第3章「綾子の事情」②
いつもなら、弟は電話をしたあと、15分くらいで帰ってきた。
だが、その日は、15分を過ぎても帰って来ない。
綾子は、帰り道の途中のコンビニに立ち寄っているのだろうと思った。
30分を過ぎたころ、母親が不安そうに、「まだなの」と綾子に問いかけてきた。
綾子は嫌な予感がして、弟の携帯に電話をかけたが、応答はない。
1時間が過ぎ、母親が、どうしよう、迎えにいかなきゃ、と狼狽するのを、綾子は懸命に落ち着かせようとしていたが、そのとき、自宅の電話が鳴った。
弟の体はスチールの寝台の上で、布をかぶせられていた。
担当の刑事から本人確認を求められ、綾子は弟の遺体と対面した。
後日、週刊誌に書かれていた情報では、弟は血だまりの中にうつぶせに倒れていたらしい。
だが、その時の弟の顔は、血の痕跡が全く残らないように、綺麗に清められていた。
毎日見ていた、生意気な弟の顔が、目を閉じてそこにいる。
「弟に間違いありません」
綾子の答えに、担当の刑事は頷き、それから悔みの言葉を静かに述べた。
母親は、部屋の外で泣き崩れていて、綾子が慰めても、無駄だった。
母親の悲しみを押しとどめることなど、そんなこと到底、出来るわけがない。
綾子は、突然の理不尽な出来事に、悲しみよりも怒りを覚えていた。握りしめた拳の中で、爪先が手を傷つける。どうして、私たち家族にこんなことが起こるのか。
絶対に、犯人を許さない、と綾子は心の中で誓った。
未成年の犯罪の情報について、被害者遺族に対しても、警察は正確なものは与えてくれなかった。
犯人は、未成年の男性で、親の虐待から逃げ出し、ネットカフェに転がり込んでいたらしく、その後、手持ちの金銭が尽きそうになると、自分の体を売ってお金を稼いでいたそうだ。
この情報も、後日週刊誌から知った。
「もうどうでもよくなった」と少年は思い、街で見かけた、幸せそうな人間から金を奪おうと後をつけた。
「俺が声をかけると、そのスーツ姿の男は、俺を見下すような目をした」
「俺は、かっとなって持っていたナイフで、男の腹を何度も刺した」
こんなことが、本当のことのように週刊誌に書かれていた。
まるで、刺した少年よりも、刺された人間の態度が悪かったとでもいうように。
報道のもたらす情報で、弟が、比呂が、何度も殺されていく気がした。




