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彼と彼女は政略結婚  作者: あやぺん
料理ノ章

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12/34

一話

 同居結納二日目。初めて夕食を作った結果、段取りが悪くて遅くなり、他の作業に夢中で魚を焦がした。

 そのことに慌てて、焦げたのは皮だけのようだから剥けば大丈夫だと処理していたら、今度は煮物が焦げる寸前。と、いうよりも焦げた臭い。見た目は良いけど、味見をしたら焦げ味で嫌な感じ。

 

 ご飯、あさりのお味噌汁、大根とこんにゃくの煮物、メバルの塩焼き、漬物という夕食が完成したのは予定よりも一刻遅い時間。

 シンを呼びに行ったら、いつの間にかアザミがいて、部屋で何やら話していた様子。


「すみません。来ていたとは知らず、二人分しか作っていません」

「長屋の住人に作ってもらうんで平気です」

「作ってもらう? アザミ君、作ってもらうとはなんだ」

「料亭の料理人さんが同じ長屋にいて、昼担当の料理人らしくて、早朝出勤で昼過ぎに帰宅するから作ってくれるんです。有償ですけど安いし美味いのなんの」

「へぇ。腕のありそうな料亭の料理人がなんでまた長屋にいるんだ」

「しかもあの人気店、鶴屋の料理人です。元貧乏人だから、長屋は落ち着くって言うていました」


 鶴屋は知らないけど、そんなに美味しいのなら気になる。シンはそう告げて、二人分の食事を三人で摂って、アザミが暮らし始めた長屋へ行くと提案。彼は長屋という存在自体が気になるらしい。

 

