レイモンド10
ルーファスがアスクウィス侯爵の名を使っておこなう全てのことを容認すること。
ルーファスとグロリアの結婚は形式上だけのものであり、ルーファスが他に女性を侍らせてもいっさい苦情を述べず、妨害もしないこと。
もしルーファスが連れてきた者に侯爵家及びその関係者が危害を加えた場合、ルーファスの基準による報復をおこなうこと。
ルーファスの任期はレイモンドが成人するまでの十五年間であり、いかなる理由においても短縮も延長もされないこと。
ルーファスの手腕によって増大した侯爵家の資産は、ルーファスの退位時、ルーファスに返還されること。なお資産の鑑定は、ルーファスが選任した鑑定人によっておこなわれる。
侯爵家の一族はルーファスの侯爵位を全面的に認め、当主として忠誠を尽くすこと。もしルーファスに対し叛意ありとみなされる行動を取った場合、報償として侯爵家の領地を王国より独立させ、ルーファスに譲渡すること。
伯父によって、レイモンドは初めてルーファスがつきつけたという条件を知った。仲介した王家も全ての条項を認めたというから、空いた口がふさがらない。
「……これではこちらが譲歩するばかりです。あの平民が好き勝手することに、王家がお墨付きを与えたようなものではありませんか。しかも侯爵家の領地を独立させるなど……」
「だが侯爵家は本来、当主である侯爵の意志によって動かされるものだ。侯爵の名におけるおこないを全て認めるというのは、当然の権利を主張したに過ぎん」
「だとしても、なぜわざわざ条件に入れるのです」
「……わからぬのか?」
伯父にあきれた顔で問われても、わかるわけがない。はあ、と伯父は今日何度目かの溜め息をついた。
「お前のような輩がいるからだ」
「私、が……?」
「庶子とはいえ先々代にも認められた侯爵家の一員を平民と見下す。そういう輩が、侯爵位を継いだからといって素直に従うと思うか?」
いいえ、と言うには心当たりが多すぎた。平民、平民と顔を合わせるたび反発してきた自分が思い浮かぶ。
あれは決して侯爵に対する態度ではなかった。レイモンド以外にも、ルーファスを侮り足を引っ張ろうとする親族はいただろう。
「当然の権利を主張するだけでも王家のお墨付きを得ておかなければ、とてもやっていけない。ルーファスはそう考えたのだろうな。……実際、その通りになったわけだが」
「……っ、しかし他の条項はありえないでしょう!?」
高貴なる侯爵夫人である母グロリアを侮辱し、財産を持ち出し、あろうことか領地の独立譲渡まで認めているのだ。当時の王は母に甘い祖父だったのに、どうして止めてくれなかったのか。
伯父の反応は冷たかった。
「グロリアとルーファスの結婚はお前の継承位を維持するためだけに結ばれたものだ。ルーファスは本来なら好きな女を連れてきて、新たな侯爵夫人にすることもできた。そこをこちらの都合で譲ってもらったのだから、埋め合わせをするのは当然だろう。それともお前は、ルーファスの連れてきた女を母上と呼びたかったのか? その場合、グロリアは身の置き場がなくなるが」
「そ、れは……」
「財産と領地についても同じことだ。さっきも言ったがルーファスは杖の魔術師の弟子として、上級貴族以上の収入を稼いでいた。それほどの才能を侯爵家のためだけに使ってくれと願うのなら、相応の対価を差し出さなければならない。さもなくば侯爵位など要らぬとつっぱねられただろうよ」
伯父の言葉が真実であることはわかる。だが理解はしたくない。
ルーファスから侯爵位を奪い返す。それだけを励みに生きてきたレイモンドにとって、侯爵家よりも価値のあるものなど存在しない……してはならないからだ。
レイモンドの胸中を、伯父は見通していた。
「いい加減認めたらどうだ。ルーファスが侯爵を引き受けることによって、もっとも利益を得たのはお前とエリザベスなのだぞ」
「お兄様と、……私?」
自分の名前が出たからか、エリザベスも顔を上げた。青ざめていても白くみずみずしい肌は、幼いころはかさかさで吹き出物だらけだった。
今にして思えば、先天性魔力枯渇症の影響だったのだろう。それがこんなふうになめらかで美しくなったのは、いつだった?
「通常の魔力ポーションでは、生命力を保つだけの魔力を補うのが精いっぱいだ。それでもじゅうぶん高価なのだがな。ルーファスは杖の魔術師のつてを使い、アクィラ帝国から定期的に特製ポーションを取り寄せ、エリザベスに与えてくれていた。もちろん対価はルーファス持ちだ」
「……っ!」
ガン、と頭を思いきり殴られたような衝撃に襲われた。アクィラ帝国は魔術の先進国だ。その技術の粋を集めて作成された魔道具や薬品の数々はコルムバ王国でも需要が高いが、上級貴族でもなければ手が出ないのが実情だった。
帝国と王国は緊張関係にあり、直接の貿易が認められていない。ただでさえ高価な品がいくつもの取引ルートを経由して運ばれるうちに、王国にたどり着くころには元の数倍の値段にはね上がってしまうのである。
しかし特製ポーションともなれば作り手は限定され、帝国内でも貴重なものだ。必要とする者にとっては、どれだけ高価だろうと手に入るだけで幸運と言える。
「エリザベスが多少病弱で通るほど回復したのは、特製ポーションのおかげだ。通常の魔力ポーションでは、ベッドから起き上がれなくなっていただろうな」
「で……っ、ですが伯父様、私はそんなものを飲んだ覚えなどございません!」
エリザベスが必死に訴える。
答えたのは、ずっと黙っていた母グロリアだった。
「……毎晩のお茶よ」
「お、……お母様?」
「毎晩、貴方に飲ませているお茶。あの中に、特製ポーションを混ぜてあるの」
夜、ジェナがエリザベスのもとにお茶を運ぶところにはレイモンドも出くわしたことがある。普通のお茶にしては薬っぽい匂いだと思ったが、ハーブティーか何かなのだろうと気にも留めなかった。
特製ポーションの混ざったお茶を、ジェナが運んでいたということは……。
「ジェナも知っていたのですか。エリザベスの病と……、あの平民が特製ポーションを取り寄せていることを」
「ええ。……ベネディクトも知っているわ」
レイモンドの頭の中を、ベネディクトの言動が駆けめぐった。ルーファスを当主として敬うよう、間違ってもたてついたりしないよう、しつこいくらいレイモンドに言い聞かせていたベネディクト。ルーファスの金に魂を売った裏切り者だと、軽蔑しきっていた。
だが伯父の話を聞いた今、全てが裏返る。
ベネディクトがルーファスを当主として認め、レイモンドをたしなめていたのは……。
「俺のため、だったのか」
ルーファスがつきつけた条件の、最後の条項。
『もしルーファスに対し叛意ありとみなされる行動を取った場合、報償として侯爵家の領地を王国より独立させ、ルーファスに譲渡すること』
……侯爵家として致命的なそれだけは実現させまいとしていたのだ。領地なき侯爵という屈辱を、レイモンドに味わわせないために。
ベネディクトの献身も知らず、自分は。
『ルーファス・アスクウィス! 貴様をこのアスクウィス侯爵家から追放する!』
最悪のことをしでかしてしまったのだと、レイモンドはようやく理解したのだった。