殿下が婚約破棄を切り出そうとしているので、全力で逃げます
「クラウディア。……少し、話がある」
その言葉を聞いた瞬間、私は悟った。
――あ、終わったな、と。
人生で“死刑宣告”にもっとも近い一言、それが『話がある』である。しかも、いつもより優しい声色で、意味深な沈黙まで挟まれたらもう駄目だ。
この場で地面が割れて地底に落ちるか、天井が崩れて下敷きになるかの二択を願ったが、残念ながら平穏な王宮の廊下は今日も安定していた。
「……わたくし、ちょっと、お手洗いに行ってまいりますわ!」
「え?」
ドレイク・アーデルハイド殿下の困惑の声を背に、私はドレスの裾を思いっきりまくり上げ、廊下を全力疾走で駆け抜けた。
──始まった。婚約破棄逃走劇、開幕である。
ことの発端は、ここ最近の殿下の“様子のおかしさ”だ。
急に笑いかけてきたり、優しく声をかけてきたり、私の好きな本を「偶然だ」と言ってプレゼントしてきたり……。
そう、まるで「最後の思い出づくり」みたいに。
わかっている。あれは、“罪悪感で優しくなってるフェーズ”だ。別れ話を切り出す前、人はなぜか妙に優しくなる。どこかしら後ろめたさを抱えている証拠である。
あんなにそっけなかった殿下が、急に微笑むなんて不自然すぎる!
──絶対に、婚約破棄を切り出されるに違いない!!
「ならば聞かなければよい!!」
私は廊下を抜け、王宮の裏庭に設置された噴水の裏手に飛び込んだ。ここは私が子供の頃に遊んでいた秘密の抜け道へと繋がっている。
胸元のブローチを外し、裏蓋の鍵を使って扉を開ける。ガコンと音を立てて開いた地下通路に身を投じると、冷たい石の感触が足元に伝わった。
「よし、逃げ道確保。これより私は、婚約破棄回避のための特別行動に移行します」
殿下から逃げ切るためには、スピード、偽装、そして忍耐が必要だ。幸い、私は子供の頃、父の命令で“王都防衛スパイ訓練所”というよくわからない施設に通っていた時期がある。
※補足:女児に受けの悪い習い事ランキング、堂々の第一位。
「ターゲット:王太子ドレイク・アーデルハイド。警戒レベルS。捜索能力MAX……だけど、そう簡単に見つけられてたまりますかっ」
スカートの中に隠していた黒マントを装着。髪を引きちぎりそうな勢いでお団子にまとめ、手鏡で顔に汚れを塗る。
──準備完了。変装モード、オン。
「作戦名、『破棄される前に雲隠れ作戦』──開始です!」
……だが。
その十数分後、私はすでに追い詰められていた。
「……クラウディア。なぜ農夫に変装して藁束の中に隠れている?」
藁束の中から顔を出した私の目には、困ったように微笑むドレイク殿下の姿が映っていた。
「ど、どうしてここが……!?」
「君の髪留めが通路に落ちていた。そこから逃走ルートを推測したんだ」
さすが洞察力モンスター。名探偵か。
「ま、待ってください殿下! せめて聞いてから破棄しようなんて、そんな情けは不要ですの! わたくし、立ち去りますわ!」
再び、私は跳ね起きて全力で走り出す。
「クラウディア、話を──」
「嫌ですわああああ!!」
こうして王都のど真ん中で、追いかける王太子と、逃げる令嬢による謎の全力鬼ごっこが繰り広げられた。
民衆の声が聞こえる。「あれ王太子じゃね?」「令嬢、早い」「恋人の痴話喧嘩か?」
違うわ! これは命懸けの婚約破棄回避戦争なのよ!!
