第1章⑤
今の時間、レジには一人、さっき声を聞いたアルバイトの青年だけだった。
私の正面、棚の間の通路のまっすぐ先、レジの前には先ほど見た、いかつい顔の老人がいる。私は、老人の背後に人が通れる空間を残して、彼の後ろに並んだ。
老人は公共料金か何かの支払いを行っているようで、店員と言葉を交わしながら、カウンターで署名をしていた。それが終わり、まっすぐ背を伸ばす。この人、姿勢がいいなと私は思った。
ちょうど、そのとき、店内にいたもう一人の男性客が、私と老人の間の空間を横切り、そのまま出口に歩いて行った。
なんとなく横切った男性を目で追ったあと、視線を正面に戻すと、老人が、背を前に丸め、そのまま微動だにしなかった。
「どうされましたか」とアルバイトの青年が不安げに声をかける。背後の私には、老人が両手を胸に当てているように見えた。
急に老人の全身から力が抜けたようになり、そのまま、ゆっくり後ろに倒れはじめた。
「あぶない」と私は声にしたか、それとも、心で思っただけかもしれないが、老人の背中をとっさに支えようとした。老人は自分自身を保持する力を失ったようで、そのまま全体重が私に加わってきた。よろけそうになりながら、懸命に支えつつ、そのまま腰を落として、なんとかゆっくりと床に老人の体を横たえた。
老人の顔は白く見え、苦しそうな表情をしていた。
レジの正面のアルバイト青年がびっくりした顔で、「大丈夫ですか」と声をかける。
そのとき店外から、犬の吠える声が聞こえた。
同時に、自動ドアが開き、ドアの側にいた女性が店内に急いで入ってくる。
女性はこちらの様子を見て、「救急車を呼びます」とスマホを操作し始めた。
「いや、いい」と老人は倒れたまま、両手を振ったが、その手も震えていた。
女性は再度老人を見つめると、
「やっぱり呼びます」と宣言した。
老人はそれ以上は反論しなかった。