コーヒーとチョコクッキー(2)
佳奈おすすめのケーキ屋さんのガトーショコラは、間違いなく私がいままで食べたガトーショコラの中で一番おいしかった。お店も落ち着いた雰囲気がとてもおしゃれで気に入った。今度母たちを連れてきてみようと思った。
午後七時、帰宅すると、奥からいい匂いが漂ってきて、私の鼻をくすぐった。台所から、有希さんがおたま片手に私を出迎えてくれる。
「お帰り、咲子」
「ただいま。おみやげ、買ってきた」
私たちの暮らすアパートは、家賃は安いが少し狭い。短い廊下を数歩で渡り切り、ドアを開けると十二畳ほどの、ダイニングキッチン、プラス六畳の和室、洋室が一部屋、トイレ、お風呂。これが我が家。
「今日はカレーだよ」
「はーい」
少し低い有希さんの声も、私のお気に入り。母さんは、今日も仕事で帰宅は深夜になるらしい。
私には母親が二人いる。気付いたら、お父さんがお母さんになっていて、お母さんが二人になってどうするんだろうと幼心に思ったのだけれど、私たちは変わらず同じ屋根の下で暮らしている。
「母さんは、今日も残業?」
「うん、咲子に会いたがってる」
私は最初からお母さんだったほうを母さん、って呼んでる。母さんはバリバリのキャリアウーマンで、おっきな会社でおっきな仕事を任されてる、すごい人。私たちの自慢。めったに家にいないけど、休みの日は一緒に料理したり、買い物に行ったりする。友達みたいな人。
元お父さんの有希さんは、翻訳家。外国の絵本を、日本語に翻訳する仕事をしている。だから大抵は家にいて、仕事をしながら家事もしてる。料理がとっても上手。小さい時は、たぶんお父さんってよんて呼んでたんだと思うけど、今は名前で呼んでる。有希と書いてゆうき。健三とかじゃなくてよかったと有希さんが言っていたことがある。今、私が両親に貰って持っているものはこの名前だけだから、って。
「学校は楽しい?」
「楽しいよ」
少し間を置いて、勉強はたのしくないけど、と付け足すと有希さんに苦笑いされた。
「そんなこと言ったら、由利ちゃんが悲しむよ」
由利、というのは母さんの名前。有希さんは母さんのことを由利ちゃんって呼ぶ。付き合ってた頃からずっとそうらしい。いつもは男前な母さんも、お母さんに由利ちゃんって呼ばれると、ちょっと頬を染めて、照れくさそうにしているのがとてもかわいいなと思う。
「母さんの前では言わない」
「そんなこと言って」
有希さんが呆れた、と言って肩を竦める。有希さんは大人で、いろんなことを知ってて、私と母さんに教えてくれる。料理の仕方とか、上手な洗濯物のたたみ方とか。有希さんに、なんで母さんと結婚したのか聞いたことが一度だけある。そしたら、お母さんは笑いながら答えてくれた。
「由利ちゃんは、私のいいところも悪いところもぜんぶ、受け入れてくれた。こんな私でも、いいよっていってくれたのは、由利ちゃんだけだった。こんな人、他にいないって思ったら、結婚するしかないでしょ? その時はまだ私男だったけど、それはそれでよかったなって思うの」
由利ちゃんと結婚できたし。私はとっても素敵だなって思った。思ったけど、これは恋じゃないんだなって思った。もっと深い、愛情とか、もっと違うもの。それでも素敵なことには変わりないから、私は「素敵だね」と言った。有希さんは嬉しそうに笑った。