……こうして私の戦いの火蓋は、正式に切って落とされたのであった。
***
「馬車、急ぎなさい!!」
王都から西へ二十キロ。私は現在、全速力で走る馬車の上にいる。
──馬車の"屋根の上"、である。
「お嬢様! 中に入ってくださいませー!!」
「駄目ですリディア! 視界を確保しないと、背後の“追手”が見えませんわ!!」
リディアは私の専属侍女であり、この馬車の御者も兼ねている。そして現在、私と同じくこの逃走劇の一部である。
「しかし、まさか殿下が馬で追ってこられるなんて……!」
「ええ。王太子たるもの、もっと優雅に追ってくるものだと思っておりましたのに……全然ゆるキャラじゃないじゃない……!」
しかも、今朝の新聞の第一面を飾っていた。
『王太子、婚約者と馬上追いかけっこ!?』
『王都、混乱の渦。花束片手に走る殿下の真意とは!?』
なんということ。
逃げれば逃げるほど、私たちはどんどん“ロマンチックなカップル”として報道されてしまっている!
違うのよ!! 本当は、私が一方的に破棄から逃げているだけなのよ!!
「……っ、森に入るわ! リディア、いつもの準備を!」
「了解しました、お嬢様!」
私は馬車の天井から飛び降り、即座にマントの裾をちぎってカモフラージュ。続けて腰のベルトから取り出した折りたたみ梯子を木にかけ、するすると登っていく。訓練の賜物である。
目的地は、王都西の“アルセイアの森”。あの迷路のように複雑な構造は、かつての隠れ訓練場。私はその構造を熟知している。
――木の上から次の木へ。
枝を伝って移動、移動、また移動。
木と一体化し、地上からの視認を限りなくゼロに抑える。まさにスパイの極意。
「……ふふ、これでさすがのドレイク殿下でも、見つけられますまい」
私は自信満々に鼻を鳴らした。
その直後、上から声がした。
「クラウディア。そこにいたのか」
「へ?」
見上げると、木の上で優雅にティーカップを持つドレイク殿下の姿。
「こ、これは……一体……!?」
「私の専属騎士が、君の通っていたスパイ訓練施設の設計図を手に入れてくれてね。地形から考えて、君がこの枝のルートを選ぶ可能性が高いと踏んだんだ」
「情報戦……だと……!?」
完全に、上を行かれた。
しかし負けてはいられない!
「……ですが殿下、甘いですわ!」
私はすかさず煙玉を地面に叩きつけた。
──ポフン!
「くっ、煙玉か!?」
「今のうちに逃げますわよ、リディア!」
「はいっ、お嬢様!」
逃げろ私!! いける、まだいける!!
私はその後も、木の上を伝い、小川を飛び越え、沼地をボートで漕ぎ、まるで“冒険する貴族令嬢”のごとくアクロバティックに逃走を続けた。
だがどこへ行っても、ドレイク・アーデルハイドは姿を見せる。市場の屋根の上、修道院の鐘楼、果ては牛の群れの中にまで!
どこまでくるの!?何者なのあの人!!
「クラウディア。私は本気で話がしたいだけなんだ」
「だからその“話”が怖いんですのよおおおお!!」
叫びながら私は再び駆け出す。息が上がっても、足が痛くても、婚約破棄の言葉を聞くくらいなら私は走る! だって私は――
「破棄される前に、全力で逃げる主義ですの!!」
そうして私は、森を抜け、山へ、谷へ、雲の上(※飛行艇)へと、今日も逃げるのであった。
***
逃げても逃げても追いつかれる――。
これが“愛”だというのなら、私は全力で逃げる側で結構ですわ!!
現在地、王都近郊・空港跡地。
私はかつて使われていた飛行艇の発着場跡に身を潜めていた。
積み荷の裏、古いバリケードの影、外されたプロペラの中……もはや人間が隠れる場所とは思えぬ場所に潜伏している。
「ふっ……ここなら、さすがに見つかりませんわね……」
私は小さく息をつき、汚れた手で髪を束ね直す。
ドレスの裾は引き裂かれ、マントには煤と泥。
それでも婚約破棄を回避できるのなら、これくらいの犠牲は安いもの!
