第8話 新たなる動き(上)
今回から次回にかけて、性行為は無いものの主人公が全裸となる描写が出てきます。
この手の描写を好まれない方は、読まれるのを控えられた方が良いと思います。
「今回も無事に帰って来たな・・・」
単艦での護衛任務を終えた松は、己の片身である駆逐艦「松」の舳先に陣取り、近付きつつあるバレッタの
街並みを見回しながら呟いた。
マルタはちっぽけな島に過ぎないが、地中海のちょうど真ん中に位置し、古来より要衝となっている。
中心都市バレッタは、16世紀半ば聖ヨハネ騎士団のイスラムに対する橋頭堡として、要塞が建設された事で
発展し、今から70年後、その当時の街並みは世界遺産として登録される事になる。
艦が接岸し、一通りの帰港作業が終了するのを見届けた松は、その身を戦艦「河内」艦内へと転移させた。
「護衛任務の遂行、御苦労様。次の任務が下るまで待機してなさい」
「はい! 了解しました!」
「これから榊のところへ行くつもり?」
「あ、はい! その予定です!」
「榊はこの時間、摂津の部屋にいるはずだわ。行ってあげなさい。喜ぶわ」
「ありがとうございます!」
松に限らず駆逐艦の艦魂たちは、帰還すると「河内」艦内に設けられた司令部に出頭し、結果を報告した後、
「摂津」艦内へ足を運ぶのを常としていた。
何故ならそこには自分たちの姉である榊が養生しており、見舞いに行くのだ。
それと共に、部屋の主である摂津を交えて話の花を咲かせるのが、大きな楽しみであった。
護衛先で立寄った港の様子とか、護衛中の出来事とか、話のネタに困る事は無い。
司令官である河内も、そのあたりの事は気を利かせていた。
「おかえりなさい、松」
「おかえりぃ! 今回も任務ご苦労様!」
松が摂津の部屋に行くと、予想通り二人が迎えてくれた。
姉の榊は依然として包帯だらけでベットに横たわる痛々しい身だが、彼女が行くと上体を起し、嬉しそうに
声を上げる。
そしてもう一人、この部屋の主である摂津は白地の第二種軍装姿だが、上着を脱いでシャツだけのラフな
格好だ。上着は椅子の背に無造作に掛けてある。
そのシャツ姿さえもどこかだらしないが、とびきりの笑顔を向けてくれる。
「姉貴、具合はどう?」
「・・・う~ん、あまり変わり映えしないかな・・・」
松は早速ベットに近寄り訊くと、榊は寂しげに申訳なさそうに答えた。
これは別に訊かなくても解っていた事だ。出航前に見舞った時と、姉の容態はほとんど変わってない。
榊の片身である駆逐艦「榊」は、ここバレッタのイギリス海軍工廠で修理を受けているが、勝手が違う
日本艦ゆえ、工事は難行しているのだ。
一説には十ヶ月近く掛かるかもしれないという。四ヶ月で竣工したにもかかわらずだ。
今は同僚となった橄欖の言葉を思い出す。
「修理するより破棄して新造した方が良い」
その言葉に唇を噛む想いだが、今はとにかく一日でも早く工事が進むのを願うしかなかった。
そうすれば、艦と一心同体の姉も快方に向うのだから。
「くんくん、匂うなぁ。そんな臭い身体でお姉ちゃんに会うのは失礼だぞぉ!」
感傷に浸る松に、いきなり摂津が抱きついたかと思うと、顔を寄せ、嗅ぐ真似をする。
「ふ、副指令、いったい何をするんですっ?!」
摂津の突然の奇襲に松は驚いて訊く。
「だから、お風呂に入ってすっきりしてきなよ。お姉ちゃんと話すのは、それからでも良いと思うよ」
「は、はいっ そうさせていただきます!」
松は即答する。元よりそのつもりだった。
艦魂だって女の子。身なりは常に綺麗にしていたい。だからお風呂は大好きなのである。
松とてそれは例外ではない。
しかし、戦艦等の大型艦はともかく、小型艦はスペースの関係で浴室を設置してない場合が多い。
その場合は大型艦に備え付けの浴室を借りる事になる。
人間なら港に停泊した際、上陸して立派で広々とした風呂に入る事も出来るが、
