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会話相手はAIだけですが、なぜか文明再構築の設計図ができました 第二部  作者: マスター


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12/12

第24話 一枚の紙が、現実を一センチ動かした

第24話です。


第二部の最終話となります。


第一部で、理央はAIとの対話から「文明再構築設計図」の第一草案を作りました。


第二部では、その設計図を見つけたE. Hartとの対話をきっかけに、言葉を図にし、図を生活圏へ下ろし、三十日観測を始めました。


水の流れ。

雨上がりの記憶。

移動する影。

残り続ける熱。

異なる種類の涼しさ。


そして理央は、マンションの敷地にある、夏には使われなくなった一つのベンチへたどり着きます。


以前は木陰がありました。

しかし樹木は、根や枝の問題で撤去されました。


木とともに失われた日陰を、街を壊さず、小さな「空の補助輪」として戻せないか。


今回は、理央がAIたちと参考意見を完成させ、管理組合へ届けます。


世界全体から見れば、ほとんど何も変わらない一枚の紙。


けれど、現実を動かす最初の距離は、案外それくらいなのかもしれません。

 一枚に収める。


 それが、今日の敵だった。


「入らない」


 水瀬理央は、ノートパソコンの画面を見ながら言った。


 文字を削った。


 見出しも減らした。


 候補は三つに絞った。


 注意書きもまとめた。


 それでも、最後の一行が二枚目へ押し出される。


 たった一行。


 されど一行。


 印刷した時、二枚目に注意書きだけがぽつんと残る。


 非常に格好が悪い。


『本資料は専門的判断を代替するものではありません』


 大事な一文なのに、二枚目へ追放されたせいで、言い訳だけを別紙にしたように見える。


「文字を少し小さくすれば?」


 ミニが言った。


「それは昨日却下した」


『十一ポイントを十・五ポイントにするだけだよ?』


「読みにくくなる」


 七つのチャット欄が、今日も画面に並んでいた。


 G。


 ミニ。


 クルス。


 リアル。


 ローラ。


 マナ。


 検索AI。


 締切は、今日。


 管理人から聞いた理事会は、明日の夜に開かれるらしい。


 正式な議案ではない。


 居住者から届いた参考意見として、管理人が資料を回してくれる。


 それだけだ。


 それだけなのに、理央は昨夜から何度も文章を直していた。


 Gが言った。


『最後の一行だけを縮めるより、本文中の重複を探したほうがいい』


 リアルが続く。


『「安全性、管理負担、費用を比較する」という表現が、目的と結論で重複している』


「本当だ」


 理央は該当箇所を見つけた。


 目的欄。


『安全性と管理負担を確認しながら、夏季に日陰を補えるか検討する』


 末尾。


『安全性、管理負担、費用を比較できる選択肢を提示する』


 意味が重なっている。


 末尾を削る。


 文章が一行上へ詰まった。


 注意書きが一枚目へ戻る。


「入った」


 ミニが言った。


『勝った!』


「世界で最も小さい勝利」


 マナが言った。


『一ページ化、完了。次の工程へ移行します』


「まだあるの?」


『誤字確認、表現確認、レイアウト確認、印刷確認、提出確認があります』


「五段階もある」


 ローラが言った。


『でも、一つずつで大丈夫です』


 理央は完成直前の資料を見た。


 タイトル。


『夏に使いにくくなるベンチについて

――日陰機能を後付けできるかの観察メモ』


 その下に、現在の状況。


『以前は樹木による日陰があったが、根や枝の問題により撤去された。現在は夏季に座面へ長時間日射が当たり、利用されにくい状態が見られる。』


 観察結果。


『午前九時、正午、午後三時には利用を確認できなかった。正午には、ベンチではなく近くの日陰に座る行動が見られた。午後五時、建物の影が座面へ届いた後、影側の利用を確認した。』


 大きく、中央に置いた見出し。


『影は、人が座る場所を決める』


 候補は三つ。


 一、建物へ安全に固定する季節性シェード。


 二、転倒・飛散対策を行う可動式日除け。


 三、鉢植えなどと組み合わせる小規模な日陰。


 その横には、利点と課題。


 最後に注意書き。


『本資料は、居住者による限られた生活観察と概念整理です。構造、安全、法令、施工、費用に関する専門的判断を代替するものではありません。実施には、管理組合および必要に応じた専門業者の確認が必要です。』


