ルーファス
まだレイモンドが己の過ちに気づく前のこと。
ルーファスがサムズ男爵とエリザベスの結婚式会場から転移した先は、杖の魔術師の一人であり、ルーファスの師匠でもある人物の屋敷だった。自分のものになった……なってしまった東の領地の領主館には女たちが待ち構えていると思うと、帰る気になれなかったのだ。
その点師匠の屋敷なら、住んでいるのは師匠と使用人代わりの魔導人形だけ。誰にもわずらわされず、ゆっくり骨休めができる……と思っていたのに。
「遅かったな」
ルーファスにあてがわれた部屋では、今一番会いたくない男が待ち受けていた。ソファに我が物顔で腰かけ、魔導人形に給仕させた紅茶を飲みながらくつろいでいる。
(……俺は今、何も見なかった)
己に言い聞かせながら、ルーファスはそっと扉を閉じた。くるりときびすを返そうとした瞬間、足元に魔法陣が出現する。
避ける間もなく、発光した魔法陣はルーファスを包み込んだ。まばたきの後、目の前で微笑むのはさっきの男だ。
「つれないな。久しぶりに会ったんだから、お茶くらい一緒に飲んでくれてもいいだろう?」
「……ついさっき会っただろうが」
気づいていないと思うなよ、と男を睨みつけ、ルーファスは男の対面のソファに座った。転移の魔法に関しては男の方が上なのだから、逃げても無駄だ。わかっていて一度は去ったのは、ささやかな嫌がらせである。
魔導人形が運んできたティーポットから、男はルーファスの分の紅茶を白磁のカップに注いだ。光の貴公子とうたわれる華やかながらも凛とした長身の美形は、そんな仕草すら優雅でさまになっている。
男が気高い孔雀ならルーファスは山鳩か。比較するのも馬鹿馬鹿しい。ルーファスが張り合えるのはせいぜい魔力くらいだ。
「やはり気づいたか。さすがだな」
男の顔が一瞬で変化する。貴公子からマイルズと呼ばれていた男のそれへ。正確には変化したのではなく、光を魔力で屈折させて作った幻影を重ねているだけなのだが、ルーファスぐらいの魔術師でなければ看破は難しいだろう。
「どうしてあんな真似をしたんだ」
紅茶には手をつけず、男を睨む。マイルズと名乗っていた男が、相当前からレイモンドに関わっていたのは明白だった。実戦経験のないレイモンドが私兵をまとめ、指揮などできるわけがないからだ。
しかもあの混乱した会場から近衛騎士団に捕まらず、逃げおおせられるのはもうこの男しか考えられない。
「レイモンドの出来を確かめようと思ったのさ。仮にもお前の義息子だからな。そうしたらまあ……何とも楽しいやつだったから、ついつい最後まで付き合ってしまった」
男は幻影を消し、くっくっくっ、と愉快そうに喉を鳴らす。
その才能でしたたかに立ち回り、生き延びてきた彼にとって、学院で学んだ知識をひけらかすだけのレイモンドの『指揮能力』など児戯にも等しい。
レイモンドは『父上譲りの才能』と誉められ悦に入っていたようだが、あれは『馬鹿の血は争えない』という意味だ。レイモンドの実父ランドルフが家臣に支えられどうにか当主の面目を保てているだけの凡人であったことは、軍関係者には有名だから。
「……お前にかかれば、レイモンドなんててのひらでコロコロ転がされただろうな」
「ああ、面白いくらい転がってくれたぞ。ちょっと亡き父親を持ち上げてやって、侯爵家の偉大さを誉めたたえてやるだけで、ろくに俺の素性も調べず重用してくれたしな」
傭兵マイルズが四年前に死亡していることは、つぶさに調べればわかることなのだ。もしレイモンドがマイルズの身辺調査をしていれば、そばには置かず追放しただろう。最低限やるべきことすらやらなかったから、今日の事件は発生した。全てはレイモンドの浅はかさが招いたことだ。
わかっている……が、納得できるかどうかは別だ。
「俺は別に東の領地なんて欲しくなかった。これ以上しがらみに縛られるのはまっぴらなんだよ」
ただでさえ保護した女たちというしがらみがまとわりついて離れないのだ。いずれも才能にも美貌にも恵まれた若い女性ばかり。身の落ち着け先などいくらでも見つかるだろうに、ルーファスのもとを去ろうとしない。
どう見ても相当のわけありも交じっているので、一日でも早く解散して欲しいのだが、彼女たちが力を貸してくれることでおおいに助かっているのも事実。助けてもらっているのなら、こちらも助けなければならない。それが人のあるべき姿だと思うのだが。
男は呆れたように笑った。
