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彼と彼女は政略結婚  作者: あやぺん
終ワリト始マリの章

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四話

 しばらく沈黙が続き、そこにミズキが帰宅して「誰もお迎えに来てくれないのですね」と言いながら居間に姿を現した。


「……アサヴさん。なぜここに」


 ミズキは目を大きく見開いて、アサヴとアリアを交互に確認。


「公演がひと段落したから、驚かせようと思って……」

「ミズキ!」


 勢い良く立ち上がったアリアがミズキに駆け寄り、彼の肩に手を置いて「私が誰か知っていたの⁈」と悲痛な声を出した。


「……アサヴさんが何か言ったのですね」

「会って早々に生きていたのかって言われたわよ!」


 顔をしかめたミズキはアリアから顔を背けて俯いた。


「なんで、なんで教えてくれなかったのよ! 私がうんと不安だって知っているくせに!」

「歌姫アリアについて、君はもう少しだけ知っていますよね?」

「ええ。前にマリさんが教えてくれたわ。彼女は今年の一月に事故で亡くなったって」

「マリさん、アリアさんにどのような事故だったのか教えました?」

「いえ。アリアさんに頭痛があったので、ほとんど話していません」


 ふっー……と息を吐くとミズキはアリアを見据えて「歌姫アリアは飛行船の墜落事故で無くなりました。飛行船は空を飛ぶ船のことで、彼女は帰国する大勢の者達と亡くなったというのが世間の認識です」と告げた。


「帰国する大勢の人と……」

「そう、君の家族のような者達が何人も亡くなりました……」

「……」


 私は想像してみた。ミズキの立場なら、どうしたかと。


「君の大事な人達はもう居ないと言いたくなかったのね……。私を傷つけないために」

「記憶がなくても、歌姫が奇跡の生還を果たしたとなれば大報道され、君は記憶が無いまま祀り上げられます。きっと、政治にも利用されるでしょう」


 私もアリアと同じ考察をしたけど、ここまでは深く考えなかった。


「……。祀り上げられる? 政治に? 私……どうなるの?」


「良い気配はしないので、ネビーさんとロイさんには相談してあります。それで君が思い出すまで何も教えないことにしました」

「……そう、なの……。もしかしてそれでここで一緒に暮らしてくれていたの? 何か思い出したらすぐに話が出来るように」


 この問いかけにミズキは頷いた後に、小さく首を横に振った。


「懸念はどちらかというと自死の方……。殆ど何もかも失って、火災の煙で喉をやられたから、海へ身を投げたのかと……。喉は毒クラゲのせいかもしれないですけど……」


 君は……とミズキは続けた。


「風邪で声が掠れた時に治らなかったら死のうと思った。この美声は自分の全て。そう、言ったことがあるから……」


 重たい沈黙が横たわり、しばらく誰も何も言わず、動かず。アサヴが立ち上がって、パァンッと大きく手を合わせて音を出した。


「良し、アリア。君はミズキ……にはそろそろ帰ってきて欲しいからウィオラさんの世話になれ。君の生活費は俺達が払う。その喉が治って、記憶も戻ったら名乗り出る。その時は輝き屋が後ろ盾だ」

「そう思ってとにかく喉を何人もの医者や薬師へ診せたけどこの通りあまり。この喉で記憶を取り戻したら……私が君ならもう一度海へ飛び込みます」


 またしても全員沈黙。アリアが震え声を出して「私……一人になりたい……」と居間から去った。


「こうなったら知っていることを話そうミズキ」

「ええ」


 ミズキとアサヴは一人になりたいというアリアを追いかけて行った。どうしようとシンを見たら「何も知らない俺達に出来ることは、今はなさそうだ」と言われた。


「アリアの今の気持ちは、全く想像出来ない」

「私もです」

「歌姫アリアを主役にした小説の販売は中断だな。まだ少ししか彼女と過ごしていないが、何とも思っていない相手ではないから、こうなると彼女に悪いと感じる」

「そのような小説も書いているのですか?」

「ああ、出版社に頼まれて」


 どういう話なのかと尋ねたら、調べた情報を繋ぎ合わせてシンの創作を加えたアリアの半生と勝手に作った恋人の恋愛話で、最後は例の飛行船事故で生き別れ。

 

「事実でアリアを救って亡くなった人がいるから、その人の行動を恋人役にさせて、恋人を殺す予定だったけどやめた。悲劇は現実だけで十分だから、恋人は大火傷はしたけど奇跡的に助かった、で終わり。後日談はあるけど」

「……そうなのですか」

「ちなみに艶本として加筆したものと二種出版予定で進めている」

「……アリアさんで艶本はおやめ下さい!」

「ちなみに、歌姫の容姿を知らないから、アリアを標本にした」

「なおさらです!」

「裏文学は中止して新作を別に用意するかぁ……。表の方はアリア次第にする」


 シンは仕事に戻ると居間から去り、私はアリアに何か出来ないかと考えたけど、どうしたら慰められるのか分からなくて動けず。縫い物をしながら無力だな……とため息。 


 ★


 シン・ナガエにとって、アリアという住み込み奉公人はとりたてて特別な人間では無い。

 というよりも、シンにとって特別な存在は今のところ押しかけ弟子のアザミと、資料として購入した結果惚れてしまったマリくらい。

 そこに加えても良いと思えるのは、アザミ同様に一年以上自分を気にかけてくれていたユミトと、ズカズカ生活に乗り込んできたレイ、それから多分人生初の友人テオ。おまけでテオの婚約者のユリアだ。