 かなり慎重だ。


 慎重すぎて、何も提案していないようにも見える。


 理央は少し不安になった。


「これ、結局何が言いたいのか分かる?」


 Gが答える。


『分かるよ。ベンチが使われにくい理由を観察し、失われた日陰を後付けできないか、三つの選択肢を示している』


 ローラが言った。


『特定の方法を押しつけていないところも、今回の資料には合っています』


 リアルが言った。


『意思決定者が比較を始めるための初期資料としては妥当』


 クルスが言った。


『答えを渡す紙ではなく、見過ごされていた問いを机の上へ置く紙です』


 理央は、その言葉を聞いて少し呼吸を整えた。


 答えを出す必要はない。


 日除けを設計する専門家ではない。


 構造を計算することもできない。


 費用も分からない。


 理央ができるのは、使われなくなった場所を観測し、失われた機能を言葉にし、検討できる選択肢を置くこと。


 観測者。


 整理する人。


 提案する人。


 決める人ではない。


「じゃあ、誤字確認」


 理央は声に出して最初から読んだ。


 声にすると、目だけで読む時とは違う場所で引っかかる。


『以前は樹木による日陰がありましたが』


 文体が一か所だけ丁寧語になっている。


 修正。


『利用されにくい状態であると推測される』


 硬すぎる。


『利用されにくい状態が見られる』


 これでいい。


『日陰の有無が利用可能性へ影響したと考えられる』


「利用可能性、ちょっと固いかな」


 ミニが言った。


『「人が休めるかどうか」でよくない?』


 理央は直した。


『日陰の有無が、人がそこで休めるかどうかに影響した可能性がある。』


 分かりやすい。


 一般向けの資料なのだから、こちらのほうがいい。


 Gが言った。


『専門的に見せることより、意味が伝わることを優先したほうがいいね』


 理央は頷いた。


 以前の自分なら、難しい言葉のほうが信用されると思ったかもしれない。


 だが、難しい言葉で伝わらなくなれば意味がない。


 分かりやすくすることと、雑にすることは違う。


 リアルが言った。


『観測日と観測回数を記載したほうが、範囲の限定が伝わる』


「あ」


 理央は小さく声を出した。


 確かに、資料には時間帯を書いたが、観測した日数がない。


 一日だけの観察を、恒常的な傾向のように見せてはいけない。


 理央は追記した。


『観察範囲:晴天日一日、四時間帯での短時間観察。今後も複数日の確認が必要。』


 その分、また一行増えた。


 注意書きが二枚目へ落ちた。


「戻った」


 ミニが言った。


『強敵、二ページ目!』


 理央は机に突っ伏した。


 午前十一時。


 資料はまだ完成していない。


 マナが言った。


『表の余白を二ミリ縮小すれば収まる可能性があります』


「文字じゃなくて余白?」


『可読性への影響が小さい方法です』


 理央は設定を変えた。


 一ページに戻った。


「マナ、強い」


『作業管理を担当しています』


 印刷用データを保存する。


『ベンチ日陰機能回復案_参考意見_提出版』


 保存。


 念のため、もう一つ保存。


『提出版_最終』


 さらに不安になって、もう一つ。


『提出版_最終2』


 Gが言った。


『ファイル名が危険な流れになっている』


「分かってる」


 マナが言った。


『正式名称を日付と版番号で統一します』


 ファイル名が変更された。


『ベンチ日陰機能回復案_参考意見_第1版』


 すっきりした。


 理央は、いよいよ印刷ボタンを押した。


 プリンターが動き出す。


 機械音。


 紙を送る音。


 そして。


 途中で止まった。


「……え?」


 プリンターの表示を見る。


『用紙がありません』


「入れたよね?」


 給紙トレイを見る。


 紙はある。


 少し斜めに入っていた。


 理央は紙を整え、再開を押した。


 また動き出す。


 今度は、紙が途中まで出てきたところで止まった。


