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月香姫を探して  作者: 流山晶
第一章:修行
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ビックママ

 翌朝、まだ夜も明けぬ時間に、エドワード・ヒルシュは起きだした。溜めていた雨水を使って顔をあらい、手鏡に顔を映した。ニコリと笑顔を作れば、誰もが振り向く美男ができあがるはずだが、今の彼の疲れた表情は隠せない。エドは肩をすくめた。

 手際良く気球をたたんで、紐でしばる。簡単な朝食を用意し、カナと名乗った娘を揺り起こした。昨日と違って、起きぬけに騒ぎ出すこともなかった。彼女は無言のまま身づくろいをして朝食を食べた。愛想のない娘だ。ほほ笑めば、寄ってくる男も少なくはないだろうにとエドはため息をついた。

 確かに、古代装束をまとい、月照神殿跡に立っていたから、異界人には違いない。気難しいはずのコクチョウを操ったり、一般人なら拒絶反応を起こす月晶酒を飲んでもピンピンしているから精霊使いの素質はあるのだろう。

 だが、この王国、ルチエン王国を左右するような特別な存在とは思えなかった。か弱い娘だ。その娘を確保し、ビックママに引き渡すというのが、目下の彼の最優先の仕事だ。自分のやっていることには本当に意味があるのだろうか。エドは伝書鳩にビックママ宛ての手紙筒を結わえつけながら、三日前の有無を言わせぬ指示を思い起こした。


     *    *     *


「いいかい、ぬかるんじゃないよ」

一般成年男子の倍はあろうかという体重に小さな木の椅子が悲鳴を上げている。威圧感ばりばりのしゃがれ声にも、目にきつい口紅にも、強すぎるフローラル系の香りにもエドは動じない。それでも、このビックママと呼ばれる中年の女性、実際には老女であるはずの女性の指示は絶対である。

「もちろんわかっていますよ。僕の気球で向かえばあっという間です。すぐに連れ帰ってきます」

小さな木机をはさんで座っているエドは、にこやかに答えるが、ビックママは不満らしい。

「その油断が心配なんだよ。お前さんの実力は認めるが、時々、抜けていることがある」

「大丈夫ですよ。 ……でも、本当に僕が行かないとだめなんでしょうか? わざわざ僕が行かなくとも、暇な騎士に任せてもいいとは思うのですが」

ビックママは、厚化粧を歪ませて一層険しい表情を見せる。

「エド、お前は本当にわかっているかい? 伝聞によれば異界人の能力は巫女長を上回るという」

「へぇー それじゃ、僕はもちろんのこと、先代の巫女長だったあなたよりも優れているというのですか?」

「もちろん、能力が開花すればという条件が……」

一旦、口を閉じたビックママは声を落として続けた。

「完全同調すればという条件はつく」

「完全同調? それこそあり得ない! 歴代の巫女長でも完全同調できた者はいないはずです!」

エドは、金髪をもてあそんでいた手を止めて、思わず大きな声をあげた。

「しっ! 声が大きい! 確かに無能な異界人もいる。だが、マルテン湖を溢れさせて妖変魔獣を押し流したという聖オルレアンこそ、最初の異界人だったとあたしは睨んでいるんだよ」

「まさか! 証拠はあるんですか?」

エドが青い目を見開いて彼女の灰色の目を覗き込んだ。ビックママは目をそらし、肩にかかる紫色の髪をうるさそうに払ってこう言った。

「今は言えない…… それより、異界人を絶対に確保するんだ。昨日、月のティコにしるしが現れたから、早ければ明日、月照神殿跡に現れるはずだよ」

「それは、どのくらい確かなんですか? コペルニクスが光る場合だってあるというし……」

「お前さんには一度説明したはずだが、忘れてしまったのかね。アカデミーの記録に残っているすべての異界人、月照神殿跡に現れた異界人という制限がつくが、その異界人はすべて、ティコの光条が光ってから二日から三日後に現れている」

