第4章「妻と柴犬」③
「吾郎さん、今度のお休みに、ここに行かない?」
亡くなる少し前のころ、そういって美都子はチラシを見せてきた。
チラシには保護犬の譲渡会のことが書かれていた。
「犬を飼いたいのか」と吾郎が問いかけると、美都子は少し考えるような顔になり、「どうだろう」と答えるでもなく呟いた。
それから、「いちど行ってから考える」と微笑んだ。
譲渡会の会場は、そこそこ人が多かった。
色んな犬種の犬がいた。犬たちの年齢も幅広かった。
小型犬で、まだ幼さの残る犬は人気があるようで、参加者が多くケージの前に集まっていた。
吾郎は、それほど興味もなく、会場をうろついていたが、ふと、美都子が隅の方にあるケージの前に立ち止まっているのをみつけた。
近づいて覗くと、あまり若くなさそうな柴犬がいた。顔つきは利口そうだが、吾郎にはなんだが疲れているように見えた。
美都子は、じっとその柴犬を見つめ、「へー、そうなの」と一人で相槌をうっていた。柴犬は無言なのに、まるで会話をしているように見えた。
「どうしたんだ」と吾郎は少し不安になって妻に話しかけた。
美都子は、はっとしたような顔をして、夫の顔を見つめると、
「ううん、何でもない」と答えて笑った。
「ねぇ吾郎さん」と美都子はまじめな顔になり、
「私、この子を引き取りたいの」と言った。
それから、美都子は譲渡会の運営者に、さきほどの柴犬の譲渡予定を確認し、まだ未定なことを聞くと、自分たちを候補に入れてもらえないかと頼み込んだ。
吾郎は、妻がそこまで年老いた柴犬にこだわる理由が判らなかったが、美都子がそんな風に希望を通そうとすることは珍しいことだった。
戸惑いもあったが、今までの仕事優先の生活を妻に強いてきたことへの埋め合わせのつもりで、妻の希望をかなえようと思った。
そのあとすぐに、美都子の病がみつかった。




