コーヒーとチョコクッキー(7)
前の日の夜、てるてるぼうずを逆さにつるしてしまうほど、雨が降ることを願っていたのに、それは届かなかったようで空は雲一つない青空だった。
「どうしたの、咲子。すごく憂鬱そうな顔してるけど」
めずらしく朝一緒に食卓を囲む母にそう言われ、私はなんでもないと笑って返す。本当はため息の一つも吐きたいところだけど、母さんを心配させてはいけない。有希さんはコーヒーを注いだりトーストを並べたりしながら甲斐甲斐しく母さんの世話を焼いていた。それがとても楽しそうに見えて、沈みかけた気持ちが少し上がってくる。
「そう言えば咲子、出かけるんじゃなかったっけ」
いただきます、と手を合わせ、トーストにかぶりついたところに有希さんにそう聞かれ、くちをもごもごさせながら頷く。
「街まで行くなら、私たちも買い物にいくから送ってくけど」
ありがたい申し出だったが、丁重にお断りした。二人の時間は長いほうがいいでしょ、と言って。
電車を降りて、待ち合わせの場所まで走る。余裕を持って起きたはずなのだけど、ご飯をたべて準備した後着替える時になって、何を着ていけばいいのか悩みすぎたせいで家を出るのが遅くなってしまった。待ち合わせていた人はすでに来ていて、私は息を整えてから少し小走りでその人に駆け寄った。
「すみません、遅くなりました」
待ち合わせの人――伊川先生は、私を見ると目を細めて笑った。
「いや、待ってるのも楽しいからね」
じゃあ、行こうか、という言葉と共に差し出された手を、私はぎこちなく握り返し、並んで街へと歩き出した。
あの時、資料室で言った言葉はどうやら冗談ではなかったようで、私はこの伊川先生とオツキアイをしていた。とは言ってもこうして休みの日にデートしたり、先生の家で本を読んで過ごしたり、いまどき高校生同士でもびっくりの健全な付き合いだと思う。キスすらしてない。楽しくないわけではないけれど、未だにこの先生の意図がわからなくて、デートの日は気持ちが重くなる。そろそろ一ヶ月が経つし、いいかげんこのよく分からない状況をはっきりさせたい気持ちが強くなっていた。
「さて、今日はどこ行こうか」
こんないくつも年下の女と出かけてなにが楽しいのだろうかと思うけど、先生はいつも楽しそうにしているように見えた。少なくとも学校で授業をしているときよりは。
「ねえ先生」
「いいかげん先生はやめてほしいな、いろいろと」
「伊川さん」
「他人行儀だな」
わざと苗字で呼ぶと先生はそう言って苦笑した。
「こんなことして、楽しい?」
今まで何度となく聞いてきたけど、いつも曖昧にはぐらかされる。わかってて今日も聞く。
「楽しいけど?」
「せん……伊川さんには、もっと他にいると思うな。いい人が」
「俺は、市川と居るのがいいの」
人には苗字で呼ぶなと言うのに、先生は私のことを一度も名前で呼んだことは無い。そう言ったところも、先生から踏み込んできたのに線を引かれているようですっきりしない。
「私先生の考えてることがわからないよ」
ぼそっと呟いた言葉に、先生は笑って何も言わなかった。