「ということは早ければ明日か…… この時期、風向きは悪くないが…… アカデミーに寄っていく時間はありませんね」

「アカデミーに用事があるのかい?」

「ええ、キナバリー山中で未成熟の黒い月晶石が見つかって、それをアカデミーに届けるよう預かっているんです」

「黒月晶石か? 珍しいな。こういう時じゃなきゃ、あたしも吟味したい所だが…… 今は、異界人の方が先じゃ。とにかく急げ! 妖変魔人にでもさらわれたら取り返しがつかん」

ビックママは、何か恐ろしいものでも見たように肩を震わせた。反対にエドの方は、呆れたように肩をすくめる。

「妖変魔人ですか。それこそ、神話ですよ。ビックママと呼ばれるあなたが、そこまで心配するとは…… 全く、今のママはどうかしていますよ」

普段ならビックママと呼ばれて機嫌を悪くするはずであるが、この時は違った。

「各地の神殿に現れた異界人を妖変魔人が集めているという噂があるんだよ。それが杞憂ならそれでいいさ」

彼女は、肩をすくめて宙を見つめた。


     *    *     *


 エドとカナは徒歩で原野を横切った。この辺りは神殿跡ほどではないが、ルチエン王国の北限、つまり妖変地域の南限に近いから、妖変魔獣が出没することも皆無ではない。

 エドは絶えず周囲の気配に注意を払った。もっとも、エドが心配しているのは魔獣ではない。

 地図師であるエドには、当然のことながら行き先を選ぶ権利はなく、妖変魔獣に襲われたことも、それを返り討にしたことも数えきれない。大型の魔獣でも一対一なら負ける気がしないというのがエドの今の実力であり、それだけの実力を持っている者はルチエン王国には数えるほどしかいなかった。その実力と空を行くことができる気球乗りであるという点が、彼が月照神殿跡に遣わされた理由である。

 エドが心配しているのは、昨日、怪鳥に乗って襲ってきた黒衣の男である。ビックママの言う妖変魔人というのはわからないが、妖変という感じではなかった。ただ、巨大なカラスは、彼の知っている天然の結晶化獣とも、攻撃的な妖変魔獣とも違っていた。男の思うままに飛んでいた。

 それに、男は上空から気球を狙い、浮力を程良く減ずる程度の穴を気球に設けた。その知性は妖変魔獣よりはよほど不気味だ。エドは背中の矢を確かめた。


 低木と岩の広がる原野の行程は厳しくない。それでも、沼やら、小川やら、いばらやらで、夕刻に二人が村にたどり着いた時は、カナの手足は泥と傷で悲惨な状態だった。エドの上着を着ていなかったら、襤褸をまとった浮浪者と見まがわれただろう。

 カナが最初に出会った村人は、釣り竿とびくをもった少年で、エドと二言三言交わすと、ビックリしたような目でカナを見つめ、すぐに村の中心の方へ走っていった。


 村のメインストリートは石畳が敷き詰められ、両側に青や黄に塗装した木造の家が立ち並んでいた。たいていは2階建てで家畜小屋が付属している。車の代りにロバの引く荷車が行き交い、家の裏手では、水牛が草をはんでいる。

 村の中心はちょっとした広場となっていて、木樋から流れ落ちる豊富な水が池に流れ込み、小さな清流となって四方に延びる。その流れは驚くほど透明で、赤や黄の鯉が優雅に泳いでいる。

 カナ達が広場に着くころには、たくさんの村人が、農具やら作物やらを持ったまま集まり、二人を取り囲まんばかりであった。ある者は手を組んで祈りをささげ、ある者は露骨な好奇の視線を向け、ある者は優しい眼差しを送った。

 それらの視線がエドではなく自分に向けられたものであることがカナにもわかった。

 顔が引きつり、汗が噴き出て、心臓がバクバクし、足が震えた。パニック障害の始まりだ。カナの異変に気がついたエドはカナの腰を引き寄せ、右手を高く上げて大声で叫んだ。

 すると、広場に押し寄せていた野次馬は潮が引くように散り、血色のよい夫婦が残った。村長とその夫人らしい。夫人は、自分が汚れるのもかまわずに、泥だらけで震えているカナを抱きしめた。


 夫人は、カナを幼子のようにあつかったし、カナはカナで、そんな夫人に身を任せた。風呂に入れられ、ゆったりとした服を着せられた。生傷には緑の葉を貼られ、その上から包帯を巻かれた。熱いスープを飲ませられ、ベッドに寝かされた。


