第1章「柴犬と私」⑱
一瞬、何を言われたか判らず、私は男性をじっと見つめた。
だが、すぐに理解して不愉快になる。それでも私は表情に出さないようにした。
「あ、怒った?」と男性は笑いながら言う。
私の表情を見たからではなく、おそらく、この会話をコントロールするために、私が感情的になっていると、あえて指摘してみせたのだろう。
私は、極力冷静な声で、
「彼は、売り物ではありません」
と男性に答えた。
「えー、でもペットショップに行くと、どんな動物にも値段がついてるじゃない?」
そのことと、今横にいるハチタロウに値段を付けることは、全く一緒ではない。
男性にそのことを伝えようとすると、突然、彼はスマホを取り出し、ハチタロウの写真を撮影した。すぐさま、
「こんなに可愛いよ」と女の子に見せる。彼女も食い入るように画面を見つめる。
「ちいさな女の子が、可愛いペットと生活するって、彼女にとって貴重な体験では?それは尊重してあげなきゃいけないよね」
そういいながら、「ねー!」と少女に向かって笑いかける。女の子は、男性の言葉を理解できているのか判らないが、
「うん!」と大きな声で答えた。
後ろにいる母親は、男性が矢継ぎ早に続ける言葉を、うっとりとした顔で聞いている。
彼らとは会話が成り立たないと思ったが、言うべきことがあると思った。
「ペットと飼い主が長い期間をかけて作り上げたお互いの関係性を、金銭的価値に置き換えることはできません」と私は男性に向かって、ゆっくりと言った。
そう言いつつ、「自分とハチタロウは昨日と今日の関係しかない」と頭の中ではそう思っていた。まぁ、老人と彼とのことを代弁したのだ。
「めんどくせぇ」
男性の顔から笑顔が消え、舌打ちが聞こえた。女の子が体を強張らせたように感じる。背後の母親は、じっと動かなくなった。
ハチタロウが唸り声を出す。初めて聞く声だった。
これは厄介だな、と私は男の急な変化に警戒した。走って逃げることを考えたが、長い間の運動不足から、自信がなかった。
少し離れた場所から「どうしました」と言う声が聞こえる。
声の方を見ると、制服姿の警官が近づいてきた。




