第2章「俺と黒い犬」⑪
ある日のこと、俺は仕事の途中でコンビニに立ち寄った。
時刻は夜遅くで、客は少なく、コーヒーを買うとすぐに店を出た。
ちょうどその時、いかつい顔をした老人に連れられて、柴犬が駐車場を歩いてきた。
老人は無言で店内に近づくと、自動ドアの横のオレンジ色の車止めに、リードをひと回しして柴犬を繋いだ。
そのまま老人は店内に入り、残された柴犬はおとなしくその場に腰を下ろしていた。
俺は、その賢そうな柴犬をじっと見つめ、ひょっとしたら何かの声が聞こえるか、耳を澄ませてみた。
柴犬は、俺の視線に気が付いたのか、じっと俺の目を見た。それから、何度か首を傾げ、その動きを止める。
呟くような声が聞こえた。
「このひと、わるいことを、するひとだ」
俺は柴犬の顔を凝視し、それから、周囲を見渡し誰もいないことを確かめた。
間違いなく、目の前の柴犬の声だ。
柴犬は腰を挙げ、きょろきょろあたりをみて、飼い主の姿を探した。
ちらりと店内を見ると、老人はレジで会計をしているようで、もう少しすれば外に出てくる様子だった。
俺は、じっと無言で柴犬を見つめ、何か他のことをいうだろうかと耳を澄ませた。
柴犬は、口を閉じたまま、主が来るのを待っていた。
やがて、老人が自動ドアから出てくると、柴犬はリードを伸ばして老人の方に近寄って行った。老人は飼い犬のいつもと違う様子に戸惑っているようだった。
「おい、どうした、八太郎」と声をかけると、
「おとうさん、このひと、わるいひと、あぶない」と柴犬が懸命に伝えようとした。
その声は、俺には聞こえるが、当然、老人には伝わらなかった。
俺は何事もなかったかのようにして、その場を立ち去った。
犬の声が聞こえる人間などいやしない。
だが、あの柴犬にはなぜ、俺が今までしてきたことが判るのだろう。そのことに興味が引かれた。
犬の名前は、「ハチタロウ」というらしい。
彼には聞きたいことがある。俺の声は聞こえないのだろうか。確かめてみたい。
もし、柴犬にあの石を飲み込ませたら、どうなるのだろうか。