「――クラウディア・レインズフォード嬢、そこにいらっしゃると存じております」
「ヒィッ!?」
拡声器のような魔道具から、ドレイク・アーデルハイドの冷静すぎる声が響き渡った。
「ここはすでに王宮直属の捜索対象地に指定されました。私の護衛騎士と見張り兵が四方を固めております。出てきていただけますか」
「まさかの包囲戦!?」
バリケードの裏で震える私の耳に、兵士たちの足音が響く。
まさかここまでやるなんて……この人、どれだけ私と“話がしたい”の!?
いや、冷静に考えてほしい。
これは婚約破棄を切り出したくてうずうずしている人の動きじゃない。
どう考えても──
「クラウディア」
ぴたり、と私の背後で声がした。
背筋が凍る。まさか、まさか……!
ゆっくりと振り返ると、そこにはやっぱり、
王太子ドレイク・アーデルハイドが立っていた。埃一つない軍服姿で、優雅な笑みを浮かべて。
「……どうしてここが分かったんですの?」
「君の専属侍女が逃げる途中で落とした“リディアへの指示書”に、今日の逃走計画が詳しく書かれていた」
「リディアアアアアア!!!」
裏切られた。いや、彼女に罪はない。
これまで十回以上の逃走劇に耐えたリディアの疲労が限界だっただけだ。
「……もう、観念しましたわ」
私はそっと手を上げて立ち上がった。
負けを認めるのは悔しいけれど、ここまで追われてはもう無理だ。
「クラウディア。やっと、話ができるな」
「……ええ。せめて、最後は凛とした貴族令嬢らしく聞いて差し上げますわ」
ドレイク殿下は、私の前に膝をついた。
懐から取り出されたのは、白い箱と、一輪の白薔薇。
――それは、まさか。
「……クラウディア・レインズフォード。どうか、私と“改めて”婚約してはくれないか」
「……へ?」
思考がフリーズする音が、物理的に聞こえた気がした。
「そ、そ、それはどういうことでしょう……? わたくしは……てっきり、破棄を……」
「なぜそうなる?」
「だって、“話がある”なんて前兆、絶対に破棄フラグじゃありませんの……!?」
「話があると言ったのは、ただ──君にプロポーズしたかったからだ」
「……」
「まさか、逃げられるとは思っていなかったが」
「……」
「三週間、追いかけ続けるとは……思わなかったが」
「……いま何週間と?」
「三週間だ」
「三週!?」
私は地面に崩れ落ちた。
この令嬢、まさか三週間、殿下から逃げ続けていたらしい。
そりゃあ新聞も出ますわ。
「……で、ですが」
「うん?」
「それでも、明日また“話がある”とか言いだしたら、やっぱり逃げますわ」
「なら毎日話そう」
「えっ」
「毎朝、毎晩、君と話す。そうすれば逃げられないだろう?」
「……ストーカー気質では!?」
思わず叫んだ私の声は、王都の空に虚しく響いていった。
***
――目が覚めると、天蓋付きのベッドの中にいた。
「……ここは……」
見覚えのある、王宮の一室。
きらびやかな調度品、優雅なカーテン、金の装飾が施された天井。
そう、これは王太子殿下の私室の隣──“王太子妃予定者”用の部屋。
「ちょっと!? なぜわたくし、ここに寝かされてますの!?!?」
飛び起きて状況を確認すると、部屋の外には見覚えのある専属侍女リディアが控えていた。
彼女は疲れ切った顔で深々と頭を下げる。
「お嬢様……殿下に、引き渡しました……もう無理です……ご武運を……」
「リディアアアアア!!!」
まさかの戦線離脱宣言。今まで数十回にわたり共に戦ってきた同志に裏切られ(仕方ない)、私は王宮で軟禁――じゃなくて、丁重に保護されていた。
そう、すべてはあの日、殿下に“改めて婚約してくれ”と言われたその後から。
「ーーでは、君の荷物はすべて運ばせてもらう。君の部屋も用意しよう」
「いえ、わたくしまだ了承などしておりませんが?」
「了承しないとは言っていないな」
「詭弁ですわ!!」
「でも、君は頷いた」
「それは、反射で……!」
「反射でもいい。記録に残してある」
「なんの記録!?」
かくして私は、ドレイク・アーデルハイド王太子殿下の“婚約者(確定)”として、王宮で暮らすことになってしまった。
いや違う! ちょっと待ってほしい!