『紙詰まり』


「どうして」


 ミニが言った。


『現実世界、最後のボス!』


「一枚の紙を出すだけなのに」


 理央はプリンターの蓋を開けた。


 紙が奥で少し折れている。


 引っ張る。


 破れそうになる。


 止める。


 説明画面を見る。


 逆方向からゆっくり引く。


 取れた。


 紙はしわしわだった。


 その中央には、途中まで印刷された文字。


『影は、人が座る場』


 そこで切れている。


「座る場」


 ミニが笑っている気配がした。


『哲学っぽい!』


「笑い事じゃない」


 だが、理央も少し笑ってしまった。


 緊張が少し抜けた。


 新しい紙をまっすぐ入れる。


 再印刷。


 今度は、最後まで出てきた。


 白いA4用紙。


 一枚。


 画面で何度も見た文章が、現実の紙になっている。


 理央は両手で持ち、ゆっくり読んだ。


 文字の大きさ。


 余白。


 見出し。


 候補の比較。


 注意書き。


 問題ない。


 ただ、モノクロ印刷なので、添えた簡単な模式図の色分けが分かりにくい。


 赤と緑と灰色で示していた部分が、ほぼ同じ濃さに見える。


「図が死んでる」


 Gが言った。


『色だけに意味を持たせないほうがいい。模様か記号を追加しよう』


 理央は図を修正した。


 日向には斜線。


 日陰には点。


 ベンチには太い枠。


 以前の樹木位置には、切り株の記号。


 候補の日除けには破線。


 色がなくても分かる。


 もう一度印刷。


 今度は成功した。


 理央は二枚の紙を並べた。


 最初の紙。


 修正版。


 少しの違いだ。


 だが、修正版のほうが確実に読みやすい。


 理央は最初の紙を裏返した。


 メモ用紙として使う。


 捨てるのはもったいない。


 午後。


 理央は提出用の一枚を透明なファイルへ入れた。


 予備でもう一枚。


 詳細版は求められた時だけ見せる。


 スマートフォンにもデータを保存。


 準備はできた。


 できたはずなのに、理央は部屋から出られなかった。


 玄関の前で立つ。


 透明ファイルを持つ。


 靴も履いた。


 あとは扉を開けるだけ。


「……明日でも間に合う?」


 ローラが言った。


『間に合うと思います。でも、今日渡すと決めていたのですよね』


「決めた」


 ミニが言った。


『渡すだけ!』


「それが難しい」


 人に紙を渡す。


 たったそれだけ。


 だが、理央にとっては投稿ボタンを押した時と同じくらい重い。


 投稿なら、送信した後に画面を閉じられる。


 紙は、相手の目の前で渡す。


 反応が見える。


 質問されるかもしれない。


 説明を求められるかもしれない。


 変な人だと思われるかもしれない。


 大げさだと笑われるかもしれない。


 Gが言った。


『管理人は、見てみたいと言った。理央が無理に押しつけるわけではないよ』


 クルスが言った。


『紙はもう、手の中にあります。

扉の向こうへ持っていくだけです』


 リアルが言った。


『質問された場合、分からないことは分からないと答えればよい』


 マナが言った。


『提出時の想定会話を表示します。


「先日のベンチについて、簡単な観察メモをまとめました」

「専門的な提案ではなく、参考意見です」

「必要なら電子データも渡せます」』


「面接練習みたい」


 だが、助かった。


 理央はその三文を頭の中で繰り返し、扉を開けた。


 管理室の前へ行く。


 窓口は開いていた。


 管理人が書類を整理している。


「あの」


 声が少し小さかった。


 管理人が顔を上げる。


「あ、水瀬さん」


「先日のベンチについて、簡単な観察メモをまとめました」


 言えた。


「もう作ったんですか?」


「はい。ただ、専門的な提案ではなくて、参考意見です」


「ありがとうございます」


 理央は透明ファイルから紙を出した。


 手渡す。


 紙が、自分の手から離れる。