 なので、アリアが記憶を取り戻そうが、このままなのか、シンはあまり興味無い。

 当たり前になり始めた大勢での夕食時間を過ごしながら、隣に座るマリの浮かない顔と、頭が痛いと自室で寝ているアリアと、どうしても終わらせたい練習があるのでと部屋にこもっているミズキが不在なので妙な感覚がすると、シンは口を動かして米を噛んでいる。


「ユミトはまた残業か? 帰ってこないな」


 夕食をとって、風呂に入ったら帰宅する七地蔵竹林長屋の住人達が屋敷に帰宅するという言い方に、シンはごく自然と慣れた。


「ユミトさんは今日、稽古日ですよ……」


 食欲が無い、というようにマリの箸は全然進んでいない。他の者達は人気有名役者の登場と、彼があまりにも気さくなので大盛り上がり中なのに。

 仕事が終わらない、シンの担当編集達も会話に参加して実に嬉しそう。


「そうなのか」

「レイも居ないな。いつから居なかったっけ」

「レイさんはアリアさんの看病です」

「気がついていなかった」


 夕食中、マリがずっと落ち込んでいて、それは明らかにアリアのことで心を痛めていると感じたので、シンは夕食後に彼女の部屋を訪ねることにした。

 レイが夕食の途中で居間へ戻ってして、浮かない顔のマリに声を掛けて、二人の会話がアリアの心配だったので。

 

 他人の不幸は蜜の味、仕事のネタだったのに、自分は変化しているなとシンは髪を掻きながらアリアの部屋の障子越しに「気分はどうだ」と声を掛けた。

 アリアは障子越しに「少し良くなった」と返答。シンは廊下に腰掛けて「俺は他人の気持ちはサッパリで、君の状況は特殊だからさらにだけど、気分転換とか……。ここにずっと居ても構わないとか……まぁ……」と口にして、声を徐々に小さくした。気まずいので俯く。


 ゆっくりと扉が開いたので、シンはそっと顔を上げた。腰を下ろして障子を開いたアリアと目が合う。彼女は困り笑いを浮かべた。


「意外。シンさんが慰めに来るなんて」

「正直、俺は君のことなんてどうでも良い。でもマリが、どうしたら君の力になれるのかと、真剣に悩んでいるから……」

「あはは。正直者。シンさんが私に話しかけるのは飯、風呂を使うから気をつけろ、風呂から上がったくらいだからね」


 眉尻は下がっているけれど、アリアの表情は予想よりも明るい。


「まぁな。マリの心配と仕事で頭がいっぱいだ。その仕事のことでも来た」

「仕事のこと?」

「歌姫アリアは死んでいないかもしれないという噂があるから、そういう文学が世に出回り始めて、俺も編集に頼まれて、長編を書いている」

「へぇ。そうなの」

「同じ屋根の下に本人がいたから、許可が必要だなと。例え記憶がなくても嫌な内容なら嫌だろう。俺はマリの為に稼ぎたいから編集に売れると言われるものを書きたいが、そのマリが友人の君が嫌がる話で稼いだらきっと悲しむ」

「シンさんってマリさんが基準なのね」

「まぁな」

「歌姫アリアの、どんな話を書いているの?」


 問われなくても説明するつもりだったので、シンは小説のあらすじを語った。(フラァ)国の東西線戦争で孤児になったアリアは孤児院へ入ることになり、そこで性格の悪い世話人達に他の子ども達と共に虐められる。

