レイモンド11
「ルーファスの出した条件、最後の条項は確かに普通はありえないものだ」
厳しかった伯父の眼差しがほんの少しだけ和らいだ。
「だが、受け入れる価値はじゅうぶんにあると思った。ルーファスは無条件で領地をよこせと言ったわけではない。お前たちさえルーファスを認め、与えられた恩恵に感謝して過ごしていれば、実現しようのない条項だったからな」
「……きっとルーファスも、実現するとは思わなかったでしょう。自分の立場を担保するための条項に過ぎなかったはずです」
無言だった王太后が口を開いた。さっきから思っていたが、やけにルーファスの肩を持つのはなぜだろう。それに祖父はどうして来てくれない?
突然のことで、離宮から駆けつけるのに手間取っているのか。それにしては遅すぎやしないか。
「言っておきますが、あの人は来ませんよ」
一人でもいいから味方が欲しいレイモンドの心を見透かしたように、王太后は言った。彼女があの人と呼ぶのは、彼女の夫……祖父しかいない。
「あの人がいたらまたグロリアをかばって、ルーファスの条件などなかったことにしろと言い出しかねませんからね。そんなことをすれば王家の信用が失墜するばかりか、アクィラ帝国に何を言われるかわからないというのに」
「……帝国?」
「ルーファスは帝国の第二皇子と親交があるのです。第二皇子といっても皇后腹の第一子ですから、皇位を継ぐ可能性はじゅうぶんにあります。ルーファスが侯爵になると同時に帝国の侵攻が止まったのは、かの皇子の指示によるものでしょう」
帝国の第二皇子の噂はレイモンドも聞いている。文武に秀で、母后譲りの秀麗な容姿で若い娘たちを魅了し、愚鈍な第一皇子とは比べ物にならないほどの人望を備えていると。皇帝はここ数年のうちに譲位を考えているが、次期皇帝に指名されるのは第二皇子だと。
(……それでは、侯爵家の領地は……)
視野が極端に狭く、傲慢ではあるが、レイモンドの地頭は悪くはない。だから、わかってしまった。いくらレイモンドやグロリアが訴えても、伯父がルーファスのものになった東の領地を侯爵家に返還させるつもりはないと。
ルーファスと第二皇子の友誼が続く限り、東から攻め込まれることはないのだから。一種の緩衝地帯とするつもりなのだろう。杖の魔術師の弟子であるルーファスが治めてくれれば、国境警備に多額の軍事費を割く必要もなくなる。
じわじわと、レイモンドは身の内から食い荒らされるような喪失感に襲われた。自分が失ったもの……手に入るはずだったものの大きさを、今さら理解したのだ。
「帝国の脅威から解き放たれた領地。そこから上がる莫大な税収。忠誠心篤い領民。王国の盾たる栄光。その全てが、お前のものになるはずだったのだ。……あと三日、おとなしくさえしていれば」
「……、……しかし伯父上、それでは、……それではエリザベスの結婚を止められませんでした」
貴族夫婦の離婚は、女性側からはよほどのことがない限り認められない。三日後侯爵となったレイモンドがエリザベスと離婚するよう交渉しても、サムズ男爵に一蹴されて終わりだっただろう。
(そうだ、俺はエリザベスのために正しいことをしたのだ)
そう思うことで、レイモンドは大きくなるばかりの喪失感をどうにか埋め合わせようとする。
だが伯父は処置なし、と言わんばかりに首を振った。
「さっきも言ったが、男爵との結婚がエリザベスを救う唯一の道だったのだ。エリザベスを生かすために必要な特製ポーションは、ルーファスの潤沢な財産があってこそ入手できていた。そのルーファスが侯爵位をお前に譲って去った後、お前はどうやって特製ポーションを手に入れるつもりだった?」
「……! それ、は」
「ルーファスが条件の財産を持ち出せば、侯爵家の財政は一気に苦しくなる。特製ポーションなどとても購入できなかっただろう。そこでルーファスは男爵にエリザベスを嫁がせることにしたのだ。特製ポーションを定期的に購入できるだけの資産があり、先天性魔力枯渇症の娘を嫁にもらってもいいという貴族家はサムズ男爵家くらいだったからな」
「ルーファスは念のため、ダルトン伯爵家にも打診はしたのですよ。けれど伯爵はすげなく断ったそうです。生きるだけでも莫大な金がかかる上、跡継ぎを産めるかもわからない娘など、いくら王家の血筋でもお断りだと」
王太后が言い添えた。
(フェリックスの留学は……、そういうことだったのか……)
親友であるレイモンドにエリザベスの窮地を訴えられ、息子が騎士道精神に目覚めたらたまらないと、伯爵は危惧したのだろう。
既成事実でも作られてしまったら、エリザベスを娶るしかなくなる。その前にフェリックスを外国に逃がしたのだ。
「こたびの一件。愚かなのはレイモンドですが、もっとも責められるべきは貴方ですよ。グロリア」
王太后に睨まれ、グロリアは細い肩を震わせた。今にもくずおれてしまいそうな彼女を、かばおうとする者はいない。
「ルーファスを呼び戻した時、私は貴方に言ったはずです。レイモンドに侯爵家を継がせたいのなら、エリザベスの病とルーファスの条件について正確に伝えるべきだと」
「……レ、レイモンドはまだ幼かったですから……」
「成長してから伝えることはできたでしょう。いくらだって機会はあったはずですよ。貴方さえきちんと話しておけば、レイモンドもこのような暴挙には出なかったかもしれないのに」
容赦なく責められ、グロリアは瞳を潤ませる。祖父ならかわいそうにとなぐさめるところだが、王太后は厳しい表情を崩さない。
「……母親になっても、貴方は『お姫様』なのね」
ぱちんと扇を閉ざし、王太后は背を向けて退出していく。彼女の言葉の意味は、レイモンドにはずいぶん考えても理解できなかった。