第1章「柴犬と私」⑫
企画書のやり直しを指示したが、再提出されることはなく、しばらくして部下は仕事を休みがちになった。
私の直属の上司が連絡を取ると、彼は体調不良を訴え、数日後、郵送で診断書が提出されてきた。
だが、同じ課の、彼と年齢の近い職員が連絡を取ってみると、元気そうな声だったという。
彼が休みはじめてしばらくすると、私は人事担当者に会議室に呼び出された。
部屋には、三人が待っていて、
「君に対して、部下へのパワハラの訴えがなされている」
と、私に告げた。
なんとなく、そういうことになるだろうという予感はあった。
私は、少なからず動揺した。それでも心を落ち着けて、差し戻した企画書に関する彼と私のやり取りを、出来る限り事実に即して説明した。
だが、やはり言葉の選び方に自己弁護がなかったとは言えない。
話を聞き終わると、三人は多くを語らず、私は部屋から退出した。
その後、私に対して、何らペナルティーが課されることはなかった。
彼は、自主的に退社することになった。
退社日に、彼は会社を訪れ、お世話になった人に挨拶をしたいと申し出た。
おそらく、社員の皆が困惑していたと思う。それまでの彼の振る舞いに、不満を持っていた人間も多かったからだ。
それでも、最後に区切りをつけようという彼の考えを尊重すべきだということになった。
私の前に現れた彼は、顔色が白く、体重も減っていたように見えた。ネクタイはしておらず、少し皺のよったジャケットを着ていた。
彼は、「前原さん」と言いながら、深く頭を下げた。私は慌てて、彼に近寄り、
「しばらく、休んだほうがいい。まだ若いし、なんとでもなる」と声をかけた。
彼は頭を下げたまま、ジャケットの胸ポケットに手を入れていた。
取り出された手に、釘を打つハンマーが握られていて、頭を上げながら振り上げ、私の頭部に向かって振り降ろされた。