 翌朝、すっかり落ち着いたカナは、村長夫妻とエドを合わせた四人で食事をとった。エドと村長は何やら熱心に相談している。時折、カナに視線を向けるから、彼女について話しているのは明らかだ。けれど、カナにはさっぱり会話が理解できず、食事に専念することにした。

 主食はパン、外側が堅くフランスパンに似ている。癖のあるチーズを載せて食べる。生春巻きには香草とひき肉が入っていた。デザートは果物。カナの知っているパイナップルと初めて食べるライチのような果物。食事を終えて出されたのはコーヒー。シナモンのような香りがする。

 

 ポクポクという規則的な音が石畳に響き、馬のいななきが聞こえた。

 村長の家の外には、小ぶりの馬車が停まっていた。中から出てきたのは、恐ろしく太った中年の女性。濃い化粧を施した目つきの鋭い女性で、紫の髪を無造作に束ねている。ビックママである。カナはこの女性をママと呼ぶことになる。

 ビックママは何も言わずにカナを上から下まで吟味した。そして、カナの手首をつかむと、寝室に連れて行き診察した。

 確かに診察であった。カナの知っている聴診器と同じようなものを胸と背に当てて心音と呼吸音を聴く。それから体中を大きな手で触診した。

 唯一、カナの知っていた診察と異なるのは、宝石を使った診察。聴診器の音を拾う部分の裏側に三センチほどの青みがかった宝石が埋め込まれていた。それをカナの体の各部に当てて目をつぶった。音ではない何かを感じ取っているようだった。

 最後に、その霊石を足の傷に当てて何やら呟いた。すると、不思議なことに傷が薄くなり消えていった。ビックママは、カナの腹のみみず腫れにも宝石を当てたが、こちらの方は消えることはなかった。

 

 エドが琥珀色の液体の入った瓶を食卓の上に出した。カナも飲んだ蒸留酒である。ビックママがその瓶を手に持ってエドを叱責するが、エドは肩をすくめて一言、二言抗弁する。まるで、いたずらをとがめられても、悪びれもせずに平然としている少年のようである。

 ビックママは時々、カナの方をちらちらと見やるから、未成年が飲酒したことを咎めているようだ。それでも、額に青筋を立てて怒るほどのことでもないとカナは思っていた。そんなカナを見とがめたビックママは、蒸留酒を一滴、スプーンに落とすとカナの腕を掴んで屋外へ連れ出した。エドはあきらめ顔でついてくる。村長夫妻はビックママの剣幕にびくびくしている。

 ママが何かを呟くと、スプーンの一滴はほのかに光を放つ。滴を落下させた。それが石畳に触れた瞬間、バンという大きな音が耳を叩き、腹を揺らした。辺りに白煙が漂う。

 ママに言われてカナが調べると、石の表面に小指の先ぐらいの大きさのくぼみができていた。要するに蒸留酒は威力抜群の爆薬になったのだ。村長夫妻はもちろんのことカナは青ざめた。カナの胃に何口分かの蒸留酒が入ったのだから。


 ママに依頼された村長が持ってきたのは、二本の切り花。バラのつぼみであるが、一本は奇麗な水色、もう一本は褐色。村長はにっこり笑って、それぞれをエドとカナに手渡した。瞳の色に合わせたのだ。

 エドは、バラを手のひらに載せて、優雅に親指を茎にそえる。何かを呟くと、エドの手が一瞬光ったように見えた。水色の花びらがゆっくりと開いていく。外側の花びらが開くと、その内側に花びらが顔をのぞかせる。そうやって、次々に花びらが開き、最後には七重八重の立派な花となった。

 エドはそのバラの茎をナイフでさっと切って、花をカナの腰紐に差し入れて、ほくそ笑んだ。カナは頭を少しだけ下げた。

 次は、カナの番だ。エドと同じようにバラの茎を手のひらに載せ、目をつぶった。開花させればいいのだろう。だが、願えば開花するという単純なものでないことは知っている。カナは祖父の言葉を思い出していた。


