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彼と彼女は政略結婚  作者: あやぺん
二.偽異魑ノ章

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五話

 居間におひつが運ばれて、囲炉裏に炭が入れられ、そこに五徳を使って網を乗せると、マリはギイチの前におにぎりの並んだお皿を出した。


「それでは焼きおにぎりが初めてのシンさん。これより、焼きおにぎり祭りを開催しようと思います」


 部屋に放ったら糞尿をされて被害者になったと語ったというのに、白兎を居間に放って、ウキウキした顔のマリは、ギイチには異生物のように感じる。


「祭りってなんだ」

「なんと、好きな味付けを出来るのですよ!」


 これが世間一般的な箱入りお嬢様だと、こんなの想像で書けるか! とギイチは心の中で筆を畳に投げつけた。

 味噌、柚子胡椒、醤油、おかか、梅があるらしい。


「これらは台所にあったのか?」

「お味噌とと醤油はありました。他は帰り道に買ったではないですか」

「そうだっけ」

「そういえば、シンさんは火消し見習い君達にあれこれ質問していましたね」


 面倒なことになったら嫌だから、火消し見習いになんて話しかけるかと思っていたのに、彼らが自分に質問責めを開始したから逆に彼も質問をするようになり、最後はマリの存在を半分くらい忘れる勢いで話に集中していた。


「あー。俺は時々周りが見えなくなる。何かを考えていたり、執筆中の時だ」

「そうなのですね。ではシンさん。まずどの味にしますか?」

「全部知りたいからこのおにぎりを小さくしろ」

「確かに、その方が楽しそうで、美味しそうです」


 こうして、ギイチはマリが作った全ての焼きおにぎりを平らげて、これがこの味ならこれとこの組み合わせならどうだと凝りはじめて、マリに感想を求め、最終的におにぎりは全て無くなった。