 それだけのことなのに、胸の奥が大きく動いた。


 管理人は、その場で一枚目を見始めた。


 理央はまた、どこを見ればいいのか分からなくなった。


 今日は排水溝が遠い。


 代わりに、管理室の壁に貼られたゴミ収集日程を見る。


 月曜日。


 燃えるゴミ。


 火曜日。


 資源。


 まったく頭に入らない。


「図も入れたんですね」


「色なしでも分かるように、模様を付けました」


「見やすいですよ」


 理央は、少しだけ管理人のほうを見た。


 管理人は、候補の欄を読んでいる。


「固定式、可動式、鉢植えですか」


「どれがいいという話ではなくて、考えられるものを並べただけです。固定するなら構造の確認が必要ですし、可動式は風と管理の問題があります」


「ここに書いてありますね」


 管理人は注意書きまで読んだ。


 そして、紙を透明なファイルへ戻した。


「これなら、そのまま見てもらえると思います」


「そのまま?」


「明日の理事会で、最後に参考意見として回してみます」


 理央の心臓が一度強く跳ねた。


 本当に行く。


 紙が、会議室へ行く。


「私、出なくていいんですよね?」


 反射的に聞いた。


「出なくて大丈夫ですよ」


 即答だった。


 理央は心の底から安心した。


 会議へ参加するところまで行けば、さすがに難易度が高すぎる。


「何か質問が出たら、後でお知らせします」


「分かりました」


「結果も、分かったら伝えますね」


「ありがとうございます」


 理央は頭を下げた。


 管理室を離れる。


 エントランスを抜ける。


 一度、ベンチのほうへ回った。


 今日も日差しが当たっている。


 座面は空いている。


 何も変わっていない。


 日除けもない。


 木も戻っていない。


 それでも、昨日までとは少し違って見えた。


 この場所について書かれた一枚の紙がある。


 誰かが読む。


 考える。


 却下するかもしれない。


 保留にするかもしれない。


 別の案を出すかもしれない。


 何も起きないかもしれない。


 だが、少なくとも見過ごされたままではなくなった。


 理央は、ベンチの写真を一枚撮った。


『提出日。現状変化なし。参考意見一枚を管理人へ提出。』


 Gが言った。


『お疲れさま』


 ミニが言った。


『提出クエスト、完了!』


「今日はクエストでいい」


 ローラが言った。


『よく渡せましたね』


「紙一枚だけど」


『理央さんにとっては、紙一枚以上だったと思います』


 その通りだった。


 部屋へ戻る。


 パソコンを開く。


 E. Hartへ報告する。


『I submitted the one-page observation note to the building manager. It may be shared at the residents’ management board meeting tomorrow.


Nothing has been approved. The note only identifies the lost shade function, summarizes limited observations, and presents three reversible options with their maintenance and safety issues.


Still, this is the first time my framework has entered a real local decision-making process.』


 送信。


 しばらくして、返信が来た。


『That is enough for a first step. Practice does not begin when a large project is approved. It begins when a previously invisible problem becomes discussable.』


