表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/54

第3章「綾子の事情」①

伊藤綾子は、八太郎と自宅に向かって歩いていた。

月は高く、息が白い。

アスファルトに刻まれる、規則的な八太郎の足音が耳に心地よく響く。

昔に比べると、上手に散歩できてるなと綾子は思いつつ、彼の顔を見つめると、

視線に気づいたようにこちらを振り返る。

「このペースで大丈夫?」と彼が確認しているようだ。

綾子は苦笑する。私じゃなくて、彼が散歩してくれてる。

やはり、弟がいたころと同じだな、と彼女は思った。


「姉さん、マルに散歩されてる」

「比呂、うるさい」


弟は、綾子の後ろから笑いながら声をかけてきた。

そのころ、伊藤家ではマールという名の茶色の中型犬を飼っていて、弟は縮めて「マル」と呼んでいた。そのうち、家族みんなも同じように呼び始め、本名マール、通称マルに落ち着いた。散歩の担当は弟だったが、ある日、綾子は、たまには自分もやってみたいと、リードを握っていつもの散歩コースに向かった。

「大丈夫かね」と弟は心配してついてきた。だが、マルは、いつもの弟との散歩のペースで歩き出し、綾子はリードを引いてコントロールしようとしたが、常にマルが先導することになった。

諦めて弟にリードを渡し、「やっぱりこの子、力が強いよ」と綾子が言うと、

「違うと思う」と弟は笑った。

「こっちが力まかせに引くだけじゃダメと思うんだ」

そういいながら、憎らしいくらい上手にリードでコントロールされて、マルは気持ちよさそうに歩き始めた。

弟の比呂は、長男の末っ子で、何事にも器用だった。


はっとして、綾子は立ち止まる。八太郎を見ると、心配そうな顔をしてこちらを見ている。

変な顔をしていたのかもしれない。目をこすると、深く息を吸う。

「ごめんね」と彼に声をかけると、八太郎は首を傾げ、小さく鼻を鳴らした。

弟がいなくなって、もう5年になる。


「あ、姉さん、今駅に着いたところ。これから帰るから、母さんにもそう伝えて」

それが、伊藤綾子が最後に聞いた弟の声だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