第2章「俺と黒い犬」③
翌日の夜、親父が大酒を飲んで眠りこんだのを確かめると、俺は家を抜け出し、昨日の黒い犬を探しにいった。
犬がいた家の前には、空っぽになった犬小屋が残されていた。家を通り過ぎ、昨日最後に見かけた場所から町はずれを目指す。
川沿いにたどり着いて土手を下ると、朽ちた小屋を見つけた。
穴の開いた扉越しに、用心して中を覗くと、
「やぁ、やっぱり君だね」と黒い犬が話しかけてきた。
昨日のことは夢じゃなかった。今も犬の声が理解できる。
俺は、困惑しながらも、目の前の黒い犬の存在に心が引き付けられていた。
何か、俺に普通じゃないことが起きつつある。ちょっとだけ恐ろしさを感じつつ、これが今までのクソのような生活を変えるきっかけになるような予感がしていた。
黒い犬は、じっと俺を見つめる。その潤んだ瞳は、まるで俺の心の奥底を見透かすようだった。
しばらく沈黙が続いたあと、
「ところで、昨日あげた宝石はどうしたのかい」と犬が聞いてきた。
俺はポケットから取り出し、「ここにある」と犬の鼻先に突き付けた。
「ふーん」というような顔で俺と赤い宝石を見比べると、
「昨日、一緒にいた男にそれをあげるといい」と犬は俺に提案してきた。
もちろん、その男とは親父のことだ。俺は想像してみる。もし親父に見せでもしたら、全部取り上げられるに違いない。質屋かどこかへ持ち込んで、金に換え、酒に変わる。それはいつもと同じ、うんざりするほど繰り返されたやりとりだ。
だが、黒犬は俺の内心を察したような顔で、
「大丈夫だよ。そうはならない」と言って口を大きく開け、黒ずんだ薄桃色の舌を垂らし、
「面白いことになると思うよ」と微笑んだ。
本当だろうか、と俺は半信半疑だった。だが、しゃべる犬の話は俺の心に深く刻まれ、拒むことは選択肢にはなかった。
「そのとおりにする」と俺が答えると、黒い犬は嬉しそうに鼻を鳴らした。
俺はポケットからドッグフードの缶詰を取り出し、蓋を開けて彼に与えた。
「気が利くなぁ」と黒い犬は感謝を述べ、「また、おいで」と、小屋から出ていく俺に声をかけ、それから食事を始めた。




