レイモンド2
アスクウィス侯爵家はコルムバ王国で最も古い血筋を誇り、王妃を何人も輩出してきた名門だ。王都の東側、何代にもわたって緊張関係が続くアクィラ帝国との国境に領地を賜ったことから、王国の守護者とも調停者とも呼ばれる。
十八年前、侯爵家の嫡男として誕生したレイモンドには、生まれながらにして輝かしい未来が約束されていた。
父ランドルフは隣国にも名の鳴り響く武人であり、栄えある王国騎士団の長。母グロリアは王家から降嫁した元王女で、王の妹に当たる。
血筋、財力、身分。全てにおいて最上のものを与えられ、父親譲りの武術の才能と母譲りの美貌を持って生まれたレイモンドは、同世代でもっとも恵まれた貴公子と言っても過言ではなかった。
レイモンド自身も、いずれは父のような武人になり、立派に領地を治める侯爵になるのだと幼心に思っていた。暗雲がたちこめたのは、レイモンドが三歳になって間もないころだ。
壮健だったはずのランドルフが突然胸を押さえて倒れ、数日後、必死の治療もむなしく亡くなったのである。二十六歳の若さだった。
心臓の病だと医師は言ったが、レイモンドには信じられなかった。ランドルフは日々の鍛練を欠かさなかったし、食事にも気をつけていた。真冬の遠征でも風邪ひとつ引かず帰ってきた父が病だなんて、考えられない。
しかも半年前、妹エリザベスが生まれたばかりだった。待望の女の子の誕生にランドルフは歓喜し、この子が輿入れするまでは絶対に死ねないと言っていたのだ。
母も周囲の大人たちも、突然すぎる侯爵の死に疑問を抱いていたように思う。
だが彼らには他に優先しなければならないことがあった。新たな侯爵の選定だ。対帝国の要ともいえる侯爵の位を、いつまでも空にしておくわけにはいかない。
本来なら父亡き後はレイモンドが侯爵を継ぐのが正しい流れだ。だが王国法では、爵位を受け継げるのは成人した男子のみとされていた。他に継承者がいない場合などに限り、未成年でも例外的に爵位を認められるのだが、国境を防衛すべきアスクウィス侯爵が剣もまともに持てぬ幼児など、いくら王の甥であっても許されなかった。
母や伯父王の指定した代理人が侯爵の実務を代行し、レイモンドの成人を待つという手も使えない。侯爵は戦える男でなければならないのだ。そこで初めて、祖父の代から仕えてきた執事のベネディクトが侯爵家の秘密を明かしたのである。
父は先代侯爵の一人息子だと聞いていたが、実は弟がいるのだという。レイモンドにとっては父方の叔父に当たるその男の名は、ルーファス。先代が使用人に手をつけて産ませたものの、先代侯爵夫人が養育を拒んだため、家臣の家に預けられたのだそうだ。
『とは申せ、れっきとした侯爵家の子息であられることに間違いはございません。貴族名簿にも記載されております。レイモンド様が成人されるまでの間、ルーファス様に中継ぎの侯爵を務めて頂く他に手段はないかと存じます』
ベネディクトの提案を、母グロリアは最初とんでもないとはねつけた。侯爵となったルーファスが、預かった爵位を素直に返してくれる保証はない。妻との間に子をもうければ、甥より我が子に侯爵位を継がせたくもなるだろう。
心配するグロリアに、忠実な執事はさらなる提案をした。
『ならば奥方様がルーファス様と再婚されればよろしいかと。その上でレイモンド様とエリザベスお嬢様をルーファス様の養子になさるのです。そうなればレイモンド様はこれまでと変わらず侯爵家の嫡男として、次期侯爵の座を約束されます』
『そんな……、私が、再婚……?』
グロリアとしては、断固拒みたかっただろう。政略結婚ではあったが、両親は仲のいい夫婦だった。
夫を亡くしてすぐに再婚、しかもその相手は夫の異母弟で、認知されているとはいえ使用人の息子である。誇り高い王女が身を任せられるわけがない。
しかし母は苦悩の末、ベネディクトの提案を全て受け入れた。幼い我が子らを守り、レイモンドに侯爵位を継がせるためにはそうするしかなかったのだ。
そうして父の死から三ヶ月後、あの悪魔はやって来た。