第4章「妻と柴犬」⑩
吾郎が、もう一度目を覚ましたとき、ちょうど病状を確認しにきた女性の看護師と目が合った。びっくりした女性は、手に持っていた紙ばさみを落とした。板の裏面が床にあたって大きな音を立てた。
「驚かせてすみません」と吾郎は謝った。
看護師は、深呼吸をすると、
「大隈さん、ご気分はいかがですか?」と笑顔で話しかけてきた。
少し会話をかわすと、看護師は医師に連絡をとり、すぐに訪れた担当医が、心音や脈拍の確認をしてくれた。
「どこか痛いところがありますか」と聞かれたため、
「首の後ろがなんだか気になります」と吾郎は伝えた。
医師が見ると、襟足のあたりに虫刺されのような小さな赤い腫れがあり、膨らみのてっぺんに、小さな窪みが存在した。
「ふうん」と医師は考え込むような顔をして、
「あとで検査をしましょうね」と吾郎に伝えると、病室を出ていった。
それから、吾郎は看護師に、自分の身内に連絡を取りたいと伝えた。
看護師は吾郎から連絡先を聞き、詰所の電話を使って、息子の家に知らせてくれた。
「たぶん、秀夫は来ないだろう」と吾郎は思った。仕事の忙しさもあるが、あいつは自分では動こうとはしない。面倒なことはいろいろ理由をつけて人に任せる。
そして案の定、息子の嫁が病室にやってきた。
彼女を煩わせたことを、吾郎は申し訳なく思っていたが、当の本人は、感情の読み取れない表情で、不機嫌かどうかも判らない。
「登紀子さん、面倒をかけてすまない」と吾郎は詫びると、
「いえ、構いません」と彼女は言って、ベッドの横の椅子に腰かけた。
しばらく無言だったが、やがて、
「体調は、いかがですか」と気遣うように問いかけてきた。