「ギイチ先生は、これまで生活描写は乏しかったですけど、次回からは違そうでワクワクします」

「とっとと食べて行くぞ」


 三人で居間へ行き、アザミが手伝ってくれて、二人分の夕食を大体二人分へ。塩焼きメバルは分けるのが難しいので、シンとアザミへと言ったら二人共私に譲ってくれた。


「それならアザミ君が無しだ。俺は食う。マリ、なんでこの魚はわざわざ丸裸なんだ?」

「すみません。段取りが悪くて焦がしてしまいました」

「へぇ。君はやたら美味い味噌汁を作れるけど、料理上手ではないと。まぁ、学校か手習という日々だった箱入りお嬢様はそうだろう。今朝の洗濯の失敗も同じ理由だな」


 シンは特に気にしないでメバルを口に運び、次に味噌汁を口にした。左手は袖の中に引っ込めていて、右手しか使っていない。


「美味いけどじゃりじゃりするな」

「えっ? すみません。……あっ。砂抜き! アサリは確か砂抜きしないといけません。習ったのに忘れていました!」

「ふーん。砂抜きってなんだ?」

「アサリは砂の中で暮らしていて、体の中に砂を持っているから、それを吐き出させないと不味いお味噌汁になってしまいますし、砂でお腹も危険です」


 特に気にせずお味噌汁を飲み続けているので、私は慌てて彼からお味噌汁を取り上げようとした。


「腹を壊したら壊したで資料だ。むしろ壊さないかなぁ」

「そんな」

「そんなってなんだ」

「体が悪くなって欲しいなんて、縁起でもないことはおやめ下さい」

「はいはい。契約期間満了までに何かあっても、残りの金は払ってやる」

「そういう意味ではありません」

「顔に書いてあるぞ」


 違うのに、と文句を言おうと思ったけど、ギイチが美味い、美味いとお味噌汁を飲んでいるので水を差したくなくて何も言わず。

 夕食が終わると、アザミが片付けを手伝ってくれた。シンは台所には来たけど、板間に腰掛けてあぐらに肘を乗せて頬杖。こちらを観察しているけど何も言わず。


「ギイチ先生も洗い物をしてみますか?」

「するか」

「お嫁さんと洗い物という場面を書くかもしれませんよ?」

「下書きでそういう場面が出たら経験するけど、現時点では必要無い」

「先生、その下書きはもう読めますか?」

「まだ無理。それにしても、マリ。君の尻は貧相だな」


 台所に人がいるという光景や、全体の動きを見ているのかと思ったらお尻! と私は慌てて両手を後ろに回してお尻を隠した。


「おい。その手をどかせ。その貧相な尻をどう表現するのか考えていたんだから。君は資料。俺の下僕。逆らうな」

「……」

「ちょっとギイチ先生。そういう言い方はやめましょう。マリさん、大丈夫ですよ」

「アザミ君は出版社をクビになりたいのか? 君は俺の下僕だから雇ってもらえたんだぞ」

「はいはい、ギイチ先生は俺がいないと社の人ときちんとやり取り出来ないから、その脅しは無効でーす」

「はぁ? おい、マリに命じて、君に襲われたって言わせるぞ」

「……その声や目は本気な気がします。そうだった。先生の創作の邪魔をすると殺されそうだから……マリさん、悪いけど手をどかして下さい」


 アザミはシンに対して割と気さくだけど、逆らえない部分もあるみたい。

 シンの言う通り、私は彼の奴隷のようなものなので渋々手を離して洗い物の続き。なぜシンはよりによって艶本を書く道を選んだのだろう。

 大型金貨五枚を躊躇いなく払えるくらい稼げる文才があるのなら、表文学……と考えて、それに挑戦するらしいから、艶本は小説家としての登竜門なのでは? という考えに至る。


