術師
エドワード・ヒルシュが港町フエについたのは、カナとショウインがジャングルへ出かけた後、昼も近い頃だった。カナ達は追わずに宿屋へ直行する。
「やあ、クリス」
エドは、ノックもせずに食堂の扉を開け、陽気な口調で声をかけた。
「ビックリしましたよ。エド様は相変わらずせっかちで、自分……」
クリスが透明な月晶玉から手を離して、エドを見上げた。
「自分勝手と言いたいのだろう?」
「いえ、それは……」
「まあいいですよ。それより、エド様ではなくエドと呼んでくれないのですか? もう、ヒルシュの家に仕えているわけでもないでしょうに」
「そうは言っても長年、エド様の乳母でしたから」
「アリスなんて、昔っからエドとしか呼ばないよ」
「あの娘も困ったものです。分をわきまえてほしいものです…… それに、少しぐらい化粧をしてくれれば、声をかけてくれる男の人もいるだろうに」
「いるよ」
「えっ! どこにでございますか?」
クリスは半ば腰を浮かせて、エドに聞いた。そんなクリスを可笑しそうに眺めたエドは
「いたよといった方がいいかな。僕の友人が三人ほど」
「まあ、本当でございますか?」
「本当さ。でも、クリスの血を受け継いでいるから、貴族というだけでは振り向きはしなかったけれどね。それに、今は男よりも、冒険の方が楽しくてしょうがないみたいだし」
クリスはエドの的を射た評にため息をついた。
「全くですね。若いころの私に似たのでしょう」
「ところで、カナをつけていたという怪しい男の方はどうなりました?」
エドは、クリスの向かいに座ると、無意識に金髪をいじった。
「今朝、動きがありました。エド様にもお伝えした三日前の男が、今朝、カナ達をつけ始めたのですが、あっという間に振り切られました。カナは勘が鋭いですから」
「ということはうまくいかなったということ? カナをおとりにして、背後を探ろうという作戦がうまくいかなかった?」
「いいえ、ロージが男の方を追いかけておりますから、そのうち、何かわかると思います。それにしても、カナをおとりにすることといい、のぞき見することといい、私には、いい方法とは思えませんが」
そう言って、クリスは眉をひそめた。月晶玉には、ショウインがカナの首に花鎖をかけて、頬にキスした所が鮮明に映っていた。
「仕方がないさ。それにしても、クリスの『伝え見』は見事だな。前にも見せてもらったことがあったが、これほど鮮明でしたっけ」
「黒猫のホウに『写し種』を飲ませておりますし、周りは精霊素の濃い密林ですから、今日は、特別に『伝え』の調子が良いようです」
「しかし、ホウはよく種を飲んだな。嫌がらなかったか?」
「カナを守るためだって言ったら、素直に飲んでくれましたよ」
「あまのじゃくのホウがか?」
「ええ」
驚くエドにクリスはにっこり笑って答えた。
幅広の大剣を背負った壮年の冒険者が食堂に入ってきた。角刈り、無精ひげ、筋肉の盛り上がった二の腕。
「おう、相変わらず早いじゃないか。エド」
声も大きい。だが、その眼差しは子供のような輝きを残している。旧知を見つけたエドはにこやかに挨拶する。
「ロージ、久しぶりだな。それほど早くもないさ。風向きが悪くて、空を飛べなかったからね」
「それじゃ、いったい……」
「駅伝の馬を使わせてもらったよ」
「なるほど、そういうことか。ま、王国の手先なら駅伝も使えるというわけか」
「おいおい、冒険者だって、国の庇護があるからこそ、活躍できるんだぞ。そんなに王国を悪く言うもんじゃない」
「わかっている。冗談だ」
「それより、例の男はどうなりました?」
「それが…… 取っ捕まえて、『真実の種』を飲ませた所まではよかったんだが……」
「吐かなかったのか?」
「吐いたのは吐いた。が、結局は、金で雇われただけだ。カナをさらって連れていくはずの港の倉庫は、もぬけの殻だったし。成果はない。いや、一つあったかな」