艦艇間の行き来は出来ても陸には上がれない艦魂は、大型艦の風呂に入るのが唯一の方法となる。
その風呂でも男のエキスで溢れた様な一般兵用はもちろん、士官用であってもやっぱり嫌なものは嫌で、
専ら艦長専用風呂に入る事にしている。
それだって艦長が使用してないのを見計らって、無断で勝手に入るのであるが。
遺欧艦隊においては、「河内」と「攝津」の両艦が駆逐艦の艦魂用に浴室を開放しており、護衛任務を終えて
帰還した彼女たちの、これも大きな楽しみの一つであり、励みともなっていた。
ちなみに入浴の際には河内か摂津いずれかの許可を得る必要であるが、摂津艦を利用する場合が断然多い。
これは許可を得る際、榊の見舞いも出来る事、ついでにおしゃべりも出来る事、そして、摂津の気さくな
人柄にもあった。
「それで、お願いなんだけど、私も一緒に行っても良いかな?」
「副指令が、あたいと一緒にですか?」
「うん。私も一度、松と一緒にお風呂に入りたかったんだよ。駄目かな?」
「べ、別に構いませんけど・・・」
摂津は一応は上官である。上官の願いを無下に断る訳にもいかないだろう。
それに姉妹たちと一緒に風呂に入った事は、今までに何度かある。
「で、いつもの様に転移するんじゃなくて、ゆっくり歩いて行こっ!」
「歩いてですか? たまには良いかもしれませんね」
艦魂だけが持つこの不思議な能力は、少なからずエネルギーを使う。
歩いて行くのとどちらが疲れるか判らないが、のんびり行くのも楽しいだろう。
「それからね・・・」
「ま、まだ、何か条件があるんですか?」
松は、何か企んでいそうなこの上官に次第に悪寒が走り出した。
しかし摂津は、そんな彼女の想いなど微塵も感じず、にんまりと笑って言い放つ。
「うん。どうせお風呂に入る時は裸になるんだし、ここから脱いで行こっ!」
最初、松は意味も解らず、ただ呆気にとられるだけだった。しかし、やがて事の重要さが解ってくる。
「は、裸で・・・風呂場まで・・・広い艦内を・・・歩いて・・・行くん・・・ですか?・・・」
ゆっくりと一語一語、自分自身に言い聞かせる様に、松は訊き返す。
それに対して摂津は、まるで良い物を貰った幼女の様に満面の笑みを浮かべて元気良く答える。
「うんっ! そうだよ!」
松と笑顔の摂津、間に入った榊、三者で構成される空間の時間が凍りつく。
それを松の悲鳴が打ち破った。
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
「明石様は、本国で増援艦隊の準備をしているのは知っておられますよね?」
河内は事務仕事でペンを走らせながら、傍らに控える明石少佐に訊いた。
「はい。樺級駆逐艦の後継となる桃級駆逐艦四隻を急ピッチで建造中と聞きました。
それから、これは当艦隊とは関係ありませんが、フランス海軍が我々の活躍に惚れ込み、樺級の同型駆逐艦を
一挙に12隻発注したとも聞いております。
そして、それらを率いて装甲巡洋艦「春日」と「日進」の二艦も渡航するという事も」
暗誦でもするかの様にすらすらと答える明石。
二人の応対は、戦艦という海軍の象徴である艦魂と、今は時代遅れとなりつつある防護巡洋艦の艦魂という
出仕の違いもあって、甚だ他人行儀だが、傍から姿だけ見ていれば、親子の様にも映った。
それはあながち嘘ではない。
姉の須磨と共に須磨級防護巡洋艦の姉妹を成す明石は、六英雄に讃えられる富士級戦艦姉妹と同期の
大ベテランである事は既に書いた通りだが、同時に国産近代軍艦としても同じ防護巡洋艦である「秋津洲」に
次ぐ古参であった。
これは薩摩級戦艦「薩摩」「安芸」に次いで、国産戦艦第二弾として生を受けた河内と攝津の姉妹として
みれば、生粋の日本生まれの大先輩であり、直系であるという点では母親的存在でもあったのだ。