「アザミさん。小説家さんはまず色春本を書いて修行するものですか?」

「いえ。そんなことはありませんよ」


 違った。それならなぜシンは色春本——別名艶本——を書いたのだろう。


 ★


 後片付けが終わるとシンに部屋に来いと言われたので身構えたら、親切なことに着物を贈られた。


「二着洗濯屋に出したから古着二着だ。大きさは自分で調整しろ」


 片手で投げるように渡されたけど、買ってきてくれるなんて優しい。


「忘れていました。このようにありがとうございます」

「店員が選んだから、俺は選んでないからな。出掛けるからさっさと着替えろ。出て行け」


 睨まれたので部屋の外に出て、渡された着物を確認。シンの部屋で見たのは桃色と白の二着だった。廊下は薄暗くてよく見えないので自分の部屋へ。

 やはり着物は桃色と白の二着で、桃色の小紋は七宝つなぎで白地の着物は付け下げで淡い青星花が散らばっている。

 訪問着はどう見ても古着だけど、付け下げは新品疑惑。店員が選んだのなら、柄の意味などは考えても無駄だろう。


 近くの長屋へ行くのなら小紋の方が良いと桃色の着物を選択。

 三人で家を出て、アザミとシンが提灯を片手に持って、アザミを先頭にして、私がその後ろ、シンが一番最後という順番で夜道を歩いた。

 アザミが引っ越した先はシンのお屋敷からかなり近い竹林そばにあるという。


 火消しに前髪を切られたシンは、整師には行っていない。真っ直ぐ切り揃えられた前髪は変だからなのか、彼は火消しが巻いてくれた手拭いをしたまま。

 ただ、私が買ってきた着物を着てくれていて、それがとてと良く似合っている。

 シンが「君と出掛けるたびに職質されたら敵わんから着替えた」と苦々しそうに言ったから、新しい着物は嬉しくないようだ。

 片袖から左腕を抜いて、見えないように懐におさめているからまるで片腕を骨折して固定している人のよう。


 昼間はあれこれ別のことに意識が持っていかれたけれど、昼食後にキスされるのかと思った時から、私は時々彼の顔を見られない。


 偽りだけど、シンは祝言する相手。初夜で全身を見られてしまうし、噂のキスもするのだから、親しくなっておいた方がきっと気持ちが軽くなる。

 彼は言葉遣いが乱暴だけど、親切なところがチラチラ見え隠れするので、きっと酷いことはされない。昨日に続き、さらにそう感じる。


 今さっきも、木の枝が私の頭にぶつからないように気をつけようとしたら、先に彼の右手が伸びてきて、そっと枝をどかしてくれた。


 てくてく、てくてく歩き続けると竹林が見えてきてお地蔵様も発見。お地蔵様は七体もある。


「シンさん、アザミさん、愛くるしいお地蔵様です。ハイカラなことに毛糸の帽子とマフラーをしていますよ」


 それも、七体のお地蔵様の帽子とマフラーは全て違う色。


「毛糸? 毛糸とはなんだ」

「毛糸はそちらの編み物に使う異国の糸です。ふわふわもこもこした、羊なる生き物の毛を定期的に刈って糸にするそうです」

「ふーん。どこの国から仕入れているのか知らないが、こんなものがあるのか」

「物心ついた頃に母が編み物を始めて、面白いから教わりました」

「物心? そんなに前からあるのか?」

「ええ。シンさんの生活圏では見かけなかったのですね」

「アザミ君は知っているか?」

「亡くなった妻が昔マフラーを編んでくれたんで、元服祝いの時に息子へ譲りました」

「ふーん。俺は引きこもり過ぎて世間知らずだなぁ」


 シンの気のない返事も、アザミの妻がもう亡くなっているとは悲しい。彼には息子がいるのか。見た目よりも若く見えるけど、父と同年代疑惑ってこと。

 七つのお地蔵様の端から端まで順番に手を合わせていたら、遅いから早くしろと怒られ、アザミは「まぁ、まぁ」と庇ってくれた。


「すみません。お地蔵は子どもを守ってくれるので、海が近いから溺れそうな子を助けて欲しくてつい」

「……君はそう、なんでこう、良い子ぶりっこする。俺に擦り寄っても何もないからな。必要経費は払うが、それ以外は自分の金を使え。あと払った分だけこき使う」


 女学校に入学して少しした後に、同級生に陰で似たようなことを言われたことがある。良い子ぶってとか、媚売りみたいなことだ。

 誰かに良く思われたいからそうしている訳ではないことに対してそう言われるのは衝撃的で、非常に嫌な気分になる。

 黙ってすみませんと言えば良かったのに、余計なことを告げてしまった。私の悪癖はこのように言葉が多いとか、考えなしに話してしまうこと。


「なんだ。文句があるなら言え。俺は本来知ることの出来ない女という生物の思考回路も資料として欲しい。十人十色だから君一人で万人を知ることは出来ないけれど、標本ゼロとは雲泥の差だ。君に沈黙は許さない」

「思ったことをそのまま口にしただけなのですが、良い人ぶりたいのだろうと(しゃく)に障る方もいるようです。この考えなしに余計なことを口にするのは私の悪い癖だから直したいです」