そう言って、ロージは紫色の小石を差し出した。エドが手にとって見つめ、ロージが説明を加える。
「眠り石と呼ぶらしい。男が言うには、石を覚醒させ、その時の紫色の光を三秒間見せれば、誰でも眠りに落ちるという」
「で、呪文の言葉は聞いたのですか?」
「確か…… 石に宿りし精霊よ……」
「ば、ばか、やめろ! 今、覚醒させるな」
エドが驚いて、腰をうかせた。
「おっ、おっと。そうだな」
「別の罠が仕掛けてあるかもしれない。後で僕がじっくり吟味するよ」
そう言って、エドは小石をベルトのポケットにしまった
「それにしても、いつも自信たっぷりなエド様が、ここまで慎重になるとは。一体、相手は誰なのですか?」
とクリスが、月晶玉から視線をあげて尋ねた。
「相手が誰なのか、それがわからないから怖いのさ。この間は、危うく気球から墜落しかけました」
「気球から墜落ですか?」
クリスが心配そうに尋ねた。
「そう。カナをビックママに引き渡したあとに、野原に放置した気球を取りに行ったんです。その気球に細工がしてありました」
「細工?」
「巧妙な細工です。ゴンドラを吊るしている4本の綱に発火石の粉を塗りこめてありました。二スタジオン程上昇したところで、カラスが飛んできた。普通のカラスだと思っていたら、カアと鳴いて、綱が燃え始めた。すぐに綱が切れて、ゴンドラが墜落した」
「えっ、無事だったのですか?」
クリスが心配そうに尋ねた。
「無事だから、こうしてここに居られるんです」
「なるほど。で、どうやって切り抜けた?」
ロージが面白がりながら聞いた。
「咄嗟に、気球につながっていた下降綱に捕まった。ゴンドラは落ちたが、そのまま気球にぶら下がれたからよかったですけれど、肝が冷えましたよ」
「とにかく、そのカラスが発火石を覚醒させて、綱を燃やしたってことか?」
ロージが宙をにらみながら尋ねた。クリスが口を開く。
「そんな利口なカラスは聞いたことがありません。そばに犯人が隠れていたのでは?」
「いや、そんなことはない。さっきも言ったように地上から二スタジオン程離れていたし、気球の近くにはそのカラスしかいなかった」
クリスが何か気がついたようだ。腕を組んで呟いた。
「まさかねえ……」
「どうしました?」
「いえ、まさかとは思うのですが、『くぐつ種』あるいは『傀儡種』と呼ばれる種を使ったのかもしれません」
「くぐつ種? 聞いたことはないな」
とロージが答える。
「ホウに飲ませた『写し種』の逆だと思ってください。写し種の場合…… 今の場合だとホウが見た風景が、写し種によって、ジャングルの精霊に伝わります。その精霊のささやきが、別の精霊へと伝えられます。そうして、伝言遊びのように伝えられた精霊のささやきを、術師の私が写し絵にして月晶玉に映します」
「そう言えば、クリスは王国一の術師と謳われていたのだったっけ?」
「さあ、どうでしょうか。私が現役の術師だったのはエド様の乳母になる前の事ですので、もう誰も知らない昔の話です」
クリスがとぼけようとしたが、同い年のロージは黙っていない。
「誰も知らないことではないぞ。妖変狼の群れを追い返したという女術師の話は、今では、どこの小学校でも教えている」
「そうなのですか」
エドは意外という顔を見せた。
「動物を意のままに操る術師がいかに素晴らしいかを宣伝しているんだ。おおかた、術師が不足して困っているアカデミーの策略なんだろうが」
ついつい余計な事を言ってしまうのがロージの可愛いところである。クリスは首を横に振りながらこう言った。
「だいぶ、間違っているのですが…… 術師のなり手がいないのは確かです。精霊使いの中でも術師は動物を相手にするので短時間での集中力が要求されます。反対に、植物や怪我人・病人を相手にする巫女は長時間耐えられる忍耐力が要求されます。それだけなら単純なのですが、術師としての能力は年とともに衰えます」
