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第2話 見えるの?

戦艦「扶桑」の艤装員長に任ぜられるはずだった佐藤皐蔵大佐を、急遽少将に昇格の上、

遺欧艦隊司令長官に据えた戦艦「河内」および「摂津」は、呉を出港後、第11駆逐隊の四隻の駆逐艦

「杉」「柏」「松」「榊」を従え佐世保を出港した防護巡洋艦「矢矧」と合流。まずはシンガポールを目指す。


「第11駆逐隊を率います矢矧です。シンガポールまでですが、護衛を勤めさせていただきます」

「よろしくお願いします」


艦魂の矢矧は、河内と攝津に手短に挨拶を済ますと、直ちに自分の艦へと戻っていった。


3月1日、シンガポールに到着。

ここで「矢矧」は、先発していた防護巡洋艦「明石」とバトンタッチ。

「明石」は既に第10駆逐隊の四隻の駆逐艦「梅」「楠」「桂」「楓」を率いていたので、

遺欧艦隊の規模は戦艦2、防護巡洋艦1、駆逐艦8となった。

3月11日、全ての準備を整えた艦隊はシンガポールを出港。

インド洋を横断し、スエズ運河を通り、いよいよ欧州の戦場に赴くのである。



1914年6月末、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻を、セルビア人青年が銃撃した事に

端を発する第一次大戦は、戦場を瞬く間に欧州全土に広げた。

しかし、中心となるのは、特に海軍に関してはイギリスとドイツの争いといっても過言では無かった。

イギリスは当時、世界最大最強の海軍力を誇ったが、ドイツの急激な増強に焦りを感じていた。

そこで自国の海軍力を増強する一方、友邦国であり、欧州から遠く離れたアメリカおよび日本に応援を求めた。

特に日本に対し強く願ったのは、一番艦の建造を自国で行った最強の巡洋戦艦である金剛級の派遣である。

しかし、日本にとっては虎の子である最新鋭の巡洋戦艦をおいそれと差出す訳にはいかず、悩んだ挙句、

当時No.2の座にあった河内級戦艦二隻「河内」「摂津」の派遣を決定した。

一度決まれば行動は早く、開戦翌年の2月半ばには欧州へ向け出港したのは前述の通りである。

なお、この記述は史実通りでは無い。

史実において欧州への艦隊派遣は、戦争も後半に入った1917年であり、その中に河内級戦艦は含まれてない。

又、河内級戦艦自体も史実とは異なっている。

史実の河内級は、主砲に30.5cm砲連装6基12門を亀甲状に備え、日本唯一の弩級戦艦らしい艦容であったが

艦首尾側と艦舷側では口径比が異なり(艦首尾が50口径、艦舷が45口径)、みすみす弩級戦艦であるところを

準弩級戦艦に成下げた失敗作であった。

その点、この世界の河内級は、30.5cm砲連装6基12門である点は変わらないが、全門を艦首尾線上に

配置し、小ぶりな扶桑級といった艦容の進んだ設計である。

ちなみに12門全て50口径砲を採用しているが、史実の様な散布界のばらつきが大きいという欠陥は

見付かっていない。



「暑ぅ・・・」


「摂津」の艦魂である摂津は萎えていた。

呉を出港した時は、まだ初春で肌寒い程だったのに、インド洋に入ってからのこの暑さは何なのだろう?