これは婚約破棄を回避するための逃亡劇だったのに、なぜか逃げきった結果、正式に婚約成立しているってどういうこと!?
「というわけで、明日から婚約者として公式の行事に出てもらう」
「ちょっと待ってください! そんな急にっ!」
「急ではない。三週間も猶予があった」
「それは逃走していた時間であって、猶予ではありませんわ!」
しかも、ドレイク殿下は手を抜かない。
朝は「おはようの会話」と称して朝食に同席。
昼は「婚約者同伴昼食」と称して、隣で書類仕事。
夜は「未来の王妃としての心得」とか言って、謎の講義。
四六時中、隣にいる。
「ストーカー気質では!?(本日2回目)」
「愛情だよ」
「怖いわ!!」
どこに逃げても、ドレイク殿下は必ず現れる。
水の入れ替えに噴水まで行けば、そこに立っている。
薔薇園に気分転換に行けば、剪定ばさみを持って隣で無言の圧。
夜中、こっそり馬小屋から脱走を試みれば、なぜか馬が私を振り落とす。
「おまえ、殿下の指示を……?」
馬の瞳に、忠誠を見た。
そうして、逃げる手段をすべて封じられた私は、ついに腹をくくることになった。
「わかりましたわ。逃げません。逃げませんから……せめて、自由時間だけくださいまし」
「では、君と一緒に過ごす時間を“自由時間”と呼ぶことにしよう」
「何それ!? 新手の洗脳ですの!?」
だが、私もこのままでは終わらない。
「いいですわ……ならば、こうなったら“婚約者生活”の中で、逆に殿下を幻滅させてみせますわ!!」
・朝は爆音いびき
・昼は味オンチアピール
・夜は寝言で他の貴族の名をうなされてみせる!
全力で、王太子妃にふさわしくない女を演出してみせよう!
「見てなさいドレイク殿下……! わたくしの本気の“不適格さ”を!!」
「クラウディア。声が全部聞こえてるぞ」
「──しまった!!!」
***
逃げても逃げても追いつかれる。
ならば、次の戦術は──幻滅させること!
「名付けて、“幻滅されて婚約解消させちゃおう大作戦”ですわ!!」
王太子妃としてふさわしくない女になれば、さすがのドレイク殿下も「やっぱ無理だわ」となるはず!
そして自ら婚約を破棄してくれるに違いない!
そう、殿下の手で! 正規ルートで! 円満(?)解決!!
「完璧な作戦ですわ……っ!」
作戦開始、第一日目。
■ 朝:超不機嫌モーニングモード
朝の食卓。
白い食器に、美しいサラダとハーブティー。
向かいに座るのは、まぶしい笑顔の王太子──ドレイク・アーデルハイド。
「クラウディア、おはよう。よく眠れたか?」
「……(ぐるるるるる)」
※不機嫌音+寝起き風しゃがれボイス
「……?」
「……起きた瞬間から世界に殺意を抱いておりますの……」
「なるほど、寝起きが悪いのか。では温かいスープを」
「ぬるくて飲めませんわ!!」
「熱く温め直させよう」
(……全然動じない!?)
■ 昼:令嬢らしからぬ下品ムーブ
午後のお茶会。
テラスで二人きり、クラウディアはパフェを前にして優雅に微笑む──のではなく。
「んも〜〜〜おいひぃ〜〜〜〜♥(口全開)」
「……クラウディア?」
「ほら見てくださいまし、このスプーンを……! パフェって幸せですわ〜〜〜っ!」
※クチャ音あり、服に飛び散るクリームつき。
「……君、甘いものが苦手ではなかったか?」
「そうですけども! 今は“本能で”生きてますのっ!」
「その姿もかわいらしいな」
(なぜ!?)
