国王
翌朝。
騎士が地下室の様子を確認しに行くと、グロリアは息をしていなかった。
地下室に続く扉は一つだけで、交替で見張りを立てていた。見張り役は全員『地下室に近づいた者も、入った者もいない』と証言した。つまり他殺の可能性はない。
医師によれば、死因はグロリアの心臓が強い負荷に耐えきれず、鼓動を止めてしまったことだそうだ。我が子の骸と共に閉じ込められた精神的な疲労と衝撃のせいだと考えるべきだろう。
安置されていたはずのエリザベスの骸が、グロリアに折り重なるように倒れていなければ。
(兄だけでは足りず、母まで道連れにしたか?)
国王にはそう思えてならなかった。グロリアは恐怖と無念のうちに死んでいっただろうが、ある意味、ここで死ねたのは幸運だったかもしれない。
グロリアが寵愛していた画家キリアンによる『A夫人の恍惚』シリーズは、調べさせたところ、予想よりもはるかに広い範囲で売りさばかれていた。元王族の侯爵夫人、しかもあれほどの美女のみだらな姿には高い人気と価格がついたようだ。……グロリアが聞いても喜ばないだろうが。
つまりグロリアが不特定多数の男と絡む絵は、多くの者に目撃されていた。もちろんキリアンによる妄想だが、グロリアの肢体はキリアンが実際に見て触れたものだ。真に迫った描写は『実はグロリアは相当な好き者なのでは?』と思わせるのにじゅうぶんだった。
グロリアは自分でも知らないうちに、夫がありながら何人もの男と関係するふしだらな女だとささやかれるようになっていた。
今までは陰口だったが、レイモンドの『襲撃事件』によりアスクウィス家が権勢を失ってしまっては、いずれグロリアの耳にも入っただろう。自分が知らない男たちの欲望のはけ口にされているなど、あの妹には耐えられまい。
それに生き延びたなら、サムズ男爵家やその関係者による制裁を免れなかった。
侯爵から伯爵への降格により、アスクウィス家は罪を償ったことになっている。だがその程度で、当主を半身不随にされたサムズ男爵家が溜飲を下げるはずがない。
王家の手前、私刑には走らないだろうが、その経済力でアスクウィス家を追い詰めにかかったはずだ。魔石を抑えるサムズ男爵家の影響力は大きい。アスクウィス家に適正価格で品物を卸す商人はおらず、事業を興せば確実に潰されるだろう。
世間知らずのグロリアは知らぬ間に多額の借金を背負わされ、娼館にでも沈められていたはずだ。それも客筋のいい高級娼館ではなく、人には言えない特殊な趣味の持ち主ばかりが集まる娼館。『A夫人の恍惚』の愛好者はきっと足しげく通い、元王族で元侯爵夫人の顛末を吹聴しただろう。
自力で生きられない者にとって、誰の助けもなしに生きるのは地獄。
ならばなるべく早くこの世から退場するのが幸運だったのは、レイモンドにも言えることだ。どうも王宮の高級文官や武官を狙っていたようだが、お勉強だけが取り柄の頭でっかちを採用できるわけがない。王宮は最も優秀な人材が集まる場所でなければならないのだから。
つまり二人にとってエリザベスは全ての元凶であると同時に、救いの天使とも言える。いや、国王にとってもか。レイモンドもグロリアも、生きている限り恥と罪をさらし続け、国王と王太后はその後始末に追われたはずだから。万が一レイモンドが妻をめとり、子でも生ませていたら最悪だった。
グロリアは何故エリザベスの処分に反対したのか。結局は見捨てたのに。
『あの子はね、エリザベスを庇うことで、自分が愛情深くけなげな母親として夫や周囲に注目され、愛されたかったのよ』
国王の疑問に、王太后はそう答えた。
貴族女性が最もちやほやされ注目されるのは結婚式までだ。人の妻、母親になれば、今度は夫のため子どものため陰で尽くす日々が始まる。
自分が一番でなければ我慢できないグロリアにとって、エリザベスの誕生はきっと僥倖だった。冷酷な母や兄から処分を強く勧められても、我が子を救うため涙ながらに反対する自分が、グロリアを溺愛する夫や父親の庇護欲をそそると理解していたから。
現にグロリアの前夫ランドルフは体調を損ねて死ぬまで働き、父親の先王は最終的に身を滅ぼした。あれほど口出しは許さないと王太后からきつく言われていたのに、先王はレイモンドに請われるがまま、ルーファスがまとめたサムズ男爵とエリザベスの結婚を阻止しようともくろんだ。
今、先王は離宮の一室に監視付きで軟禁され、水すら自分の意志では飲めない生活を送っている。もはや人々の記憶から消えて久しい人だ。近いうちに『衰弱死』するだろう。葬儀が面倒だと思うだけの自分は、母を悲しませ愛人とその娘ばかり愛でる父をとうに見限っていたのだ。
画家キリアンは別邸に踏み込んだ際に捕縛されており、鉱山送りが決まっている。画家が絵を描くことは罪ではないが、やはり『A夫人の恍惚』シリーズはやりすぎだった。ためしに描いてみたら思いのほか高く売れたため、やめられなくなってしまったという。
今では画廊への持ち込みや展覧会への応募などはほとんどせず、シリーズを描くことに専念していたというから呆れてしまう。キリアンにとってグロリアは、どこまでも金づるでしかなかったのだろう。
二度と絵筆を持つことはできまいが、市場に流通した『A夫人の恍惚』シリーズを全て回収することは不可能だ。つまりグロリアの最も美しい姿は長きにわたり画布に留められ、男たちの称賛を浴びることになる。案外グロリアは喜ぶかもしれない。
そうして全ての事実が明らかになり、事件も収束しつつある中、一つだけ判明していないことがある。マイルズ……レイモンドの『襲撃事件』に手を貸した男の正体だ。
かつてアスクウィス家の大隊長だったという傭兵マイルズは、確かに存在した。しかし記録をたどったところ、傭兵マイルズは四年ほど前、仲間同士の喧嘩で負った傷がもとで死亡している。
ならば、レイモンドの前に現れたマイルズは何者だったのか?
レイモンドの襲撃が成功したのは、間違いなくマイルズの手腕によるものだ。計画の立案から行動に移すまで、マイルズに頼りきりだったというのだから。
あれだけの騒ぎになったとはいえ、近衛騎士団をまんまと出し抜いて消えたのだ。ただ者ではない。
『襲撃事件』が成功して利を得る者。レイモンドのみならず、周囲の人間にマイルズだと信じ込ませ、私兵たちをまとめ上げるだけの統率力と求心力の主……。
「……やれやれ。ルーファスも厄介な御仁に見込まれたものだ」
明晰な頭脳が弾き出した答えに、国王は苦笑した。間もなくかの御仁は至高の座につくだろう。無能な兄を押しのけて。
まだ若いかの御仁の治世は、何事もなければあと数十年は続く。国王よりは息子の王太子の方が長い付き合いになりそうだ。今から鍛えておかなければ、いいようにあしらわれてしまうだろう。
(息子もかの御仁とさほど歳は変わらないのだがな。どうしてここまで出来が違うのやら)
息子の負担を少しでも軽くしてやるためにも、ルーファスにはがんばってもらわなければなるまい。もう過去に関わっている暇はない。
つかの間の黙祷の後、国王は全ての感傷を捨て去った。
キリアンは二百年後くらいに『裸婦画の巨匠』ともてはやされるようになるので、グロリアはある意味見る目があったのかもしれません。
次回、最終回です。