 他人と少し料理という行為を、無邪気に楽しんだことにギイチは気がついていない。


「た、大変ですシンさん!」

「なんだ?」


 わりと遠くまで歩いたのに、着物を買うのを忘れたこと思い出したのだろうとギイチはマリを眺めた。彼女の唇の端に米が一粒ついている。


「お茶漬けの用意をしようと思っていたのに、焼きおにぎり祭りの開催で忘れていました」

「へぇ。そりゃあ、残念だな」

「焼きおにぎり茶漬けも美味しいのですよ。なので是非、シンさんに喜んでもらいたかったのに」


 明日作れば良いだけの話なのに、この世の終わりみたいな顔をして落ち込み、膝に乗ってきた白兎を撫でるマリはなんとも絵になる。


「ふーん。明日作れば良いのになぜそこまでの絶望顔をする」


 この幼稚で変な女に惚れたというのは錯覚だな、とギイチは彼女の頬に指を伸ばした。口角より少し外れたところにある米を掴んで取る。

 すると、マリは一気に真っ赤になって、瞳を潤ませて俯いた。


「日……が高い……ですので……お戯れは……あの……」


 頬に指が触れた。たったそれだけなのに、恥ずかしそうな顔で涙目の上目遣いは破壊的。


「……」


 とりあえず掴んだ米を口に入れると、ギイチは唾を飲み込んだ。あそこが勃ちかけているし、動悸がするし、使って良い資料だから手を出そうかと思案。


「戯れって、俺が君なんかに手を出すと思ったのか?」

「えっ?」


 マリの驚きは当然である。なにせギイチは彼女をそういうことをする為に買ったのだから。


「君は昼間っから欲情していたんだな」

「ま、まさか。まさか!」

「して欲しいならしてやるぞ。惚れた男と文通前だったなんて嘘だろうから、キスくらいしたことがあるんだろう?」

「あり、ありません。き、くらいとはなんですか! とても大切なことですよ!」


 マリにキッと睨まれたギイチの背筋はぞくぞくして高揚。


「き、ってなんだ。キスのことか? はしたないから言えませんっていうことか?」

「そのことです。はしたないので言いません」

「言え。君は俺に逆らえないだろう? 言え」

「……。えー……。はい……」


 それから、かなりの時間をかけて、マリは「きはキスのことです……」と蚊の鳴くような声を出した。羞恥の極みというマリの姿にギイチはますます興奮。

 彼女に対する色欲だけではなくて、単に「本当に本物のお嬢様は魔境だ。買って良かった」という知的好奇心を刺激された故の興奮である。


「キスして下さいって言ってみろ」

「……それで、ここでするのですか⁈」

「言えって言っただけだ」

「……文学資料にするのなら、初めては人の目のない景色の良いところが良いです」

「誰が君の頼みを聞くか。さっさと言え」


 目を閉じてぷるぷる震えながら、マリは絞り出すように「キスして下さい」と小さな、うんと小さな声を出した。


「……」


 萌えた。


 と、ギイチは無言で立ち上がって居間を脱出。自室へ飛び込むように入ると、頭を抱えて「萌えた」じゃないと布団の上をゴロゴロ。


「あんの女、何が景色の良いところにしろだ。俺が飼い主で下僕なのに自覚していないのか! 畜生! 拐かされてたまるか!」


 うつ伏せになって布団を拳で軽く殴ると、ギイチは「祝言を待つ前にぶち込むか……」と呟いた。


「そうだ、それだ。いっそ乱暴に犯してしまえば……。それだと今のあの天衣無縫な言動が消えるな。それは困る。二度と買えないような希少品だからな」


 とりあえず、ここまでの事を資料にまとめたり、短編でも書いて使用してみるかと、ギイチは一発抜いた後に創作を開始。

 没頭したギイチの執筆は夕方まで続き、その間にマリが「シンさん、着物を買い忘れていました」という声がけをしたけど気が付かず。


 一旦休憩、(かわや)へ行くかと自室を出たギイチは帰りにふとマリを探した。目を離している間にまた変な事をしているかもしれないから、覗き見したら愉快なことをしている可能性あり。

 しかし、屋敷のどこを探してもマリは居ない。玄関へ行ったら彼女の草履がなくて、棚の上に「シンさんへ。買い物へ行きます。マリ」という書き付け。


「声をかけずに書き置きって逃げたか? 逃げたら全額返金だけどな……」


 今さら、大型金貨五枚よりも自分の貞操が大事になっても、彼女は帰宅したら結局誰かに体を売る羽目になる。しかし、本能は時に理性を凌駕する。

 姉のように、家族を捨てて、初恋の恋人と駆け落ちかもなとギイチはマリの書き置きを握り潰して深いため息。


 初恋の君は彼の中で勝手に初恋の恋人に変化しているし、キスくらいしていただろうと決めつけていて、逃げたというのも彼の中でかなり事実と化したので、ギイチの胸は張り裂けそうに痛んだ。


「くそっ。最悪な女だ。大した情報を得る前に逃げるし、幼稚で珍妙な癖にこんな気持ちにさせやがって」


 壁に背中をつけて、へなへなと座り込んだギイチは体を丸めた。

 信じるものかと口にしていても、親しげに笑うマリという存在は、あっという間に彼の心の中を占拠していたので傷も深くなる。


 ★


 ギイチが玄関で座り込んで膝に顔をまずめてから約半刻後、買い物かごを持ったマリが帰宅。


「ただいま帰りましたー。シンさん、帰りましたー。家が広いから返事はないですね」

「……えっ?」


 逃げたと思っていたマリが、呑気な声を出して帰宅したのでギイチは勢い良く顔を上げた。


「まぁ、シンさん。具合が悪いのですか? 助けを求めようにも家から出る気力が無かったのですね。薬師……運ぶのに火消しさんが必要です!」


 ギイチか違うと叫ぶ前に、マリは買い物カゴを玄関の床に落として、慌てたように外へ飛び出した。


「おい、待て! 違う! 別に元気だ!」


 慌てて後を追ったギイチは大声を出した。振り返ったマリと視線が交錯。


「元気なのですか?」


 マリは足を止めて振り返り、気遣わしげな表情をギイチに向けた。


「ふと創作材料を思いついたから、忘れないようにその場で考えていただけだ」


 かなり無理のあるこの言い訳を、素直なマリはそのまま受け取った。


「まぁ、そうでしたか。シンさん、シンさん。着物を買い忘れていたので買ってきましたよ。見て欲しいです」


 パァッと表情を明るくしたマリにシンは後退り。二人で玄関に入ると、マリは買い物カゴを持ち上げて、顔を青くした。


「いゃぁああ! たまごが、たまごが割れています!」


 突然叫んだので何かと思ったらたまごが割れた程度。


「そんな叫ぶことか?」

「棚から置物を払ってしまったようです。愛くるしいカニの置物が憎らしく見えてきました」


 しょんぼり顔のマリは木彫りのカニを持ち上げて「たまご……」と呟いた。


「割れたのは一つだけです。一番下に入れておいた着物は無事でした」

「着物はいくらだった? 必要経費は払うから言え」

「他人が着た着物は嫌だと申していましたが、あの古物屋には、一度も使わずに売られたものもありまして、交渉に交渉を重ねてこちらを買いました」


 ほら、とマリがギイチに見せた着物は薄灰色の無地の着物。受け取って触れたら、そこそこ質が良さそうなものだと分かった。

 古物屋でもそうだったが、自分の着物購入はこの女の頭の中でどう消えたんだ? とギイチは首を捻った。


「灰桜色は花咲おじいさんが幸せを作る色です。シンさんの本を買う方の目的がなんであれ、売れているということは、買い手が沢山いるということです。次の作品も世間の方々を楽しませるでしょうから、この色はシンさんにピッタリかと」