■ 夜:寝言フェーズ発動
「ふふふ……今日こそ、幻滅させてみせますわ……!」
私は布団の中で勝負をかける。
寝たフリをして、寝言で大胆に名前をつぶやく作戦だ。
ターゲットは、殿下が警戒しそうな貴族の青年――
「うふふ……エドワード様……♥」
「ふふ……その指……冷たいですわね……♥」
完璧!!
これならドレイク殿下も嫉妬に燃えて私に失望し──
「クラウディア、寒いのか? 布団をかけ直そう」
「ぬおっ!? 起きてらっしゃいましたの!?」
「寝顔を見ていたくてな……それに“エドワード”というのは、君の飼っていた猫の名前だったはずだが?」
「ぐあああああああ!!(忘れてた!!)」
――翌日。
「クラウディア、君がどんな姿でも、私は受け入れる」
「ちょっとそれもう呪いでは!?」
「逃げても、取り繕っても、君は君だ」
「だからそれが困ってるんですのよおおおお!!」
私の作戦は、すべて失敗した。
ドレイク・アーデルハイドは、どんな私でも肯定してくる。
寝起きで機嫌が悪くても、食べ方が野獣でも、寝言で猫の名を呼んでも、愛が変わらないらしい。
なんなんですの!?その愛、どこまで本物ですの!?
「……もう諦めなさい、お嬢様。あの方は本物です」
リディアが遠い目で言った。
そう、私の元・逃亡仲間。
今では王宮で“ドレイク派”として寝返っている。
「お嬢様が泥水に顔を突っ込んでも、きっと殿下は『それもまた美しい』とか言いますわよ」
「うわああああん!!」
私は、布団にくるまって泣いた。
逃げられない。幻滅もさせられない。
なら私はどうすればいいの!?
「このままでは、正式に結婚させられてしまいますわ……っ!!」
そんなわけで、次なる作戦。
名付けて――
『ドレイクを幻滅させるために、他の女性とくっつけ作戦!』
***
「殿下が婚約破棄してくれないなら、こっちから“新しい運命の女性”をご用意しますわ!」
私はついに決意した。
逃げても駄目。
変顔しても駄目。
いっそこの手で、殿下にもっとふさわしい“王妃向きの女性”をぶつけて、自然と“私じゃなかった”ってことにしてもらう!
名付けて──
「王妃適性高い系女子ぶつけて自滅誘導作戦」!
「ふふふ……この作戦、絶対成功しますわ」
リディア「もうやめて、お嬢様。心が折れる前に……」
■その一:淑女の中の淑女、登場
標的(?)第一号は、貴族界でも“王妃候補”として名高い人物。
アリア・エルンス嬢。
社交界の花。優しさ、聡明さ、完璧なマナーに加え、驚異の髪質。
なぜ髪がサラサラなのか理解不能なレベルで常に風が吹いてる。
「アリアさん、殿下とお話しする機会が増えれば、きっと……!」
私はアリア嬢に、さりげなく(めっちゃ強引に)殿下とティーパーティーをご一緒いただくよう仕向けた。
当日、私は陰から二人の様子を覗く。
「殿下、本日はお招きに預かり光栄ですわ」
「アリア嬢、君の話はよく聞いている」
おお、いい感じではありませんの!
「それで、クラウディアが急に君を紹介してきた理由は……?」
「『わたくしに王太子妃は無理なので、適性のある人間をぶつけて自滅してもらおうと思いますわ』と仰っていましたわ」
(アリアさん、包み隠さずすぎるっっっ!!!)
殿下は苦笑して紅茶を置いた。
「彼女らしいな……だが、君では駄目なんだ」
「なぜでしょう?」
「君が完璧すぎるからだ。私には、欠点だらけで、自分を取り繕って逃げ出すようなクラウディアでなければ……」
「どこに惚れてるんですのそのポイント……!」
完全に逆効果だった。
■その二:幼なじみ系ふんわり女子!