「確かに、僕も術師のまねごとをすることがあるけれど、集中力が切れると、全然ダメだから、年をとるとつらいかもしれない。そう言う意味では、クリスは例外かな」
「さあ、どうでしょうか。どちらにしろ、いかに優秀な術師と言えども、相手の動物を意のままに操ることはできません」
ロージが疑問を呈する
「だとすると、妖変狼の話はどうなっているんだ」
「妖変狼の群れを追い返したのは事実ですが、それは、群れのリーダが利口だったからでございます。そのリーダーと交渉をしたのです。おとなしく妖変地域に帰った方が王国内に留まるより、よほど安全だと言って説得したのですよ」
「なるほど、追い返したのではなく、帰ってもらったということか」
ロージの疑問は解けた。
「先程の、気球の件ですが、カラスにくぐつ種を飲ませたのは間違いないと思います。でも、カラスに発火石を覚醒させるなんてことは、普通じゃありません。よほど利口で訓練されたカラスなのか、あるいは、術者が飛び抜けて優秀で、カラスを操るほどの力をもっているのか……」
「ちょっと待ってくれ!」
突然、エドがクリスの話をさえぎった。
「クリス、もし、飛び抜けて優秀な術者だとしたら、人間、人間を操ることはできるのか?」
「相手が動物であろうと人間であろうと、操るのが難しいのは変わりませんが…… あっ! ロージ、捉えた男の所へ案内してください。金で雇われたのではなく、くぐつ種を飲まされ、操られていたのかもしれません」
「そんなばかな」
とロージが言下に否定するが、クリスは譲らない。
「人を操ることなんて、できないと思いたいのですが、万が一できるとしたら、人間が奴隷になります。確かめずにはおれません。今から私が行きますから、案内してください」
そう言って、クリスは腰を浮かせた。それをエドが押しとどめる。
「待て、クリス。慌てては相手の思うつぼ。今は、カナ達を見ているんだ。ロージ、その男をここへ連れてきてくれ」
* * *
エドとクリスは黙って月晶玉を見ていた。
十六歳と言えば、もう成人だ。だが、月晶玉の中のカナは幼く、無邪気だ。自分がその頃はどうであっただろうか。エドは自分の過去を省みた。何かの拍子に嗅いだアリスの髪の香り、引っ張り上げたアリスの手のやわからさ。女性としてアリスを見つめるようになったのと、自分の身だしなみが気になり始めたのは、今のカナよりももっと若かったころだと思う。
そして、誰よりも強くなりたい。一人前の男としてアリスに認められたいと決意したのもそのころだった。アリスへの思いは、いつの間にか消えたが、身だしなみに気をつけるのは習慣になった。そして、誰よりも強くなったと思っていた。それが慢心だったとエドは、今、後悔し始めている。
「あっ、大変! 魔獣です!」
クリスが月晶玉に映った大きなカメレオンを見て叫んだ。カナ達はすぐには魔獣とわからなかったようだ。
猫の低い視点から見るカメレオンは、迫力がある。エドが冷静に答える。
「カメレオンなら妖変だとしても、たいしたことはないように思えますが」
「いいえ、エド様は知らないのです。あのカメレオンの唾液は酸と毒を含んでいますから、油断はできません」
二人が話しているうちに、ホウが地面に叩きつけられ、月晶玉の中の風景が暗転する。すぐにまた風景が映り、エドとクリスは驚愕することになる。
「危ない!」
エドが叫ぶ。月晶玉の中で、カメレオンの舌がものすごい速さで伸びてくる。カナは的確な場所をナイフで突いたが、タイミングが早すぎた。舌先がカナの手と握ったナイフに触れる。そして、カメレオンが退散していった。
「クリス、見えました?」
「ええ、見ました。唾液が少しかかりましたが、それほどひどい事にはならないでしょう」
「いや、そうじゃない。カナの今の動きだ。舌が伸びる前から、その動きを読んでいたように見えたぞ」
「どういうことでしょうか? カナの動きの方が、舌よりも速かったということではないのでしょうか?」
