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第3章「綾子の事情」⑩

綾子が家に帰ると、玄関で母親が待ち受けていた。

「なんで遅くなったの」と母親は責めるような口調だった。

待つ間の不安が、怒りに変化していたのだろう。

だが、綾子は母親の態度は仕方がないことだと思った。彼女たちにとって、帰る約束が守られないのは辛いことだった。

綾子は、母親の気持ちをやんわり受け止めるように、彼女の言葉をききながら、それから少しづつ、コンビニで起こった出来事を順序立てて説明していった。

話を聞くうちに、彼女は落ち着きを取り戻し、

「そんなことがあったの」と素直に驚いた。

「母さん、それでね」と綾子はスマホを取り出すと、さきほど撮影した、柴犬のハチタロウの写真を彼女に見せた。

「あら、かわいい」と母親は少し声を弾ませた。彼女も犬好きだった。

老人に頼まれたこと、今晩一日だけ前原さんという人のうちに預かってもらえることになったことを告げ、

「明日から、しばらくうちで預かってあげたいの」と綾子は母親に切り出した。

彼女は少し考え込んだが、すぐに

「いいんじゃない」と答えた。

もう少し抵抗されるかとも思っていたので、綾子は少し驚いた。

「お困りでしょうし」と母親はもういちど写真を眺め、

「かわいいし」と微笑んだ。

綾子は安堵し、じゃ、前原さんにもそう伝えるねと言いつつ、頭の中では、ハチタロウの言葉は、母さんに聞こえるだろうか、とも考えていた。

そもそも犬の言葉が聞こえるなんて、今晩起こった出来事の興奮で、頭がおかしくなっているのだろうか。

綾子は、内心の動揺を母親に悟られないよう、冷静を装いつつ、部屋の隅を片づけ、ハチタロウの寝床になりそうなスペースを準備することにした。

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