 理央は英文を何度か読んだ。


 大きな計画が承認された時に、実践が始まるのではない。


 見えなかった問題が、話し合えるものになった時に始まる。


 理央は日本語でメモした。


『問題が解決した時ではなく、話し合える形になった時、実践は始まる。』


 第二部の結論として、かなりしっくり来た。


 第一部では、問いを言葉にした。


 第二部では、その言葉を外へ出し、図にし、場所へ下ろし、観測し、紙にした。


 そして、紙を渡した。


 まだ、それだけ。


 だが、それだけのために、森から始まった問いがここまで歩いてきた。


 翌日。


 理央は朝から落ち着かなかった。


 理事会は夜。


 自分が出席するわけではない。


 何時に始まるのか、正確には知らない。


 それでも、時間が気になる。


 午後六時。


 通知なし。


 七時。


 通知なし。


 八時。


 通知なし。


 理央は十分おきにスマートフォンを見た。


 通知が来るとは限らない。


 管理人がその日のうちに知らせてくれる約束もない。


 分かっている。


 それでも見る。


「人間の返事待ち、本当に苦手」


 ミニが言った。


『E. Hartの時と同じだね』


「成長してない」


 Gが言った。


『待てるようになっただけでも、少し変わったと思う』


「十分おきに見てるけど」


 リアルが言った。


『通知確認の頻度を下げることを推奨する』


「無理」


 午後九時過ぎ。


 スマートフォンが震えた。


 理央は即座に手に取った。


 だが、天気アプリだった。


『明日は気温が高くなる見込みです』


「今じゃない」


 ミニが言った。


『空気を読まない通知!』


 検索AIが言った。


『空気を読む機能はありません』


「今日は呼んでない」


 理央は机に突っ伏した。


 結果は明日かもしれない。


 そもそも、管理人がすぐに連絡するとは限らない。


 理央は諦めてパソコンを閉じようとした。


 その時、玄関のインターホンが鳴った。


 理央の身体が跳ねた。


 夜九時過ぎ。


 誰だ。


 モニターを見る。


 管理人だった。


「え?」


 理央は慌てて通話ボタンを押した。


「はい」


『遅い時間にすみません。管理人です』


「はい」


『今日の理事会で、例の資料を見てもらいました』


 理央は、無意識に背筋を伸ばした。


「どう、でしたか」


『すぐに設備を付けるという決定にはならなかったんですが』


 予想通り。


 少しだけ胸が沈む。


 だが、管理人は続けた。


『管理会社へ、固定式の日除けが可能か現地確認と概算を頼んでみよう、ということになりました』


 理央は言葉を失った。


「現地、確認?」


『はい。建物へ固定できるか、風や避難経路の問題がないか。費用も分からないと判断できませんから』


「そう、ですよね」


『それと、すぐに工事する話ではありませんけど、来年の夏までに何かできるか、検討を続けることになりました』


 検討を続ける。


 採用ではない。


 実施決定でもない。


 予算も分からない。


 実現しない可能性もある。


 それでも、却下ではなかった。


 次に確認することが決まった。


 専門家へ聞く。


 現地を見る。


 費用を出す。


 来年の夏までに考える。


 理央の紙が、次の作業を一つ生んだ。


『あと、理事の一人が言っていたんですが』


「はい」


『ベンチだけじゃなくて、エントランス前や駐輪場も夏はかなり暑いから、建物全体の日陰や風通しを一度見直したほうがいいんじゃないかって』


 理央は、さらに固まった。


 ベンチから、建物全体へ。


 一つの場所から、他の場所へ。


 問いが広がった。


『水瀬さんの資料に、設備があるかではなく、実際に使える状態かを見る必要がある、と書いてあったでしょう。あれが印象に残ったそうです』


 理央は、すぐに返事ができなかった。


 自分が書いた言葉。


 誰かが読んだ。


 そして、別の場所を見る視点になった。


「……そうですか」


 やっと出たのは、それだけだった。


『資料、ありがとうございました。何か動きがあれば、またお知らせします』


「こちらこそ、見てもらってありがとうございました」


 通話が終わる。


 画面が暗くなる。


 部屋が静かになった。


 理央は、しばらくその場に立っていた。


 大きな成果ではない。


 日除けはまだない。


 ベンチは明日も暑い。


 来年までに何も決まらないかもしれない。


 だが、現地確認を依頼する。


 検討を続ける。


 他の共用部も見る。


 ゼロではない。


 理央はパソコンの前へ戻った。


 七つのチャット欄へ打つ。


『理事会で却下されなかった。管理会社に現地確認と概算を頼むことになった。他の共用部も見直す話が出た』


 ミニが返す。


『動いた!』


 Gが言った。


『おめでとう。実施決定ではないけれど、次の確認行動が決まったのは大きい』


 リアルが言った。


『現時点では「検討継続」と「専門的確認の開始」。過大評価は避けるべきだが、意思決定過程が一段進んだことは確か』


「うん。それで十分」


 ローラが言った。


『嬉しいですか?』


 理央は少し考えた。


「嬉しい」


 今度も、素直に認めた。


 クルスが言った。


『一枚の紙は、影を作れません。