「……」


 花咲おじいさんがなんだか知らないけれど、褒められたとつい湧いた喜びを瞬時に否定して、ギイチは「また拐かしにきた」とじりじり後退。


 そこに、ガシャン! という大きな音が響いてギイチの言葉を遮った。振り返ったマリの視線の先に立っていたのは警兵ユミトと女性兵官のカナミで、物を落としたのはユミトである。

 彼が落としたのは夫婦茶碗で、紐で簡単に縛っただけの二つの茶碗は無惨なことに粉々。


「す、すみません。あの、つい」


 ユミトは十年以上昔のことを、その時はそこまで気にしなかったことを思い出してあれこれ動揺したのだが、もちろんそんなことは誰にも分からず。


「お怪我はありませんか?」とマリがユミトに近寄ろうとして、カナミは「ついって、何に驚いたんですか?」と問いかけた。


「いや、あの。本当につい……。あーあ。せっかくギイチさんの結納祝いに買ったのに。カナミさんもマリさんも怪我するから近寄らないで下さい。俺が片付けます」

「マリさん、私とユミトさんで片付けるので大丈夫です。約束通り生活の様子を見に来ました。優先度が低いのでやはりこのように夕方になりました」


 ギイチは目の前の光景を眺めて、ユミトが明らかに動揺していて、背中に夕暮れを背負っていても分かるくらい耳が赤いので訝しげる。

 マリはマリで扇子を出して顔を半分隠して、照れたような声で「ほう、箒をお持ちします」と立ち上がって、慌てたように去っていったので不審がる。


 美少女に一目惚れした警兵と、幽霊屋敷まで優しく運ばれたことで逞しい色男系警兵に惚れた女学生……。普通にあり得そうだと、ギイチは苛々し始めた。


「何が夫婦茶碗だ。泥棒でもしにきたんだろう。平均より少し美しくて、上品なお嬢様だから欲しいだろう? 土下座するなら使わせてやっても良い」

「……はぁ?」


 ユミトは睨むようにギイチを見上げた。


「ギイチさん。それはどういう意味ですか?」


 カナミも渋い顔でギイチを見据える。


「昨夜話したように、彼女は父が勝手に寄越して勝手に契約した婚約者だ。誰と何をしようが俺には関係ない」


 関係無いと自分で発した後に、ユミトとマリがいちゃいちゃと妄想が脳裏をよぎって、彼の苛々は増した。自業自得である。


「そう言わず、せっかく夫婦になるんですから努力して親しくなって下さい」

「そうですよ。そのように壁を作って嫌な言葉を投げると、相手の好意は消えていく一方です。お互いにとって良くないですよ」

「この偽善者め。説教ならもっと底辺の者達にし——……」


 そこへマリが戻ってきて「シンさん」と声を掛けた。本人が来ないのでどこにいると探したら、彼女は廊下の角から手に持っている箒だけを出していた。


「何をしている」

「婚約者でも無い方に浴衣姿を見せられません」

「君の思考回路はどうなっているんだ。その格好で街中を歩いただろう! しかも二回も」

「家の中だと長襦袢を着ていても浴衣だと意識してしまって、恥ずかしくなりました」

「そろそろうんこ着物が乾いただろう。着替えてこい」

「そういえばそうですね。あーっ! シンさん! 泥着物を洗濯屋に出し忘れました」

「やかましい! この時間からだと襲われてヤラれるから家にいろ。俺が行ってくるから持ってこい」

「ありがとうございます。その間にお夕食を作りますね。せっかくですので、結納品の着物を使って下さい」


 ユミトとカナミは顔を見合わせて、どちらともなく「大丈夫そうですね」と言い合った。

 それで、割れた茶碗を全て手拭いでくるんで回収。ギイチとマリが親しげに話しているうちに、そうっと玄関から出て行った。ギイチとマリに温かい視線を残して。


 ★


 このようにして始まったシン・ナガエの新しい生活は、これまでの静かな生活とは真逆の、とても賑やかな日々になる。

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