第2章「俺と黒い犬」⑦
高利貸しの家に親父を連れていく前日、もう一度俺は黒い犬のもとに行った。
俺の顔を見るなり、彼は何も書かれていない紙片を渡してきた。
「この紙を私の小屋があった家に届けてください」
それが何かの符丁なのか、細かい説明はしなかったが、あの家に住んでいる人間にはそれで十分だという。
あの家の人間は、老夫婦に恩義を感じていた人物で、これから起こることの手助けをする。つまり、老夫婦は、犬にとっては良い飼い主ではあったが、善人ではなかったのだ。
その要件を俺に伝えると、
「これでお別れです」と彼は言った。
「その前に」と、黒犬は突然体を震わせはじめた。
首をよじらせると、腹の肉が盛り上がった。そのうねりが喉元まで上って来ると、口から赤黒い塊を吐き出した。
その塊は、宝石のようにも見えたが、じっと見つめると、内側に丸い眼球のようなうごめく物が隠れていた。俺は微動だにせずに、その何かを凝視していた。
「ほんとうの赤い石です」
そういった黒い犬は、体の皮がしぼみ始め、徐々に生気が失われていくのが判った。
「これは、あなたに差し上げます」
そう聞こえた声は、か細く、どんどんと小さくなっていった。
命を徐々に減少させながら、黒い犬は「願いは叶えられる」と満足そうに微笑み、最後に微かな鼻息を漏らすと、彼は息絶えた。
彼の体がどんどん冷たくなっていくのに、なぜ、この石は熱いのか。
俺は、手のひらの中の石に魅せられていた。
案の定、親父はやくざ者たちに監視されていて、俺から、石のありかを聞き出すと、すぐにやつらに情報を流した。
やくざ者は、親父と俺を車に乗せ、高利貸しの家に向かい、俺はおとなしく怯えたふりを装いながら、適当に石のありかを奴らに教えた。
襲撃の情報は、既に高利貸しに伝えられていた。
それが、あの家の主の役割だった。
獰猛な犬たちは、木の杭の拘束から解放され、いつでも襲い掛かることができる。手下たちも迎撃準備ができていた。
高利貸しの家の中で、たくさんの人間が死に、たくさんの犬が死んだ。
同じころに、老夫婦を殺した悪い男のもとにも、襲撃者が訪れているはずだった。
俺と親父は、やくざの車の中で頭を抱えていたが、車内のやくざが射殺され、隙を見て外に出ると、家の門の横に、狩猟犬が待ち構えていた。
「約束だ」と彼は言った。
「俺を解放してくれ」