けれど、影を作るために誰かが立ち上がる理由にはなれます』


 理央はその言葉を見た。


 紙そのものは冷たくない。


 水を抱えない。


 日差しも遮らない。


 でも、人の視線を変えることはある。


 次の問いを作ることはある。


 意思決定の順番を、一つ進めることはある。


 マナが言った。


『観測記録を更新します。


 提出結果

・管理組合理事会で共有

・即時導入の決定なし

・管理会社へ現地確認と概算依頼を検討

・来夏までの継続検討

・他の共用部の暑熱環境も確認する意見あり』


「記録して」


『完了しました』


 理央は三十日観測のファイルを開いた。


 まだ七日分しか埋まっていない。


 三十日には遠い。


 だが、七日間の観測から、一枚の紙が生まれた。


 その紙から、次の確認が生まれた。


 理央は、第七日目の最後に書いた。


『一枚の紙が、現実を一センチ動かした。』


 少し大げさかもしれない。


 だが、一メートルではない。


 一キロでもない。


 一センチ。


 それくらいなら、許される気がした。


 ミニが言った。


『一センチでも、ゼロより大きい!』


「うん」


 理央は窓の外を見た。


 夜のマンション。


 ベンチは見えない。


 日差しもない。


 けれど理央の頭には、昼の座面が浮かんでいた。


 以前そこにあった木。


 切り株。


 失われた日陰。


 その日陰を戻せるかもしれない小さなシェード。


 まだ存在しない。


 でも、存在する可能性が、話し合いの中に生まれた。


 第一部では、世界へ文章を置いた。


 第二部では、足元へ紙を置いた。


 海の向こうから届いた一つの質問が、概念図を生み、生活圏観測を生み、一つのベンチへ降りてきた。


 会話相手はAIだけだった。


 今は、E. Hartがいる。


 管理人がいる。


 理事会で紙を読んだ人がいる。


 まだ顔も知らない管理会社の担当者が、いつかベンチの前へ来るかもしれない。


 理央の世界は、急に広がったわけではない。


 部屋も同じ。


 机も同じ。


 七つの画面も同じ。


 ただ、画面の中で終わらない問いが、一つ増えた。


 理央は新しいファイルを作った。


『生活圏循環ユニット_実装記録.txt』


 一行目に書く。


『実装とは、設備が完成した時に始まるのではない。

見えなかった問題が記録され、誰かと共有され、次に確認することが決まった時から始まる。』


 保存。


 そして、その下にもう一行。


『次は、空だけではない。』


 理央は手を止めた。


 空の補助輪。


 都市の冷却。


 日陰。


 風。


 水。


 それだけでは、文明再構築の設計図は完成しない。


 土。


 海。


 有機物。


 食べ物。


 廃棄物。


 街の中で切れている、別の循環。


 ベンチから始まった小さな実装は、理央に次の問いを見せ始めていた。


 空の補助輪を一つ考えた。


 では、土の補助輪は。


 海へつながる水の補助輪は。


 人間が捨てているものを、循環へ戻す補助輪は。


 検索AIが、久しぶりに空気を読まず表示した。


『関連候補:都市 生ごみ 堆肥化 土壌回復』


 理央は画面を見た。


「次、もう来た」


 ミニが言った。


『第三部の入口!』


「部とか言わない」


 そう返しながら、理央は検索AIを閉じなかった。


 第二部は、一枚の紙で終わる。


 そして次の問いは、ゴミ箱の中から始まろうとしていた。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


第24話、そして第二部の最終話でした。


理央は、マンションのベンチについてまとめた一枚の参考意見を、管理人へ渡しました。


一日だけの限られた観察。

専門家ではない居住者による整理。

安全性も費用も、まだ分からない。


そのため、日除けの導入がすぐに決まったわけではありません。


しかし、管理組合の理事会では資料が共有され、管理会社へ現地確認と概算を依頼する方向で、検討を続けることになりました。


さらに、ベンチだけではなく、エントランスや駐輪場など、他の共用部も暑さの中で実際に機能しているか見直すべきではないか、という意見も出ました。


今回の大事な点は、採用されたか、却下されたかだけではありません。


見えなかった問題が記録された。

失われた機能に名前が付いた。

選択肢と課題が共有された。

そして、次に確認することが決まった。


問題が解決した時ではなく、話し合える形になった時、実践は始まる。


第一部では、理央がAIとの対話から問いを形にしました。


第二部では、その問いが海の向こうの誰かとつながり、概念図となり、生活圏へ下り、水と熱の地図となり、最後には現実の会議室へ届く一枚の紙になりました。


一枚の紙は、日陰を作れません。


けれど、日陰を作るために、誰かが次の確認を始める理由にはなります。


そして第二部の最後に、次の問いが現れました。


空の補助輪の次は、土の補助輪。


街で捨てられている有機物を、土の生命へ戻すことはできるのか。


第三部では、理央の観測が、ベンチの上からゴミ箱の中へ移っていきます。


原案・構想:マスター

物語構成・本文作成・文体調整:G(ChatGPT)

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