「いや、違う。僕には…… そうだ、先見、先見に違いない!」
「先見?」
「先見とは、ほんの少し先の未来を予測すること」
「まさか! エド様の買いかぶりですよ」
「いや、先見だ。まあ、いい。それより早くカナの手を治療しなければ」
「エド様、そんなにあわてなくても大丈夫ですよ。ショウインがリンダの所へ連れて行くでしょうから、私達の出る幕はありませんよ」
「ショウイン? リンダ?」
「あの少年、ショウイン・ゼンはリンダ・ゼンの息子です」
「リンダ・ゼン? あのアカデミー副学長だったリンダ・ゼンか?」
「ええ、そうです」
「リンダの息子か。息子? 待てよ、息子って、あの騒動の後で産んだ子か?」
「騒動も何も、リンダの子は、あの少年だけです」
「ということは……」
「ええ、そうです。リンダが妖変地域で行方不明になって、その時、孕んだ子です」
「つまり、妖変魔人の子を身ごもって、そのせいで不治の病に冒されたと噂された、その時の子か?」
「それはあくまでも噂でございます。リンダは何一つ語りませんから。でも、ショウインは普通の子供です。何も変わったところはありませんよ」
「今はそうかもしれないが…… で、なぜカナと一緒にいるのですか?」
「たまたまでございます」
「たまたまか…… いや、運命なのか……」
「エド様、運命とは何でございましょう。時がたてば、人は、偶然を運命と呼ぶのではないでしょうか。私達のすべきことをして、すべては精霊の御心に任せればいいのです」
「ふふっ、クリスの哲学を聞くのは久しぶりですね」
* * *
戻ってきたロージが渋い顔を見せた。
「やられました」
「どういうことですか?」
「縛って、守備隊の詰め所に預けていたんだ。後でゆっくり尋問するつもりだった。が、逃げられた。閉じ込めておいたはずの部屋にはいなかった。仲間がいたのだと思う。つけられないよう用心して、詰め所に連れて行ったつもりだったが、甘かったか」
「監視されていたのでしょう」
「誰に? そんな奴がいたら、この俺が気がつかないはずがない!」
「だが、実際には、逃げられた。監視していたのは、おそらく人ではありません」
「人じゃない?」
「カラスか何かでしょう」
「……」
ロージが腕を組んで、口をへの字曲げた。エドもクリスも沈黙した。
エドが口を開く。
「カナを連れていきます」
「何処へで、ございますか?」
すかさず、クリスが尋ねる。
「ビックママの所です。もともと言葉を習い終わったら、連れていくことになっていた。予定よりはだいぶ早いですが、この町、フエに居ては危ない。ビックママの森は安全です」
「安全?」
「結界が張ってあるから、よその人間が森に入ればすぐにわかります」
「エド様、冗談ですよね。あの森には、小型の魔獣がおります。せめて、アカデミーを卒業してからでないと危険です」
「カナはアカデミーには行かない」
「なぜですか。アカデミーで精霊使いとしての教育をするのではないのですか?」
「ビックママ自ら教育をする。もっともあの方の事だから、厳しい修行になると思う」
「私は反対です。あの子は心が不安定で、まだまだ愛情が必要な時期です。修行には耐えられません。第一、先代の巫女長が真面目に教育するとは到底思えません」
クリスは強い口調で反対した。それでもエドはこう言った。
「これは、ビックママの意向です。誰も反対できません」
「では、せめてどなたか、エド様か誰かがあの子のそばに居るようにできませんか?」
とクリスが食い下がる。
「僕にはそんな暇はありませんよ。クリスだってこの宿屋をたたむわけにはいかないでしょう」
「では、どうすれば……」
それまで黙っていたロージが口を開いた。
「俺が行く」
「ロージ?」
「心配ない。ほんの三カ月だが、同じ屋根の下で過ごした仲だ。多少は情もある。それに俺なら、身を守るすべ、剣を教えられる」
「いいでしょう」
エドが結論を出した。