レイモンド8
魔力枯渇症。
それは魔力を持つ者なら誰しも陥ることのある症状だ。魔力は生命力と強く結びつき、体内で均衡を保っている。何らかの理由で魔力を使いきってしまった場合、体は生命力を消耗し、魔力に変換しようとするのだ。
しかしその効率は悪く、生命力を十消耗したとして、変換される魔力は一か二がせいぜいである。
だから魔力を持つ者……たいていは貴族……は魔力を使いきらないよう気をつけるし、万が一枯渇症に陥った場合は魔力ポーションを服用する。それでも回復が追いつかなければ、死を待つのみだ。
だが貴重な原料ばかりを用いる魔力ポーションは非常に高価で、上級貴族でも非常事態に備えて数本確保していればいい方だ。
下級貴族の子女は、魔力の扱い方を学び始めるとまっさきに枯渇症の恐ろしさを教え込まれる。よほど意識して大量の魔力を使わない限り、陥らないのが救いではあるのだが。
これが先天性になると、恐ろしさは比べ物にならなくなる。
先天性魔力枯渇症の子は魔力を溜めておくための器に生まれつき穴が空いており、作り出されるそばから魔力が漏れ出てしまう。母親の胎内にいる間は母の魔力が補ってくれるから問題ないが、生まれた瞬間魔力の流出が始まり、生命力まで尽きれば当然死にいたる。
それを防ぐには魔力ポーションを飲ませ続けるしかないが、赤子は大人とちがってじっとしてはいられない。腹が空いては泣き、不快になれば泣き、排泄をすれば泣く。そのたびに生命力を消耗し、魔力に変換できなくなる。結果、飲ませるポーションの量は大人よりもかさみ、家計を食いつぶしてゆく。
だから先天性魔力枯渇症の子が生まれてきた場合、ほとんどの家では秘密裏に殺さざるを得ない。その子一人のために、家を潰すわけにはいかないからだ。
十五年前。
アスクウィス侯爵家の第二子として生まれてきたエリザベスが先天性魔力枯渇症だと判明した時も、存命だった父のランドルフは断腸の思いで娘を始末させようとした。侯爵とはいえ、北の国境を守るアスクウィス家は魔力ポーションを大量購入できるほど裕福ではない。
そこに懇願したのがグロリアだった。
『お願いします、あなた。この子を殺さないで』
『グロリア、だが……』
『先天性魔力枯渇症だろうと、愛しい我が子に変わりはありません。ましてやこんなにかわいい娘を……もし本当に殺すと仰るのなら、私も後を追います』
政略結婚ではあったが、ランドルフは美しく高貴な妻に惚れ込んでいた。その妻に涙ながらにすがられ、何も知らずに眠る赤子の寝顔を見せられてしまえば、もう殺すことなどできなくなる。
そうしていばらの道を歩む決意をしたランドルフは、ベネディクトはじめ信頼の置ける家臣と義理の両親に当たる国王夫妻、義兄の王太子にのみエリザベスの事情を明かした。義両親と義兄にも打ち明けたのは、王家の血を引く赤子は必ず王宮魔術師の診察を受ける決まりで、遅かれ早かれ露見してしまうからだ。
王妃と王太子……今の王太后と王は、エリザベスを殺すべきだと主張した。肉親の情がないわけではないが、跡継ぎでもない女子のために家が潰れかねない金を注ぎ込むなどあってはならない。
ましてやアスクウィス侯爵家は北の防衛の要。財政の崩れは防衛の崩れにつながる。
だがただ一人、王……祖父だけはグロリアの願いを受け入れた。王にとってグロリアは目に入れても痛くない一人娘だ。その娘が我が子を生かしたいと望むなら叶えてやりたい。
王の意志には誰も逆らえず、エリザベスは死を免れた。ランドルフとグロリアは感涙にむせんだが、それは苦難の始まりだった。
魔力ポーションは王が秘密裏に手配してくれることになったものの、対価を支払うのは侯爵家だ。王家の血を引くが侯爵令嬢に過ぎないエリザベスのために、王家の財産を使うわけにはいかない。
加えて先天性魔力枯渇症は貴族の間で忌み嫌われているから、エリザベスが患者であることは伏せられなければならず、社交にも細心の注意を払う必要があった。
先代侯爵夫妻は当時すでに亡くなっていた。妻以外誰にも弱音を吐けず、財政をやりくりしながら魔力ポーションの対価をひねり出す生活は、ランドルフの心身を着実にむしばみ……たった半年で心臓を止めてしまったのだ。