「思ったまま? 君は見ず知らずの子どもが心配だから時間を割いたのか? こんな何もしない無機物に手を合わせるという無駄を本気の本心からしたのか?」


 表情でも言い方でも理解不能だと伝わってくるけれど、私にとっては彼の方が理解不能だ。


「見知らぬ子でも、子どもが溺れ死んだら辛いです。知っている子やこれから知り合う子だったら余計に。シンさんには信仰心が無いのですね」

「この世に神などいない。信仰は色々な面で使いやすい。人があれこれ人を操る為に創作したものが信仰という文学だ」

「それなら数年前に起こった皇帝陛下暗殺未遂時の雷雨の多さはどうお考えですか?」

「偶然さ」

「龍神王様がお姿を現したではないですか」

「君は見たのか?」

「いえ。新聞記事の絵と噂話でしか知りません」

「ほら見ろ。君は騙されているだけ。辿るとそこに目撃者はない。政府が作った世論戦だ」


 私と彼では見えている、考えている世界がかなり違うようだ。これにはかなりの驚き。箱入り娘だから世間知らずだろうと考えていたけれど、やはり私の視野は狭かったようだ。


「世の中には数多の者が暮らしていると言いますが、本当にその通りですね」

「き——……」

「アザミさーん! 遅いから先に食べていましたよ!」


 長屋の前からこちらに手を振ったのは、袴を履いている背の低い人物。長屋の前に机や椅子があって、男性は全部で五人いて、女性は三人いた。


「ただいま帰りました。おおー、今日は鍋ですか」

「今が旬のアサリ出汁のわかめ鍋です。こんばんは。お二人はアザミさんのお子さんですか?」


 手前にいる、おひつからご飯をよそっている、平均的な背の私よりも少し背の低い少年が私に笑いかけてくれた。

 鼻が少し目立つ猫顔の美少年で、着物に袴姿という、これから武術系の手習に行くというような格好に前掛けをしている。

 声変わり前の声色なので、落ち着いている見た目よりもかなり若いのだろう。


「皆さん、こちらは仕事でお世話になっている先生と婚約者さんです」


 アザミはその後に、ここにいる全員の名前を教えてくれた。料理担当に見える美少年はレイというそうだ。


「マリと申します。アザミさんがお世話になっております」

「どうも」


 シンは少し離れた位置から動かずにそっぽを向いている。


「先生は人見知りです。創作に役立てたいから長屋見学をしたいとついてきたのですが、あの通り」

「へぇ。アザミさんが担当する小説家さんだからもっと年寄りかと思っていました」


 ねぇねぇ、君とレイがシンに近寄って、シンは数歩後ろに下がった。


「レイって言います。若いのに職業小説家なんて凄いですね。どんな本を書いているんですか?」

「別に」

「アザミさんが先生の本に惚れて押しかけ弟子になったって言うていたんですよ。でも読ませるのは恥ずかしいって。とにかく表現に臨場感や現実感があるのが素晴らしいって聞きました」

「……取材で来た。この長屋には料亭の料理人がいるって聞いて。わざわざ長屋に住んでいるっていう変わり者がいると」

「それは自分のことです」

「はぁ? 君は未成年だろう? ああ、料理人見習いってことだったのか」

「もう少しで三十才です」

「はぁああああ⁈ 君は詐欺師か⁈」

「そういう反応をされるから、あまり会わなそうだったり、交流しなそうな人には十八才ですって言うておくことにしています」


 世の中には声変わりしない者もいるのだなぁ、とシンとレイを眺める。そこそこ背のあるシンと、私よりも小さいレイは年齢差のある兄弟みたいな身長差。


 取材とはありがとう。おいで、おいでとレイは渋っているシンの袖を引っ張って、椅子に座らせた。


「大奮発して今日はご馳走します。わかめ鍋なんで、ご自由にしゃぶしゃぶして下さい」

「しゃぶしゃぶってなんだ」

「こうやってくぐらせます。知らないなら最初は自分の目利きで食べ頃にしますよ」


 レイがお湯にくぐらせたわかめはお椀に入れられ、それをシンが箸で口にする。するとシンは満面の笑顔で「美味過ぎる!」とわりと大きめな声で喜んだ。


 顔を出しているシンはわりと色男系の顔立ちだからか、向かい側に座っている女性三人がきゃあきゃあしている気がする。


「そんなに褒めてくれるならお味噌汁もどうぞ」


 シンは無言で味噌汁碗を掴んで口に運び、おめめを落下させそうなくらい見開いた。


「こんなに美味い味噌汁は初めてだ……」

「小説で儲かったら鶴屋へどうぞ。もっと気合いの入れた料理を提供しまーす。駆け出し新人ならたまにここへどうぞ。次からは有料ですがもらうのは材料費くらいです」

「なんでこれが材料費くらいなんだ!」

「趣味だから? 皆に料理の時間分出世してもらって恩返ししてもらおうとか、軽く料理を教えて嫁ぎ先でチヤホヤされた結果、恩返ししてもらおうとか。そんなに感激してくれるなら自家製梅干しもどうぞ」

「今夜の夕食は焦げた物と砂味噌汁だったから、五臓六腑に染み渡る」


 シンは延々とレイと話して実に楽しげ。私には全然見せない笑顔でとても楽しそう。そのうち、アザミも交えて酒盛りを始めた。人間嫌いはどこへ行ったの?


 私は少々疎外感。レイが促してくれて、女性三人と話せるようになっても、シンの態度の違いにもやもやし続けた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 新シリーズ開始、ありがとうございます。 人の歩みが描かれていて、癒されます。 厳しい事は多いですが、幸せも多くて、良い方に書かれているのが大好きです。
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