「橄欖と栴檀の二人も先日から任務に就きましたし、妹たちが来れば、彼女たちも少しは楽になりますね。
けれども・・・」
河内は明石の言う事に頷きながらも、二十歳前の幼さが残る顔立ちを曇らす。
「もしかして、私の事で憂いておられますか?」
明石は河内の顔を覗き込む様にして尋ねる。
「ええ、桃級駆逐艦やフランス向け樺級駆逐艦を率いて、春日殿と日進殿の御二人が来られれば、
明石様は交代して帰られてしまいます。私はもっと貴方様からいろいろ教えていただきたかったのに・・・」
河内が特に教えを乞いたいのは、須磨と明石の姉妹が持つ掌握術というか、今風にいえばマネージャーと
しての優れた能力である。
これは好む好まざるに関係なく、許されざる状況の中、否応なしに身につけたものだ。
許されざる状況とは、即ち日露戦争である。
日清戦争終結後、日本の次なる脅威はロシアだった。
そのロシアに対抗する為に、日本は同盟を結ぶイギリスを中心に欧米から軍艦を買い漁った。
それはもう我武者羅といっても良い有様であった。小型の駆逐艦までもだから。
日清戦争集結から日露戦争開戦までに揃えた主だった艦は次の通りである。
イギリス
戦艦「富士」「八島」「敷島」「朝日」「初瀬」「三笠」
装甲巡洋艦「浅間」「常盤」「出雲」「磐手」
防護巡洋艦「浪速」「高千穂」「千代田」「和泉」(元チリ「エスメラルダ」) 「吉野」「高砂」
フランス
装甲巡洋艦「吾妻」
防護巡洋艦「松島」「厳島」「橋立」(いわゆる三景艦) 「畝傍」(回航中行方不明)
ドイツ
装甲艦「鎮遠」(清からの鹵獲艦)
装甲巡洋艦「八雲」
防護巡洋艦「済遠」(清からの鹵獲艦)
イタリア
装甲巡洋艦「春日」(アルゼンチン発注艦「リバタビア」) 「日進」(同「モレノ」)
アメリカ
防護巡洋艦「笠置」「千歳」
国産
防護巡洋艦「秋津洲」「須磨」「明石」「新高」「対馬」「音羽」
一見して解る通り、日本艦隊は軍艦の博物館と揶揄されかねない各国軍艦の寄合所帯だったのだ。
艦魂社会においては、これではお国柄の相違から意思の疎通などあったものではない。
そんな中にあって、生粋の日本生まれである秋津洲、須磨、明石の三人は、日本が置かれた危機的状況を
一人一人丹念に説き伏せ、やがて迎える未曾有の国難に一致団結して当たる事に成功するのである。
その後、開戦初頭において、衝突事故により春日が吉野を沈めてしまい、一時、装甲巡洋艦たちと
防護巡洋艦たちの仲が険悪になるというピンチもあったものの、日本海海戦においては、戦艦六隻からなる
第一戦隊が、舵が壊れて戦線を離脱した旗艦「クニャージ・スワロフ」を追って敵本隊を取り逃がしそうになる
失策を演じる中、巡洋艦からなる第二、第三戦隊は、その動きに良く追峙し、格上となる戦艦との戦闘にも
臆する事無く、バルチック艦隊壊滅を果たせたのは、第二艦隊司令長官・上村彦之丞中将と参謀・佐藤鉄太郎
中佐のコンビによる好指揮もさる事ながら、明石たちが尽力し築き上げてくれた巡洋艦艦魂同士の結束力の
高さに依るところも大きい。
戦艦たちばかりが六英雄として讃えられるが、日露戦争を勝利に導いた陰の功労者と言っても良いのである。
そういった地味ながらも輝かしい功績を残した事で、尉官クラスが普通の防護巡洋艦の艦魂の中にあって、
少佐という異例の高い地位を帯びている明石であるが、本人はそれを誇ろうともせず、今でも黙々と任務を
こなしている。
今回にしても、物心もまだつかない内に本国から遠く離れた異国の地に派遣された樺級駆逐艦の娘たちを
指導統率し、各国が絶賛する働きを得るまでに至ったのは、もちろん彼女たち個々の努力の賜物ではあるが、
明石のベテランならではの知識や経験から導き出されたところも又、大きく関与している。
河内は明石の飾らない人柄と共に、その優れた掌握術を敬い慕っているのだ。
