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彼と彼女は政略結婚  作者: あやぺん
一.出会いノ章
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一話

 この国の結婚は、少しずつ本人同士の意志が尊重されるようになっている。そのため、私は登校時に見かける彼に対して、文通をお願いしようと考えた。


 私が気になる彼は、今年の一月からほぼ毎日登校時に見かける男性で、彼の制服は役人のもの。今年の一月から見かけるようになったということは、彼は新人なのだろう。彼は毎週木曜日に限り、私たち女学生が帰宅する時間帯に私たちの通学路を、鞄を持って、凛とした姿勢で歩いている。


 役人になるには公務員試験を突破しなければならず、その試験を受けられるのは元服する年から。十六歳になる年から受験可能なので、浪人せずに合格すると十七歳になる年はもう新人役人。とんとん拍子に合格した人なら、私と一歳しか違わない可能性。

 役人というだけで、どこで働いているのかは分からないけれど、役人という肩書きだけで両親に許してもらえる気がして、私は母に「文通をお願いしてもいいですか?」と相談した。


 結果、私が「どこどこの誰々なので、文通していただけませんか?」と申し込むくらいは許された。返信の内容で彼の家柄が同格以上と判明したら、文通しても良いという。返信がなかったら、諦めるしかないけれど。


 そういうわけで、私は朝からとても緊張していて、趣味会後の下校時なんて、心臓が止まりそうなほど。付き添い人には母が話をしてくれたので、彼に近づいて手紙を渡す時間を作ってもらえる。


「ユ、ユリアさん。ユリアさん。緊張で頭がおかしくなりそうです」


 二月から料理会に参加するようになったユリア・ルーベルは、同い年だけど頼りになる姉御肌なので、まだまだ親しくないけれど、応援してくれるような気がするから声を掛けた。


「緊張? 緊張とはどうしたのですか?」

「ぶ、ぶん、文通お申し込みします」

「まぁ、どなたにですか?」

「……あっ。あの、あの灰桜色の着物の方です! あちらの方です! い、行ってしまいます」

「あの方ですか」


 ユリアは走り出して、みるみる彼に近づいた。それで彼になにやら話しかけて、私を手招きしてくれた。女学校に通わせてもらえるような家に生まれると、男女は基本的に離されて育つ。さらに私には姉しかいないので、我が家の稼業関係には男性奉公人ばかりでも、私にはあまり男性と接点がない。

 しかし、彼女には兄がいるし、最近婚約したから私よりも気軽に男性と話せるのだろう。私も勇気を出して彼と挨拶をしたい。文をしっかり自分の手で渡したい。恥ずかしくてならないので、扇子を出して顔を隠しながら、ユリアと彼に近寄った。


「頑張ってください」


 そう小さく耳打ちすると、ユリアは遠ざかっていった。


「あ、あの。あの……」


 いつも遠目で見ている凛々しいお顔を見たいのに、時折誰かに親切にしている優しい瞳を見つめたいのに、俯くことしか出来ない。


「夜の衣返しなんて嘘だと思いつつなのに、まさか夢どころか現実でこのように近くでお会いできるとは、です」


 このように話しかけられて驚いてしまった。夜に羽織りを裏返して着て眠ると、お慕いしている方と夢で会えるというおまじないがある。そのようなことは嘘だと思いつつもしてしまった。そうしたら夢どころか現実で会えるなんて、そんな風に言ってくれるなんて夢を見ているのだろうか。


「い、以前から私のことをご存知でした?」

「女学生さん達は目の保養で、その、まぁ……」

「うれ、嬉しいです……。あの。こちらを受け取っていただければ幸いです」


 私はずっと両手で握りしめていた文を彼に差し出した。


「検討致します。というよりも即答なので……。明日の朝、いつものこの道で返事を渡します。逆にそちらのご両親に却下されそうですが……縁があることを願っています」


 彼は文通お申し込み書を受け取ると、帽子を深く被って顔を隠して走り出した。少し日焼けしている肌が、ほんのり赤らんでいたのは気のせいだろうか。


 あっ、転んだ。


 素早く立ち上がった彼がまた走り出す。私は彼の姿が見えなくなるまで、さらさらと揺れる黒髪や走り姿を眺め続けた。足元がふわふわして不思議な心地。


 幸先良し!


