1. 森の内
『ヤマ! あの客人はいつまで森にいすわるつもりなんですか』
足音も高く、ヤマと呼んだ年嵩の女にジルヴァは詰め寄った。
日にさらして乾燥させた四足の獣の肉を丁寧な手つきで枯葉に並べていたヤマは、年月の刻まれた皺だらけの手を口元に当てた。
『珍しいね、其方がこちらに来るのは』
手で隠したのは呆れか物珍しさか。
女は枯葉の束を蔓でかんたんにまとめると、肩をいからせたジルヴァに座るようすすめる。落ち着いた所作に、ジルヴァはむっとしながらもおとなしくその場に腰を据えた。
民の住戸は基本的には樹の洞だ。太古に横倒れ、腐った年輪がうつろになったのを利用しているのが大半だ。女の住処はまだ真新しい樹の香りがした。
角の容器にためた朝露に蜜をたらし、女はジルヴァに渡した。
『……ヤマ。あの男は、いつになったら外へ行くのですか?』
朝露はややぬるく、蜜はうすく舌に甘い。ジルヴァは気色ばんだ頭がしずまっていくのを感じた。すっかり険のとれた顔色に向けて、女はあいまいに笑う。
『さてね。枝葉に尋ねてはいるが、まだ返事はないようだ。なにか困ったことでも起きたのかい?』
『困ったというか』ジルヴァは口ごもる。『困ってはいないけれど、なんだか、その』
『──受け入れがたい、かね』
『そういうわけではなくて……』
女は静かに次の言葉を待つ。
『アドクィーレを、あの客人をどうしても、僕たちと同じものに思えないんです』
『同じものではないからねえ』
『えっ?』
『はてさて、どこから解きほぐしてやったものか……』
洞には、他の民の住戸にはないものが揃えられていた。女の背後の古木の幹を割いた跡にはくぼみがあり、枝を削り握りやすいように工作したペン、樹皮を薄くなめて書きつけができるように帳簿に綴じたものが収まっている。外から訪れた男が身の回りに持ち込んだ代物に形が似ている。
頭上から床までを通して細工された棚は、奇妙な圧迫感があった。
ジルヴァが呆気にとられていると、女はそのうちから小ぶりな岩の板と泥の下で腐りかけた骨片を選んだ。膝の上にのせた板に、こつこつだかガリガリだか形容しがたい音とともに骨片を打ちつける。
女が板に記したのは、丸だった。ひとつ、ふたつ、みっつと丸を白線でこしらえると、ジルヴァに板を掲げてみせる。
『まず、これが私たち』と、丸のひとつに点を打つ。『そしてこれが、客人──外に住むものたち』先ほどの丸から離れたふたつめの丸に点を打つ。『最後に、私たちと外に住むものたちの祖となるものだ』
ふたつの丸を囲うほどに大きなみっつめの丸に、線を描く。
『祖となるもの、ですか?』
『元々は、私たちも外で生きていたからね。ずっとずっとの昔だが』
女は懐かしむように目を細めた。
『ある時、森にたどりついた祖は、外に見切りをつけて森に住まうようにこの地と約定を結んだ。それまで客人と同じ生きものだった私たちは、森に住む生きものに変わったということだ』
女の語る内容は初耳だった。ジルヴァは角から露をすすり、時間をかけて唾とともに蜜の味を飲み下した。
『……僕たちは、この話を教えてもらったことがありません』
『種守の役を負ったものにのみ伝えられる。其方を種守に任ぜる予定だったからな、客人が現れたのを良い機会として今教えたんだ』
森に生きる民にとって、種守は重要な役目だ。今代は唯一、眼前に座る女だけだった。
『では、ヤマも客人を相手したことがあるのですか?』
『其方の親が生まれるよりも昔のことだよ。そこで私も先代から教わり、これらの道具も受け継いだ』
『先代も、その先代から伝えられた……?』
『そうさ、だから其方が客人を受け付けないのも無理はない。あれは私たちと同じものではない、けれど訪いがあれば招き入れて客とする。これは森との約定のひとつだ』
『約定』
また知らない言葉だ。ジルヴァは恐る恐る声に出す。
『そう、約定。まあ、これらもいずれは伝えよう。今はまだ、客人の帰りは今ではないということだけ覚えておきなさい』
『はい……』
困惑した表情でしきりに瞬くジルヴァに、女は板を下げて元の場所に戻した。
『さあ、ひとまずはこれまでどおり過ごしなさい。客人はときが来れば帰られる、それまでの辛抱だ』
すっかり朝露を空にした角をジルヴァから受け取ると、女はそっと若者の腕を撫でた。梢がそよぐような軽やかさに、ジルヴァは不承不承ながら肩を落とした。
『では、また』
『ああ、また』
不意にジルヴァの胸に、ある疑問が浮かんだ。──アドクィーレはこの由縁を知っているのだろうか?
平生の態度を見るに知らないような気もするが、知っていたとしてもアドクィーレの民への評価は変わらない気がした。
短め更新です。
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