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赤い月  作者: 粉雪草
セシル編
6/10

プロローグ

セシル編のプロローグになります。

主人公が違うので、ここから読んでも差し支えはありません。

い月 ―変わらない日常と共に―


プロローグ


「さむい……さむいよ」

 微かな声を寒空へと上げたのは、固く冷たい地面に蹲り、細い両肩を抱きしめている幼女だった。

 そんな彼女を襲うのは、月明りを吸って煌めく白銀の雪である。時折吹き荒れる風だけでも身が震えるというのに、舞う雪は幼女が身に纏う衣服を濡らし確実に体温を奪っていくのだ。

 それでも同じ言葉を呟き続ける。声が届く様にと祈りながら。

 しかし、その言葉は誰にも届かない。いや、届いたとしても気に掛ける者などはいなかった。

 仕事さえあれば餓える事はなく平凡に暮らす事は出来る。しかし、他人に構っていられる程の余裕を持っている者は稀なのだ。皆、自身が生きるだけで精一杯なのである。

 だから寂しく一人の幼女、アニタが凍え死のうとしていても誰も気にする事はない。まるで地面に転がる石を眺めるかのような無関心な瞳を一度向けるだけである。

(助けて)

 アニタは自身を襲う飢えと、孤独と、寒さに耐えながら心中で祈る。救いの手が差し伸べられる事を、ただ祈り続ける。

 再び温かい家庭にその身を置ける事を願って。

 しかし、現実はそう甘くはなく、全身の感覚は消え失せ、瞼は徐々に重くなっていく。

 死ぬという感覚はアニタには分からないが、自身の最後が近くなっている事はおぼろげな意識の中で理解出来た。

 だからアニタはゆっくりと空色の瞳を閉じる。どうせなら眠るような最後がいいと思ったから。

 瞳を閉じて、どれだけ時間が経っただろうか。数秒か数分の後、もう死んでしまったのかと思った時。

 まるで眠った子供起こすかのような柔らかい声がアニタの鼓膜を震わせる。

「大丈夫?」

 届いた声は全身を包み込むように優しかった。

(誰?)

 アニタは声に導かれて、重い瞼を開いて頭上を見上げる。

 しかし、一度暗闇に満たされたアニタの瞳は、焼くような光によって塞がれ、目の前の人物を捉える事は叶わなかった。そして、救いを求める声を発する力もアニタにはない。自身が助かる最後の希望かもしれないというのに。

「待ってて」

 だが、声の主はそんなアニタに構う事はなかったようで独自に動き出す。まずは身に纏う、カーキ色のロングコートを脱いでアニタの全身を包み込むと、即座にアニタの背中と両膝に手を回して抱き上げてくれた。

(温かい)

 冷えた心と体はコートの熱と、包むような温もりで満たしてくれる。

 これは物心付いた時に感じた母親の温もりに近かった。求めた時に包んでくれる慈愛に満ちた掛け替えのない温かさ。もう二度とこの身で感じる事は叶わないと思っていた、我が子を想う無償の愛だった。

(お母さん)

 アニタはおぼろげな意識で必死に自身の母親を思い浮かべる。

 しかし、もう会う事は叶わない。アニタは捨てられたのだから。ここがどんな名前の街なのかすら分からない。これからどうしていいのかも皆目分からないのだ。

 そんなアニタの全身は一度、二度、揺れる。まるで迷う心のように。

 おそらく抱き上げてくれた人が歩いているのだろう。

(この人は……?)

 全身の熱を取り戻す事で、ようやく力を取り戻しつつあるアニタは、救い主に改めて空色の瞳を向ける。

 まず瞳に入ったのは救い主の髪だった。雪を思わせる白き髪が肩くらいまで伸ばされていた。その髪に合わせたのか、真っ白なセーターを着ており、その内側にある体はほっそりとしているように見える。

 ぱっと見た所では十代半ばの少年。しかし、先ほど掛けられた声は少女のように柔らかい。少年とも、少女とも判断する事が出来ない人だった。

「この髪が珍しい?」

 救い主は視線に気づいたのか苦笑して言った。

 観察するような瞳を向けられたというのに気にした様子はなく、柔らかく、それでいてふんわりとした笑顔を浮かべている。そのやんわりとした物腰が、彼とも彼女とも言えない救い主を無害な存在であると教えてくれているような気がした。

「僕は中性体なんだ。男でも女でもない――半端者かな」

 自らを中性体と名乗った救い主は自嘲の笑みを浮かべる。まるで自身の存在が罪であるかのような、そんな雰囲気を感じさせる微笑みだった。ふんわりした笑顔を浮かべれば、綺麗な人だというのに。

「でも、助けてくれた」

 アニタは想いを伝えるために声を絞り出す。

 中性体が何なのかをアニタは知らない。しかし、今にも力尽きそうな弱き者を助けてくれた人なのだ。自身を恥じるべき人ではないと、アニタには分かる。

「さすがに女の子を拾ってきたら……ジーナも驚くかな」

 アニタの言葉が、想いが通じたのか、救い主は表情を再び緩める。

 それが嬉しくてアニタも同じように微笑む。

 そして、叶うのならば、心を温めてくれるこの笑顔をずっと見ていたいとアニタは思う。

 だから――

「一緒にいていい?」

 アニタは問う。素性も知らない救い主に向けて。

「そうだね。君が大きくなるくらいまでなら構わないよ。僕は……セシル」

 セシルと名乗った彼は、すぐにアニタの想いに応えてくれた。まるで、それが当たり前だと言わんばかりに。

「私はアニタ」

 そんなセシルを警戒する自分はすでになく、アニタは自身の名を伝える。

「アニタだね。これから……よろしくね」

 一つ頷いて名を呼んでくれたセシルは、彼の家庭へと招待してくれた。

 それはアニタにとって二度と得る事は叶わないと思っていた『温かな家庭』だった。


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