 美しい声と容姿を有している彼女は、いつかその武器を使ってお金持ちになり、孤児院を買い取るという目標を掲げた。

 男子寮の同い年の孤児ミズキと同じ夢を抱いて、どちらが先にお金持ちになるか競争だと助け合う。

 ミズキは孤児達に対して親身な医者に教わりながら医者を目指すようになり、アリアは歌劇団附属学校の推薦入試を狙うようになる。


「なんでミズキって名前にしたのよ」

「考えるのが面倒で」

「それで? ミズキは医者になって、アリアは学校に入るの?」

「そうだ。アリアは歌劇団附属校を卒業して、歌劇団の看板に上りつめる。それで初恋を叶えていちゃいちゃ、ウキウキ幸せな日々だ」

「そういう話なら別に良いわよ」

「艶本って分かるか?」

「……その名称は教わったけど、まさか艶本なの?」

「同じ話で、艶本とそうでは無い本を出す予定だった」

「私の名前を使って淫らな小説なんてやめてちょうだい」

「この回答は予想済みなのでそうする。両方ほぼ完成しているけど、表文学だけ読むか? 気晴らしになるかもしれない」

「読むわ」

「それならオチは言わない方が良いか?」

「そうね」

「煌国編は新聞記事や編集が仕入れた情報を使った。だから何か思い出すきっかけになるかもしれない。気に食わないところは改訂するから言ってくれ」

「かいていって直すってこと?」

「そうだ」

「新聞記事や編集が仕入れた情報……なにか思い出すかも……。嫌になったらやめるけど、読んでみるわ」


 シンは「思い出したいか?」と問いかけた。彼はアリアが嫌だと口にしたら小説は燃やそうと考えている。


「やたら頭が痛くなるから、きっと酷い事があったのよ……。だからあまり……。でも今のままも不安だから知りたい。ずっと、とても落ち着かないの。ミズキは音楽に触れていたら不意に思い出すかもって考えていたって」

「まぁ、なんだ。マリには手伝い人がいて欲しいから、ずっとここに居てくれて構わない」

「思い出しても思い出さなくても、名乗り出るつもり。私が生きていて嬉しい、私と親しかった生き残りがいるかもしれないから。ミズキに居ないって教わったけど一応」

「そうか」

「私の代わりの使用人は見つかるわよ。ただ、マリさんがもう少し歩けるようになってからにする。私がまだ彼女と一緒にいたいから」


 こうして、シンはアリアに「仮題:奇跡の歌姫」の原稿を全て渡した。彼女が紛失したり、破棄しても構わないと本原稿そのものを。

 

 ★


 この日の夜、マリは悩んだ結果何も言えなくても、心配していて力になりたい気持ちを伝えたいとアリアの部屋を訪れて、彼女に一緒に読書しようと誘われた。

 マリは「仮題:奇跡の歌姫」を読みながら、これがアザミが自慢するシンの文章と感激し、やがて物語の中へ没頭。

 それはアリアも同じで、二人は少しの時間差で原稿を読み進めて、(フラァ)国編までは大興奮。

 アリアは「相手役の名前がミズキなのが気に食わないわ」と、そこだけ直してもらうと口にしていたが、煌国(こうこく)編になると次第に表情を険しくさせた。


 それで時折、これはこうだったというように、記憶が戻ってきているような台詞を口にする。マリは、頭痛がしてもまだ読みたいと言うアリアの隣に寄り添い続けた。

 二人の読書は夜明けまで続き、物語は終盤へ。先に読んでいるアリアはわなわなと震え始めて、ボロボロ泣き、最後まで読み終わると、原稿をマリへ渡してうずくまった。


「アリアさん、大丈夫ですか?」

「読んで……」


 アリアの背中を撫でながら、マリは最後まで物語を読んだ。恋人はアリアを救う為に火だるまの飛行船に取り残され、二人は永遠に引き離された。

 足を怪我して上手く歩けなくなって、更に海で溺れかけて毒クラゲを飲みかけたアリアは声を失った。何もかもを失った絶望に心が負けて、彼女の記憶は曖昧化。海で彼女を発見し、保護してくれた女性と慎ましく生きることに。

 そんなある日、厄災大狼に襲われた街があり、人手が欲しいという記事を見た彼女は、自分を助けてくれた者達のように、今度は自分が誰かの支えになりたいと申し出た。


 アリアは薬師の手伝い人として出発。そうして、彼女は善意でその街の病院で働く男性医師と出会う。

 顔の半分以上を火傷した、酷く醜い容姿の男性はミズキという名前で、彼にも記憶が殆ど無かった。

 

「私はアリアです。これからよろしくお願いします」

「ミズキです。アリアさん、こちらこそよろしくお願いします」


 毒クラゲではなくて心理的負担で声が掠れていたアリアの声が、かつてのような輝きを取り戻しかけたが、その小さな変化に本人はまだ気が付かず。


 かつて恋人だった、一度は死に飲み込まれかけて引き裂かれた二人が、他人として再び出会い、笑い合ったところで物語は幕を閉じる。

 

 後書き


 真の見返りは命へ還る。

 愛するマリへ捧ぐ。


 これは消せ、という書き込みという共に横線が引かれているが、別の字で「シンイチの妻、愛するマリへ捧ぐ」という文字が書き直されている。

 なので、マリはアリアが心配なのにこの後書きは……とかなり動揺している。


「ふふふ、あはは! なんでこんなにところどころ合っているのよ! 飛行船から突き飛ばされた場面なんてあの場にいたみたい!」


 体を起こしたアリアは天井を見上げて、微笑みながら涙を流した。目を閉じて「今なら死のうとは思わないわ……。その為に沢山の記憶を失ったのね……」と呟き、小さく歌い始めた。

 掠れ声で歌い、咳き込んでは歌い、最後まで歌うと「治ってきているから、練習すればどうにかなりそう」と震え声で呟いた。


 このようにして、シン・ナガエの家から住み込み使用人アリアが去ることになり、同時にミズキも家を出た。

 その翌週、アザミの息子が人手が欲しいくらいの怪我をしたということで南幸せ区へ。


 その三日後、シン・ナガエの元に父親から屋敷で旅館運営をするので出て行くようにという手紙が届いた。

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