     *    *     *


「咲きたいように咲かせればいいのさ」

 縁側から荒れたバラ園を眺めながら、香奈の問に祖父はそう答えた。

 数年前、祖母が生きていた頃は、丹精込めてバラを育てていた。病弱な祖母を驚かせたいからと言って青いバラを作ろうとしていた。結局、青いバラはできず、祖母がそれを手にすることもなかった。

 祖父はそれ以来バラ園の手入れをしなくなった。そうして荒れていくバラ園をじっと見ていた。不思議なことに、祖父の顔には、諦観ではなく、充足感が宿っているように見えた。カナはそのわけを尋ねたのだ。

「昔は、新種の青バラを作ってやろうと思っていたんだ。でもね、わしがあれやこれや手をだして、はたしてバラは喜んでいるのかって…… そう考えるとね、なんだかバラに任せてみたくなったんだよ。好きなように咲いて、好きなように実をつける。その実は地に落ちて、運がよければ、翌年芽をだし、そうやって自然のままに育ち、運が良ければ、大輪を見せてくれる」

一旦、言葉をきった祖父は、中学生になったばかりの香奈の頭に手を載せ、口を開いた。

「香奈も生きたいように生きればいいさ」


     *    *     *


「痛っ!」

カナはトゲの痛み感じ、バラを取り落とした。つぼみを上に、茎を下にして落下したバラは石畳で茎を大きくたわませてから跳ね上がった。カナの見間違いでなければ、バラは意思を持って跳躍した。そして、道路わきの地面に突き刺さった。

 あわててバラを拾い上げようとすると、村長がとめた。

「えっ」

カナが振り向くと、村長は無言で首を横に振った。そのままにしろということだろうかとカナが躊躇していると、地面に突き刺さったバラがゆっくりゆっくり開花し始めた。一片ひとひら二片ふたひら、まるで、渾身の力を振り絞るかのようにして開花していく。

 その様子を四人は無言で見守った。村長は微笑みながら。エドは不思議そうに。ママは考え込みながら。カナは拳を握りしめながら。

 褐色のバラは、地に足をつけて開花することを選択したのだ。きっと実を結び、種を残したいのだろう。村長さんはそれがわかっていたのだとカナは気がついた。


     *    *     *


 人々の言葉がわからないカナには、どうして自分がこういう事態に陥ったのか知るすべはなかった。それでも、カナが生きていた世界とは違う世界にいること、自分が人々から畏怖される特別な存在らしいことはわかった。

 言葉が通じなくとも、自分の目で確認できることもある。

 この世界は地球にそっくりであるが、月はカナの知っている月と少し模様が違う。見かける動植物は熱帯のものが多く、カナの知識とおおむね矛盾しないが、概して地球のものよりも大きい。

 住人は人間と同じに見える。肌の色、髪の色、瞳の色もさまざまだが、色ごとに集団を作っているわけでない。技術はいくつかの例外を除けば産業革命前後の水準だ。


 ビックママはカナの保護者であるかのようにふるまった。カナに意思を表明する自由はない。それでも、カナが素直にビックママに従ったのには理由があった。ビックママについていけば、村を出られる。都会に行けば、電話もあるだろうし、首都に行けば、日本の大使館があるだろう。そうすれば、日本に、生まれてずっと過ごした街に、家族のいる我が家に、そして世界で一番ほっとできる自分の部屋に帰れるはずだ。

 強い思いは、時として、真実を覆い隠し、虚像を作り上げる。

 カナは、この世界を孤立した世界と考えた。例えば、ギアナ高地のテーブルマウンテン。周囲を切り立った崖で覆われ、崖を登り降りして人が行き来するのは困難である。あるいは、平家の落人の里や特殊な信仰集団のように自らの意思で外界との交流を断った集団。

 物理的社会的な理由から孤立した集団であれば、外界からやってきたカナは警戒されるだろうし、文明から取り残されることもあるだろう。


 ビックママはカナを港のある町へ連れて行き、色々手続きやら手配をして、カナを置き去りにした。正確には置き去りではないが、カナを宿屋のおかみに託すとどこかへ行ってしまったから、保護者としては実に心もとない。


 カナは宿屋に寝泊まりし、翌日から学校に通って言葉と世界を学ぶことになった。

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