「しかし、河内中将も連合艦隊司令長官を経験された身。私ごときが教えられる事は少ないと思いますが」
「私の務めた長官役は、平時の単なるお飾りにすぎません。
それよりも、同じ大日本帝国に生まれ、国家存亡の危機に立たされた二つの戦いを乗切って来られた明石様の
教えの方が、どれだけ私には役立つか」
「随分と買被られておられますね。私はそれほどの者ではありませんよ」
「いえ、本当です!」
河内はキッと明石を睨む。彼女は少しばかり強情なところがあった。
明石はそんな河内を哀れみを含んだ眼で見返すが、やがて諦めたかの様に小さく溜息を吐く。
「とにかく、私がお役御免となるのには、まだ少し時間があります。
桃級駆逐艦やフランス向け駆逐艦の竣工はまだこれからですし、本国からこちらに向うのも時間がかかります。
その間に私が出来る事でしたら何なりと」
「はい。それまでにじっくりと教えを乞う事にします」
河内は明石の返事に機嫌を戻し、笑みを溢す。
明石も微笑を浮かべるが、急に思い出した様に呟く。
「それにしても、今日はいつもとは人の動きが違う様な気がします」
彼女のこの発言に、河内も感じるところがあった。
「たしかに。佐藤(皐蔵)司令長官も先ほど出ていかれましたし・・・
何か起こるのでしょうか? 探りを入れた方が良いかもしれませんね」
松は生きた心地がしなかった。
戦艦「摂津」の全長は187m。端から端まで歩く訳ではないが、風呂までの道程が無限回廊に入ったかと
思われるほど果てしないものに感じる。
一糸纏わぬ姿の彼女は、比較的恰幅の良い上官の後ろを隠れる様に、おどおどと歩き続ける。
いつもの威勢の良い彼女の姿は、恥ずかしさの中に全く影を潜めてしまっている。
一方、その上官である摂津にしても松と同じ姿なのだが、こちらは恥ずかしさなど感じないのか、
全てを晒して堂々と歩いている。
時々行き交う乗員に対しては、見えないのを良い事に、おどけて敬礼までしてみせる余裕があるほどだ。
「ふ、副司令、もう止めましょうよぉ~ あたいたちが見える人間に会ったらどうするんですか?」
松は弱々しく摂津に訴える。
「大丈夫! 滅多にそんな人間はいないから!」
「でも、山口少尉みたいな人間も中にはいるんでしょ?」
「う~ん、だけど多聞さんだって私たち艦魂全員が見える訳ではないみたいだし、
万一、見える人が現れても、その時はその時だよ!
ほら松! あなたも帝国海軍軍人の一人でしょ! もっとしゃきっと歩かんか~!」
摂津は松の肩を鷲掴みにすると、今度は逆に盾の様に自分の前へと押出す。
「うわっ! わわわわわ! や、止めてください! 副司令!」
松は必死になって抵抗するが、駆逐艦の艦魂の悲しさ、体格も体力も戦艦の艦魂である摂津には敵わない。
「姉貴、もうあたい、耐えられないよ・・・」
摂津に言われるままに全裸となった松を、姉の榊は「がんばれ」と言って送り出してくれた。
その姿を想い浮かべながら、彼女は半ベソになって自分の身に課せられている羞恥プレイを呪った。
今回は防護巡洋艦「明石」の艦魂である明石少佐に対して、ちょいと詳しく書いてみました。
最初はチョイ役で階級も中尉だったのですが、何しろ工藤傳一先生の渾身の力作「わだつみの向こう─明石艦物語─」のヒロイン明石の先代ですからね。おいそれと失礼な扱いは出来ないのですw
実際、かなりの活躍をしている訳で、こりゃ中尉じゃ割に合わんなと少佐に昇格した次第。
(中尉と記されている箇所も順次修正する予定)
一方、当作品のヒロインである摂津ときたら、第2話に続いてヌーディストぶりを発揮する困った奴ですw
しかしこの攝津、「明石艦物語」では金剛と大喧嘩をしているのですから、ところ変われば分からないものですね。
ま、当作品は架空戦記であり、戦艦「摂津」からして史実とは大きく違っているのですが。