第1章「柴犬と私」⑰
幼女の要求に私は困惑したが、彼女は、幼いから思いつくままの願望を口にしているだけだろうと思った。
それでも、私の足元にいるハチタロウは、警戒から体を強張らせているように感じた。
女の子の横にいる母親は、娘を制止する様子はなく、
「ねぇ、お願い」
としがみつく彼女に向かって、面倒くさい、とでも口にしそうな顔つきで、
「はい、はい」と応じながら、その間もずっと手にしたスマホを見つつ、何かを打ち込んでいた。
私はしばらく無言で親子と向かいあっていたが、このまま立ち去ろうと思い、公園の出口に向かって歩き始めた。
「あー待ってぇ」と女の子の絶叫が聞こえる。
聞こえないふりをして、歩き続けると、正面から一人の男性が歩いて近づいてきた。
綺麗に整った顔つきの若い男性は、幼女と母親に向かって手を振っていた。
「お待たせ」と彼が母親に笑いかけると、彼女は先ほどまでの表情と打って変わって満面の笑顔を見せ、
「ケンちゃん、遅いよ」と甘えたような声を出した。
私は今のうちに立ち去ろうと、歩き続けていたが、幼女は、母親と男性の間に割って入りながら、
「ねぇ、ケンちゃん、あのワンちゃんが欲しい」と今度は男性に向かって訴え始めた。
「なになに、何のおねだりかな」と男性は女の子を抱き上げ、彼女の口を自分の耳に寄せる。時々頷きながら、ちらりと、私とハチタロウを見てきた。
なんだか嫌な感じがした。これ以上は関わりあいになりたくなかった。
「ちょっと待ってよ」
歩き続けようとする私に向かって、男性が声をかけてきた。
無視すればよかったのだが、なぜか足を止めてしまう。
振り返って男性の顔を見ると、私を見つめ、
「ねぇその犬、いくらで売ってくれる?」
そう言うと、にっこりと笑った。