後部甲板に背負い式に配された主砲塔の影で冷気を養いながら、彼女はふと、遠くの海面を見下ろす。

八隻の駆逐艦が、自分や姉の河内、そして明石を囲む様にして同行しているのが見える。

いや、見えるという表現は距離があるから適切ではないかもしれないが、艦魂同士、艦の舳先に立ち、

懸命になっているのが感覚的に解るのである。

同行している八隻は全て樺級二等駆逐艦であり、トン数にしてわずか600tあまり。外洋の大波は辛いだろう。

ややもすると遅れをとるところを、懸命に追従する姿は何とも健気である。

摂津も手伝ってやりたくなるが、艦魂である自分に出来る事は無い。

艦を操っているのはあくまでも人間だからである。

自分の身でありながら、自分の思い通りにならないのが何とも歯痒い。しかし、どうしようもない。



依然として暑い。摂津は「ふふっ」と笑い、茶目っ気を出してみる事にした。

帽子を脱ぎ、軍刀を外し、甲板に置いた。次に上着に手を掛け、それも脱いだ。

艦魂の普段の服装というのは、設けている国の海軍の軍装と同じである。

ついでに言うと、戦艦の艦魂は生まれながらにして将官で、摂津も少将の位を持っている。

連合艦隊旗艦となる戦艦は、その間だけ大将となる。

摂津には経験無いが、姉の河内は短い間ではあるが、この大将位に就いている。

今の大将はイギリス生まれの金剛だが、建造中の扶桑が就役する来年には、この位を譲る事になるだろう。

彼女は続けてズボンも脱いだ。シャツも、靴も、靴下も。

最後に下着までも脱いで、すっぽんぽんになってしまった。


「また、やっちゃった・・・」


摂津は自分の裸身を見ながら呟いた。

脱いだ服が飛ばない様に畳んで隅に寄せると、広い甲板を跳ぶ様に駆け出した。

搭載する砲によるものか、戦艦の艦魂である者の胸は一概に大きい傾向にある。

摂津もその例に漏れず胸は大きめで、走るたびにその清々しい身体が躍動する。

全てを露わにして受ける潮風が気持良い。彼女はこの感触が大好きだった。



しかし、本人が良くても、それを良しとしない者もいる。その筆頭が姉の河内だった。

摂津がこの姿で戯れているのを知られた時には、こっぴどく怒られた。

「帝国海軍に相応しい身なり・行動をしろ」だの、「部下の手本にならなくてはいけない」だの、

散々に説教を食らった。

大好きな姉は、ガチガチの軍人気質なのだ。

けれども、摂津本人は懲りもしない。このバレたら困るドキドキ感が堪らないらしい。困ったものだ。

しかも今は、姉以外にも天敵がいる。防護巡洋艦「明石」の艦魂である明石だ。

防護巡洋艦はその後の軽巡洋艦に該当し、艦魂は尉官クラスとなる。明石は中尉である。

「明石」の起工は日清戦争勃発直後の1894年。戦争には間に合わなかったが、その後日露戦争には

参加しており、六英雄と讃えられる富士級・敷島級戦艦六姉妹の長姉「富士」とは同期の大ベテランだ。

そんな明石中尉の風貌は、髪を頭上で纏め、細縁の眼鏡を掛けた有能な秘書のイメージをしている。

けれども摂津にとっては、おてんば姫に仕える女中頭か、うるさい小姑という方がぴったり来る。

当然、まだまだ青二才の摂津は経験豊富な明石に敵いっこなく、会えば皮肉が交じった小言を言われるのが

常だった。



摂津がそんな二人の事を思っていると、甲板に一人の男が現れた。

どうやら彼も休憩で、風に当たりに出てきたらしい。海面をぼんやり見ている。


「どうせ見えっこないんだし・・・」


摂津はしばらく彼を観察する事にした。

この時代の者としては背が高く、がっちりというより太り気味の体躯をしている。

顔付きは穏やかで人が良さそうに見えるが、軍人としての覇気はあまり感じられなかった。

今だったらメタボ予備軍か、秋葉原界隈を徘徊するオタクの風情である。

少なくともハンサムとは言い難い。

軍装は士官のそれだが、まだ若い。

摂津も知らない乗員だから今回初めて乗艦した新米士官なのだろう。

ふいに彼が振向いた。視線が合った。その瞬間、驚いた表情を浮かべた。

驚いたのは摂津も一緒だ。


「あ、あの・・・ もしかして・・・ 私のこと・・・ 見えちゃってる?・・・」


おそるおそる尋ねる。彼も驚きの表情の中に疑りの表情も加わり、怪訝そうに言った。

「ああ、見えてるよ。

だけど、君の様な娘さんが、そんな格好で、どうしてこの艦に乗っているんだい?

密航者なのか? それとも間諜か? だったら、ゆゆしき事になるが・・・」


摂津は立ちすくんだ。次の瞬間。


「い・・・いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


彼女の悲鳴は、艦隊中に響きわたった。

素っ裸になる艦魂というと、艦魂小説の大御所、伊東椋先生の葛城嬢もそうですね。

別に真似したって訳ではなく、私の小説の場合、艦魂に限らず

ヒロインはこの洗礼を受けなければならないという事で、御了承下さい。

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