第4章「妻と柴犬」⑪
昔から、吾郎と登紀子は、あまり打ち解けて話すことができなかった。
それは、息子の秀夫が、初めて登紀子を伴って吾郎の自宅を訪れたときから、ずっと変わらない。
妻の美都子は正反対で、何かと登紀子に話しかけ、じぶんで勝手に笑いだしながら、
「ねぇ、うちのお父さん変わってるから」などと言って、吾郎を話題に会話を弾ませる。そんなとき、吾郎が横目で嫁の表情をみると、つつましやかだが笑顔になっていた。
美都子の葬儀の日、ずっと登紀子は忙しそうに立ち働いており、吾郎も慌ただしさの中で、彼女とあまり言葉を交わさなかった。
参列者のほとんどが帰った斎場で、吾郎が外から戻ろうとしたとき、一人椅子に腰かけた登紀子がいた。彼女は遺影をみつめ、静かに涙を流していた。
吾郎は、彼女に気づかれないようにして部屋の外に出た。目を閉じたまま、深く息を吐く。物音ひとつ聞こえない、寒い夜だった。
美都子がいなくなったことで、吾郎は登紀子との接点が失われたように感じた。
病室を訪れた登紀子は、スーツ姿だった。日中は働いているはずだから、急遽仕事を休んできたのだろう。吾郎は再び申し訳なく思いつつ、それでも、昨日の経過と、現在の体の状態を説明した。
いつも冷静な登紀子も、少し動揺したような表情を見せたため、吾郎は慌てて、
「そこまで深刻じゃないから」と言葉を補って、彼女を落ち着かせようとした。
登紀子は、すぐ平静さを取り戻し、
「私は、何をすればよろしいでしょうか?」と吾郎に尋ねた。
「あなたを煩わせてすまないけれど」と吾郎は前置き、それから、
「昨日、お世話になった方たちに、ご報告とお礼をお願いしたい」と彼女に伝えた。
事前に用意しておいたメモ用紙に、いくつかの説明を書いておいた。
登紀子は吾郎からうけとったそれを、真剣な顔をして確認した。
「それから、もう一つお願いが」と吾郎の声で、彼女が顔を上げ、じっと目を見つめる。こんな風に真正面から向き合ったことは、あまりなかった。
これから持ち出す話が、彼女にさらなる迷惑をかけるため、吾郎は躊躇した。しかし言わざるを得ない。
「八太郎のことなんだが」
登紀子は、目を大きく開き、吾郎が今まで見たことがないような表情をした。
吾郎は、少しひるんだが、続けた。
「しばらく、預かってもらえないだろうか」