次なる候補は、
ミレイナ・スノウ嬢。
幼なじみ系。ほんわか。転んでも笑って許してくれる癒し系。
お菓子作りが趣味で、怒った顔を見た者はいないという伝説を持つ少女だ。
私はまたしても“偶然の出会い”を装って、殿下と彼女を庭園で引き合わせた。
クラウディア「まぁ、偶然ですわね!(※嘘) 二人ともお散歩中?」
ミレイナ「あら、クラウディア様も。殿下とは初めてお目にかかります」
ドレイク「うん……(ちら)」
私は必死にプレッシャーを送る。
“落ちろ、惚れろ、クラウディア以外に惚れろ”ビームを全力で放射。
──しかし、殿下はこう言った。
「クラウディア、どうして君はそんなに他の女性を勧めてくるんだ?」
「え、ええと、それはつまり……わたくしが王妃に向いていないことをよく理解しているからでして……」
「君ほど王妃に向いている人物を、私は知らない」
「どこがですの!!? 寝相も悪いし、お菓子は爆発させるし、たまにカラスと口喧嘩しますわよ!?!」
「それでこそ、愛すべき王妃だ」
「お願いですから目を覚ましてください殿下あああああ!!!」
こうして、私の「殿下の新たな運命の人探し作戦」も、盛大に失敗した。
どんな完璧な女性でも、どんな癒し系でも、
ドレイク・アーデルハイドは一貫してこう言い続けた。
「君でなければ、意味がない」
「……はぁ。これはもう無理ですわね……」
私は王宮のバルコニーで、膝を抱えながら嘆いた。
リディアは言った。
「お嬢様……それ、もしかしてもう愛されてるのが“前提”の世界線なのでは?」
「そ、それは……っ」
「そろそろご自覚されては?」
「む、無理ですわ……! だってこんな一方的な愛、重すぎますものっ!」
けれど。
胸の奥で、小さな“きゅっ”という音がしたのは……
私だけが知っていた。
***
「……おかしいですわね……」
私は今、誰もいない王宮の書庫の隅で膝を抱えていた。
逃げて、逃げて、逃げて、
幻滅させようとして、他の女性をあてがっても、
それでもなお、ドレイク・アーデルハイドは私を“選び続けて”くる。
「……わたくし、そんなに価値ある人間ではありませんのに……」
口に出すと、なんだか妙に寂しさがこみ上げてくる。
そう。
本当はちょっとだけ、怖かったのだ。
『婚約破棄される』ことも、
『心から好かれている』と信じることも。
どちらも。
どちらも同じくらい――怖かった。
書庫の隅。静寂の中で、私はそっとつぶやく。
「……どうして、そこまでしてくれるんですの? 殿下は」
「それは、“君だから”だ」
「ひゃあああっっ!!?」
突然背後から聞こえた声に、私は華麗に飛び上がった。
棚に頭をぶつけて、落ちてきた本に押し潰されて――
「……いてててて……」
「大丈夫か?」
本を片手で持ち上げて、私の前に手を差し出す。
その姿は、もう見慣れてしまった誰か――ドレイク・アーデルハイドその人だった。
「ま、また勝手に背後に……! 盗聴ですの!? それとも読心!? 特殊技能!?!」
「いや、普通に後をつけていただけだ」
「普通の定義が違いすぎますわ!!」
私はジタバタと抗議しつつ、彼の手を取りかけて──
ほんの、わずかだけ、ためらった。
その一瞬に、彼が囁く。
「……そろそろ、本当に話をしてくれないか」
「……話って、なにを……」
「君が、なぜあれほど逃げたのか。なぜ、幻滅させようとして、他の女性を推薦し続けたのか。……全部、聞かせてくれ」
彼の声は、思ったよりも静かだった。
そしてその瞳には、
ただの執着でも、意地でもない。
“私の本心”を、知ろうとしてくれている色が宿っていた。
――あぁ、もう。
なんでそういうの、見せてくるんですのよ。
私はようやく、彼の手を取って立ち上がる。
「……殿下」
「うん」
「仮にですけれども。もし、わたくしが、“捨てられる”ことが怖くて逃げていたのだとしたら……」
「うん」
「そんな弱い女は、王妃にふさわしくないと思いませんこと?」
「思わない。むしろ、そういう君だから、支えたくなる」