 ☆


 帰宅すると、使用人から応接室に行くように促された。父母が共に来客対応中で、私もそこに参加することになっていたという。


 応接室に入って来客にご挨拶をし、母の隣に着席。父も母も顔色が悪く、父は凍りついたような無表情で、私を見た瞬間に泣き出してしまった。こんなの、嫌な予感しかしない。


「マ、マリ……。その、ナナエが借金を作っていてな……」


 父が震え声を出した。


「お姉様が借金ですか?」


 父によると、姉が贔屓(ひいき)にしていた陽舞妓(よぶき)役者と恋仲になりたくて、花街にある役者茶屋に通って彼と関係を持ったそうだ。ナナエはその役者茶屋通いでかなりのお金を使っただけではなく、恋人になれた役者にどんどんお金を貢いでいたという。

 父は代々続く質屋を継いでいて、かなり稼いでいるという後ろ盾があるため、姉はかなりの金額を借り入れることができた。できてしまった、の方が正しいかも。


「それでナナエは借金返済を放り投げて、とんでしまった……」

「とんだって、失踪したということですか?」


 父が営むお店は質屋数軒だけでなく、低金利で低金額の金貸し店もある。そのお店のお客が逃げることを「とぶ」と言っている。


「書き置きが残っていて……。捨てられて借金だけが残って、生きていけないと思ったけど、死ぬのも怖くて無理だったので、誰も知り合いのいない土地で一人で生きていくと……」

「……お姉様は借金を家族に押し付けたのですか?」

「そうだ」

「このように育てた覚えはないのに……。悪い男に騙されて、貢がされて、裏切られたからです。でも役者に入れ込むなってあれほど言ったのに!」と、嘆き悲しんでいる、頬に涙をとめどなく流す母が叫んだ。


 返済を無視し続けて信用を失墜させた次女ナナエのせいで、父は今月中に返済する意思があると提示する為に、返済信用金「大型金貨二枚」を払わないといけないそうだ。

 そんなことをしたら、従業員に払うお金や来月祝言する長女エリの持参金がなくなる。

 エリは私とは異なり才色兼備で、国立女学校ではなくて私立女学校へ進学して、卒業後はその学校の講師となり、同僚の家族の紹介でかなり格上華族へ嫁入り予定。

 格下商家である我が家から嫁がせてくれるのは、二人がお見合いを経て相愛になったからだけではなくて、何代も続く質屋を営む中規模商家なら縁を結んでも損はないと向こうのご両親に認めてもらえたからだ。

 金貸し業は許可制で、曽祖父の時代から新規参入はほぼ不可能なので、低貸し業認可とはいえ、我が家と縁結びしたい家は多い。


「そういう訳でお嬢様。廃業や没落及び姉君が婚約破棄となる危機なのですが、それら全てを回避する方法が一つだけあります」


 文学に出てくるような事を言われるのではと身構えたらその通りだった。祖母は華族の五女だったので、私には皇族の血がほんの少しばかり流れている。まだ女学校に通う、男性に一度も肌を触れさせたことがないどころか、肌を見せたことすらない華族のお嬢様はうんと高値で売れるそうだ。


「お嬢様を競りにかけましょう。大型金貨三枚程度で売れるでしょう。返済信用代金の大型金貨二枚と小型金貨十八枚を払ってもおつりがきます。残りは高級遊楼(ゆうろう)で稼ぐことになりますが、きっとあっという間でしょう」


 あらゆる男性に裸にされて、体をまさぐられてキスされるなんて死にたい。この役はナナエがするべきことなのに。


「ひ、卑怯者! いきなり返済信用代として大金を払えなんて、娘を売る為か!」

「その台詞は二回目です。一回目に教えた通り、拒否するなら廃業没落になりますよ。これは親切心での提案なんですから。お見せした通り、簡裁官さんに判断してもらっているのでこれは合法です。この提案は救済ですよ救済。お嬢様はええですねぇ。こんなに借金してもわりと楽に返済できるんですから」

「き、貴様! 娘が自死するような話なのに、なにがわりと楽だ! 人の心がないのか!」

「私にも家族や大事な奉公人達がいるので引きませんよ。必ず全額回収します。同じような稼業ですからご理解できますよね?」

「娘が……この娘が作った借金ではないんだ……」

「次女さんを管理できなかった己を呪うんですね。自分は鬼畜でも悪徳金貸しでもありません。お嬢様は最初に高く売れるでしょうし、珍しいというだけでそれなりの客がつくでしょう。店も希少品だと大事にします。相手を多少は選べるでしょうし、その相手も大勢ではないはずです。お互いに浪費しなければ大人数に春を売らなくて済みますよ」


 このお客がどこの誰なのか分からないまま話が進む。

 お客は「役者と致しまくったお嬢様は無一文の勢いですが、こちらの女学生のお嬢様は金の成る木ですよ」と下卑たほくほく顔。


 目の前が真っ暗になるとはこのことだ。

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