「自ら進んで縛られているくせに、何を言っているんだか」
「は……?」
「ただの独り言だ。……そんなことより、これを」
男が懐から取り出した手紙は一瞬でフクロウに変化し、ルーファスの肩に飛んできた。フクロウは師匠の使い魔だ。嫌な予感に襲われた直後、フクロウのくちばしがぱかりと開く。
『おいルーファス、ワシ杖の魔術師を引退することにしたわ。後はお前に任せた』
まぎれもない、師匠のむかつくほど能天気な声だった。
『この屋敷はお前にやる。仲間たちにはもう連絡済みだから、まあうまくやってくれ。……じゃっ!』
メッセージを伝えたフクロウが手紙に戻る。ひらりと床に落ちたそれを拾う気力もなく、ルーファスは叫んだ。
「な、……何が『じゃっ!』だ、くそジジイ!」
「まあまあ、師匠もいい歳なんだから休みたくもなるだろうよ」
「何が歳だ、俺よりよほど若々しいくせに、まるで俺がアスクウィスから解放されるのを見計らったみたいなタイミング、……で……」
奇妙な符丁に気づき、ルーファスは目の前の男を見つめる。にやりと笑い返された瞬間、声にならない悲鳴が喉奥からほとばしった。
「……、…………!」
「どうしたルーファス、腹をすかせた雛みたいに」
「お、お前、……師匠と結託しやがったな!?」
ばんっと叩いたテーブルからティーカップが浮かび上がる。男は宙に投げ出されたそれを難なく受けとめ、もとのソーサーに戻した。
「人聞きの悪い。師匠はさっさと引退して趣味に集中したかったし、俺はお前に子守りをやめさせたかった。単なる利害の一致だろう」
「だからって、こんな真似を……」
「エリザベスにサムズ男爵って相手を見つけてやったくらいだ。こんな真似でもしなければ、お前はレイモンドが侯爵としてやっていけるようになるまで面倒を見てやるつもりだっただろう。……お前はクソガキに甘いからな」
そんなわけないだろ、と反論はできない。目の前の男こそが、ルーファスがかつて面倒を見た中でも最強……いや、最凶の『クソガキ』だったのだから。
出逢ったばかりの頃は、こんなふうに仲良くお茶を飲むようになるなんて想像もできなかった。この男がいなかったら、ルーファスの人生はずいぶん違うものになっていただろう。
「近いうちに俺は馬鹿兄貴を始末する」
「っ……」
唐突な宣言に、ルーファスは怒りを忘れた。男が兄の排除を明言したのは、これが初めてだったからだ。
有言実行を信条とする男は、必ず実現させる。つまり。
(……世界が、変わる……)
「俺には味方が必要だ。絶対に裏切らない味方が」
「……杖の魔術師は、特定の勢力には味方できないぞ」
「わかってるさ。……でも、『ルーファス』は俺の味方だろう?」
どこかすがるような口調は反則だと思った。今の男は昔とは違う。その覇気に惹かれ、忠誠を誓う者はたくさんいるのに、『味方』だと信じられるのはルーファスだけだなんて。
そんな姿を見せつけられてしまったら、もう反論はできなくなる。はあ、と嘆息したのを了承と受け取ったのか、男は表情をやわらげた。
「これでお前も立派な杖の魔術師一家の当主だ。良かったな。魔術師なら誰もが一度は狙うものじゃないか」
「当主の座を狙っていた? そんなわけないだろう?」
これからのことを考えるだけでめまいと頭痛に襲われる。師匠がそうだったように、杖の魔術師は才能ある弟子や使用人を抱え、一家を構えなければならない。ルーファスから離れない女たちは、ルーファスの一番の座をめぐり、争いを激化させるだろう。
「そんなわけがなくても、もう決まったことだ。前に進むしかないだろ」
「それはそうなんだが……」
「大丈夫だ。魔術師一家の当主の座も、俺に比べれば多少は軽いさ」
男の言う通りだ。これからルーファスに降りかかるどれほどの苦難も、きっと軽い。
皇帝の座にのぼろうとする、男に比べたら。
魔導人形が新しいティーセットを運んでくる。男が注いでくれた紅茶のカップを、ルーファスはそっと宙に掲げる。
「ユージーン陛下に」
ティーカップではさまにならないが、ルーファスは下戸なのだから仕方ない。
「……気が早いぞ」
ふっと笑い、男は……アクィラ帝国第二皇子ユージーンは自分のカップをルーファスのそれに軽くぶつけ、かちんと音を鳴らした。
ルーファスとユージーンにはまた別の物語がありますが、このお話はひとまずここで終了です。お付き合い下さり、ありがとうございました。