒々として、古くから丁寧にされた床である事は一目瞭然だった。

 その床に色を映す庭を鑑賞しながら、しばらく行くと扉がある。

 重圧な一枚板で作られた木の扉。そこが直行のいる座敷の離れとの境界線であるかのような結界すら感じた。音も無く開いた先は玄関のひとつ奥のホールだ。

 玄関から繋がるホールに燦々と日差しが入り込んでいた。玄関の横に無造作に置かれた車椅子が、どこか似つかわしくない。

 高齢者用のシェアハウスとは今時に言ったもので、麓の病院の管轄下にあるお手伝いさん以上介護未満のオプションが付いた共同施設だった。もちろん、必要があればすぐに資格のある者が来てくれる安心感も然ることながら、実に気ままに自由な空間といえるだろう。

 ただ、ここはどうもシェアハウスというには些か訝しげである。どこをどうとっても立派な貴賓館か豪邸にしか思えないのだ。

 その黒百合館という名前のついたシェア邸には、玄関を経て大きなホールがあった。

 ホールの奥には大きなテレビがあり、その前に緩やかなカーブを大きく波打たせた値のはりそうな長ソファーがある。

 ホールのテレビを食い入るように見ていた老婦人が、そのソファーから訝しげにこちらを少し振り向いた。

「では鹿島さん、何かあったらおっしゃって下さいね」

 先程までのかしこまりきった表情とは、打って変わった人懐こそうな顔で女は微笑んだ。口調も宥めるように朗かさを帯びている。 

「ありがとうございます」

 鹿島は小さくお辞儀をして玄関ホールに入る二人を見送った。徐に目を泳がすと、玄関の当たりを行ったり来たりする同世代もいる。

 職員が手拍子で何かを楽しませてくれるなどという、イベントは皆無にして、入居者は各々好きなことをしているらしい。

 とにかく、自分で自分の事はできて、いざとなったとき助けてくれればいい。

 そういう至極わがままな道理の通る場所なようだった。

「それはそうと。さっきは極道の世界に挨拶に行った気分だ」

 鹿島は独り言のように呟いて、窓の外の雄大な庭園を眺めた。造りのいい廊下が庭に消え入るように奥に続いている。あの奥にさっき居た座敷があるのだ。

 たいしたもんだ。と鹿島はホールの椅子に腰を下ろした。

 そうしてぼんやりあの夜の事を回想した。


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