レイモンド13
「貴方がた親子がその庶子に生かされていたことを、もうお忘れなのですか?」
レイモンドの苦し紛れの皮肉など、王の侍従には通用しなかった。
「口に気をつけることです、伯爵。貴方がサムズ男爵を襲撃したこと、もはや知らぬ者はおりません。当主の意向で決まった婚姻を暴力でくつがえそうとする家と、付き合おうとする貴族は少ないでしょうから」
「な……、なぜ……。男爵など、末端貴族に過ぎないのに……」
「さきほどからそればかりですね。では問いますが、貴方は家のため、王国のために何をなさいましたか?」
レイモンドは返事に窮した。
幼いころから今まで、次期侯爵として鍛練を欠かしたことはない。学院でも優秀な成績を修めてきた。だがそれが家のため、王国のためになっていたかと問われれば……。
「男爵は燃料として欠かせない魔鉱石の大鉱脈を発見し、効率的な発掘方法を用いて魔鉱石の安定供給に貢献しています。その功をもって叙勲されたのです。エリザベス嬢も、男爵家に輿入れしていれば何の憂いもなかったでしょうに……」
侍従が悩ましそうに首を振る。
エリザベスとサムズ男爵の結婚は、当然ながら破談となった。エリザベス側が全ての責任を認める形だ。
傷物になってしまった令嬢は老いた貴族の後添えに収まるか、修道院に入るのが普通である。格下の男爵家にすら見捨てられたエリザベスに、条件のよい嫁ぎ先が見つかる可能性は限りなく低い。
ならば身内としては高額の寄付金を持たせ、貴族専用の女子修道院に入れてやるべきなのだが……。
「……エリザベスを、男爵家に輿入れさせるわけにはいかないだろうか」
「は……?」
レイモンドが恥を忍んで切り出したというのに、侍従はきょとんとして問い返す。
「男爵家との縁談は破談になったと、先日お伝えいたしましたよね?」
「ああ、それは聞いた。その上で言っているのだ」
ベネディクトから送られてくる資料には、侯爵家の財政に関するものも含まれていた。主な収入から国税や諸経費などを差し引き、侯爵家に入ってくる金額は、上級貴族としてはずいぶん心もとないものだ。東の領地からの税収が途絶え、ルーファスが己の財産を持ち去ってしまったせいである。
これではエリザベスのための特製ポーションはおろか、通常の魔力ポーションを購入し続けるのも厳しい。侯爵家、いや、伯爵家の体面を保つためには、何としてでもエリザベスに嫁いでもらわなければならなかった。
王宮に留め置かれている間、嫁ぎ先の候補を必死に探したが、特製ポーションを購入し続けられるほどの資産家はサムズ男爵家くらいだった。
資産だけならわずかながら他にも候補はある。だがそういった家はアスクウィス侯爵家に劣らぬ名門であり、莫大な支出を覚悟してまで王家の血筋を欲しがるとは思えない。
ここまでくればレイモンドも認めざるを得ない。ルーファスはエリザベスのために、最上の縁談を用意したのだ。
愛のない結婚は不憫だが、貴族令嬢の結婚などたいていそのようなものである。跡継ぎを産むことを期待されない分、むしろ幸運だったのかもしれない。
「……不可能です。男爵の子息たちは事件の元凶たるエリザベス嬢にも強い憤りを覚えています。男爵自身も、自由を奪った相手の妹を妻にするなど考えられないでしょう」
ようやくレイモンドのありえない質問の意味を理解した侍従が答える。無表情なのは苛立ちをこらえているからで、もしもレイモンドが王の身内でなければ『お前は馬鹿か』と一蹴されて終わりだ。
「そこを何とかならないか。エリザベスには男爵に尽くすよう、私からもよく言い聞かせる。若く美しい妻に看護されれば、男爵の回復も早まるだろう」
「エリザベス嬢は男爵との結婚を心底嫌がっていたと聞いておりますが? それに深窓の令嬢に身体の不自由な病人の看護が務まるとは思えません」
「エ、エリザベスは王家の血筋の娘だ。娶れば男爵家は子爵家、いや伯爵家にも昇格されるだろう。成り上がりは喉から手が出るほど欲しいはずだ」
「残念ながら嫁ぎ先が昇格されるのは王女殿下、国王陛下のご息女のみです。エリザベス嬢は姪に当たりますので、嫁ぎ先が昇格されることはありません」
他人の心の機微にうといレイモンドは必死に食い下がるが、侍従はにべもない。さっさと面倒ごとを済ませて職務に戻りたいという空気をひしひしと感じる。
(なぜ侍従ごときに大きな顔をされなければならないのだ)
屈辱だが、ここで引き下がるわけにはいかない。何とかしてエリザベスを男爵家に嫁がせる算段をつけなくては。
(姪では昇格されないというなら……、そうだ!)
「エリザベスを養女にして下さるよう、伯父上に頼んでくれ!」
名案が閃き、レイモンドは顔を輝かせた。
王である伯父の養女になれば、エリザベスは王女だ。男爵家もきっと怒りをおさめ、喜んで受け入れるにちがいない。
侍従はあんぐりと口を開けている。あまりの名案に驚いたのだろうとレイモンドは悦に入ったが、もちろんそうではない。
「……なぜ、陛下がエリザベス嬢を養女に迎えられなければならないのですか?」
「エリザベスは伯父上の姪だ。血筋的に何の問題もなかろう。過去に同様の事例もあったはずだ」
王家に適齢の王女がいない場合、王家の血筋の貴族令嬢を王の養女とし、王女として嫁がせるのは珍しくはない。
「それは嫁ぎ先が王家にとって有益であり、国家の安寧を保つために必要だと判断されたからです。王女殿下を降嫁させるとなれば相応の支度金が入り用になりますが、むろん財源は税金です。多額の税金を投じてまでエリザベス嬢を王家から男爵家に嫁がせる利点がどこにありますか?」
「エリザベスの女性としての尊厳と、何より命が守られるではないか。前王であられるお祖父様もきっと賛成して下さるだろう」
当然の道理を説いたつもりだった。高貴なる女性、それも王家の血筋の娘は、何をおいても守られなければならない存在だ。
「……そうですか」
だが侍従は己の非情を悔いて恥じ入るどころか、首を振って立ち上がった。……あの顔は見たことがある。どれだけ熱心に指導しても成績の上がらない落ちこぼれを見る時の、学院の教師の顔だ。
「申し訳ありませんが、私ではこれ以上お力になれないようです。陛下の裁定はお伝えしましたので、失礼させて頂きます」
「あ、おい……っ」
何度呼びとめても、侍従は振り返りもせず退出していってしまう。
ぱたん、と扉の閉まる音がやけに大きく響いた。
レイモンド視点はこれにて終了。
次回エリザベス視点、急転直下です。