「やめてくださいまし!! そういうことを真顔で言わないでくださいまし!! 心臓に悪いですわ!!」
私は全力で顔を手で覆った。
なのにドレイクは、そんな私の肩に、そっと手を置いて言うのだ。
「クラウディア。私は君を、誰よりも必要としている。君が何を恐れていようと、どんなに未熟だろうと、君であることに、変わりはない」
「……ずるいですわ」
「うん?」
「そういうふうに言われたら……もう……っ」
もう、逃げる理由が、ないじゃありませんの。
その日の夜。
王宮のバルコニーにて、私はリディアに耳打ちした。
「……逃げるの、やめようかと思いましてよ」
「とうとう……! おめでとうございますお嬢様ぁぁ!!(泣)」
「やめて! なんで泣くの!? わたくしそんな大層なこと言ってませんわよ!?!?」
泣き崩れる侍女に困惑しながらも、
私は心の奥で、そっと、静かに決意する。
そろそろ――
この物語の、“追いかけっこ”を終わらせよう、と。
***
王宮の大広間は、静かだった。
花々が飾られ、燭台には温かな灯り。
けれど今日は舞踏会でも、晩餐会でもない。
招かれているのは、たったひとり。
「クラウディア・レインズフォード嬢。王太子殿下が、お待ちです」
近衛の案内に、私は大きく深呼吸して頷いた。
覚悟は、決まっている。
もう逃げない。
幻滅させようともしない。
他の誰かに託そうともしない。
ちゃんと、向き合う。
この“婚約破棄”から始まったすれ違いに。
そして、“逃げる”ことで守ろうとしてきた自分自身に。
大広間の中央、ドレイク・アーデルハイドは、ひとり立っていた。
いつも通りの美しく整った姿。
けれど私が歩み寄るたびに、彼の表情はほんの少しずつ、ほぐれていくようだった。
「クラウディア」
「……ドレイク殿下」
向かい合って立つ。
逃げ場はない。けれど――不思議と、怖くなかった。
彼が、ずっと、私の“逃げ道”ごと見つけて、それでも「君でなければ」と言い続けてくれたから。
「聞かせてほしい……今度こそ、君の本当の言葉を」
私はゆっくりと、彼の目を見て言った。
「……わたくし、殿下に……いいえ、ドレイクに、ずっと怖れていたんですの」
「うん」
「捨てられるかもしれない未来が。そして、もし捨てられなかったとしたら――その優しさに、甘えてしまいそうな自分が」
「……」
「でも、もう、逃げませんわ。逃げたって、どうせ見つかるんですもの。森の中でも、列車の中でも、飛行艇でも、藁束の中でも!」
「懐かしいな、藁束……」
「だから──殿下」
私はドレスの裾をつまんで、深く、深く頭を下げた。
「改めて、どうか……わたくしと、婚約を“継続”してくださいますか?」
しばしの沈黙。
それから、穏やかな声が降ってくる。
「……君がそう言ってくれるのを、ずっと待っていた」
顔を上げると、ドレイクはすでに片膝をついていた。
左手には、小さな箱。
開かれたその中には、月明かりを閉じ込めたような銀の指輪。
「クラウディア・レインズフォード。どうか、今度こそ本当の意味で、私の婚約者になってくれ」
「……ふふっ、今さらですわね」
「うん、今さらだ」
「でも……」
私は、指輪にそっと手を伸ばす。
「今さらでも……嬉しいですわ」
***
その日、王宮の大広間に響いた拍手は、
どんな舞踏会よりも、温かかったという。
そしてその夜、クラウディア・レインズフォード嬢は正式に王太子妃“予定者”となり、王太子ドレイク・アーデルハイドの傍に、堂々と並ぶことになった。
もう、逃げない。
どれだけ怖くても、傷ついても。
この人となら――
「……でも、“話がある”って言い出したら、やっぱりまた逃げますわよ」
「毎朝、話すからな」
「……くっ、隙がない……!!」
追いかけっこは終わった。
けれど、ふたりの日常は、今日もにぎやかに続いていく。
──完。
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