雪だるまと可憐な少女にまつわる怪異譚
今年も東京に雪が降った。
寒がりの私は、去年末に依頼を受けてからこの日が来なければいい、とずっと願っていたものだが。
黒いフェイクファーのロングコート、おなじ素材のロシア帽を被り濃紺の毛皮のマフラーを巻き、内側が起毛になったブーツと長手袋で完全武装して表へでる。
最近お気に入りのメーテルファッションだ。このために髪も金髪にしたし当然マスカラも盛っている。
「ひゃー、ちべた」
思わず声がでるほどに、雪のふる外の空気は冷たかった。
マフラーで口元を覆っても、どうしても露出する目元と鼻先。
きっと私の白い肌は霜焼けで真っ赤になるに違いない。
どうしてこんな日に外へでねばならんのかといえば、こんな依頼があったからだ。
雪の日に、若い女性の不審死が相次ぐとある一画がある。
死亡原因は必ず凍死なのだが、雪とはいえ毎年のように行き倒れがでるのはどうもおかしい。
なんらかの怪異の仕業かもしれない、是非に調査をお願いできないか、と。
女性の依頼主で、私のことをどこで聞いたか知らないが煎じ詰めるとそんな話で、家の近所で起こることでどうにも怖く、と言われた。
豊かな巻き毛に刺繍の髪飾りをつけ、人形のような繊細な顔立ちに大きな目をした可憐なまだうら若き乙女に、長いまつげを震わせてすがるように頼まれては、『可愛いは絶対』な私が断れようはずもない。
* * *
電車を乗り継いでようやくたどり着いたその街にも当然の如く雪は降り、早くも数センチに渡って積り始めている。
ブーツのヒールで滑りそうになりながら、時に下心をのぞかせながらも助けてくれる若い男性の手を借りながらなんとか目的地にたどり着いた。
帰ったら絶対ホットココアにマシュマロをたっぷり入れてマグ一杯飲む、と心に誓う。
そこは奥まった住宅街の通りで、先が細くなり車は通れないが、あるところまではかなり余裕のある広さの道だった。
そのマンションに面した道の端に、誰がつくったか雪のかまくらがあった。
道が広く車も通らないこともあり、人が2、3人入れそうな大きなかまくらも邪魔にならぬようだ。
あの可憐な彼女が言っていたのはこの辺りだったか、と通りかかって何気なくかまくらをのぞくと。
いた。
「あー、さむいさむい。さむくてかなわん」
とその中で震えている、この世ならざるもの。
「おまえ、生きておるのか?」
私は声をかける。
そこには真っ白な雪玉を二つ組み合わせた雪だるまがいた。
「え?ええ。どういうわけか、はい」
「なんだ、頼りないな。う〜〜〜ちゃぶい」
「あ、おねえさんもよかったら入りませんか、まだマシですよ」
吹き荒ぶ風を避けて、私もかまくらに逃げ込むと雪だるまと向かいあうようにしゃがみ込んだ。
「雪だるまのくせに寒いのが苦手か?」
「そりゃそうですよ。あんまり寒いと動けなくなっちまいますからね、あくまで雪だるまで、氷達磨じゃないんだから」
と関節の強張りをほぐすように雪だるまが体をひねる。
「なんだそりゃ。ふ、おかしなやつだな。ふ〜〜ちゃまらん〜〜」
私は手袋を外し、冷たくなってしまった顔をさすりながら尋ねる。
「ところでお前、なぜ自分が生きているかわかっておるのか?」
「え?おねえさん、もしかして、そっち系の方?」
「む、まあ、そういうことになる」
「そうですか、はあ」
とため息をついた雪だるまは、切なそうに語り出した。
* * *
「自分でも、よくわからないんですけどね、どうやら俺は、この辺りで雪の日に凍死したらしいんですよ」
「ほう」
「それでこの世に未練があるらしくって、毎年雪になると出てくるんですが、どういうわけか雪だるまにしか取りつけなくってね。
とりついても雪だるまってそんなに動けないし、自分が何をしたいのかもよくわからなくって」
「記憶がないのか?」
「どうもそうなんです。未練てやつだけで。で、毎回この辺で雪だるまにとりついては、あたりをウロウロしてみるんですけど、凍死してるせいか寒いの苦手なんですよ。なさけない話。
で、大体このあたりにかまくらがあるんでお世話になって休ませてもらってます」
「ふむ。未練か。それが果たせなければ、成仏できんのかな?」
雪だるまは炭で書かれた真っ黒な眉を寄せる。
「いやあ、俺としちゃそんなことないんです。毎回雪だるまに入ってるうちに、だんだんこの体と馴染んできまして。
雪だるまの幸せってしってます?」
「幸せ?いや」
私はピンクとイエローゴールドのパールリップを塗った下唇に、ネイルはせず艶々に磨いたアーモンドシェイプの人差し指の爪先を軽く当て、上目使いに小首をひねる。
今、私は間違いなく『可愛い』。
「こいつら雪だるまはね、雪がやんで翌日、降り注ぐお日様の光で温められて、ゆっくり溶けて行くのが一番の幸せなんですよ」
雪だるまはまるで夢を見るような目を作っていう。
「子供にしろ大人にしろ、作ってくれた人に夢を与えてね。それで寒い雪の日を乗り越えてもらって、その先に訪れた太陽にまわりの雪と一緒に溶かされて、作った人は残念そうに見るんですけど、でもそこに、来年またねって前向きなサヨナラをして。
初めて感じる日差しの柔らかさに、それこそ身をとかしながらゆっくり消えていく。それが最高に幸福なことなんです。俺もだんだん影響されてきまして、そういう風に最後を迎えられたら、きっと気持ちよく成仏できるだろうな、なんて」
* * *
「ふーん、では、そうしたらいいのではないか?」
「はあ。いえね」
かまくらの中が、急に冷たくなったように感じて、私は慌てて手袋をはめる。
気のせいではないようだ。手の熱で溶けた雪の水滴が、手袋の皮の表面に凍りついていく。
「俺も怪異でしょ?目の前に獲物がきたらとらえなきゃいけない。
どういうわけか毎回毎回、必ずおねえさんみたいな女性が、僕のところにやってくるんですよねえ」
パキパキとかまくら中の空気が音を立てる。
晒された肌に痛みが走る。きっと強烈に乾燥した空気中に揮発した、わずかな汗が凍り付いて皮膚を傷つけているのだろう。
雪だるまが気怠そうに、背後に強烈な憎しみを放ちながらいう。
「ああ、本当に、なんだってこう、俺の夢をじゃまするのかなああああ。おまえたちはよおおおおおおおお!!!!」
下がろうとするが背後にあったはずの入り口が消えている。
掌の中、というわけか。
「いいから喰わせろおおおおよおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!!!!!」
雪だるまは怪異としての真の姿を存分にさらけ出し、私に向かって突進してきた。
きっとその体内に取り込んで凍死させ、私のもつ魂の力を吸い取るつもりであろう。
おもしろい。
私はコートの合わせを開き、うちに仕込んだ護符を相手に向ける。
「オン アボギャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン オン アボギャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウンオン アボギャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン オン アボギャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン オン アボギャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン オン アボギャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン オン アボギャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」
合わせて唱える光明真言とともに用意した大日如来の護符だ。
雪の怪異と聞いて備えたもので、大日如来の光の力の加護を得ることができる。
たちまち放たれた無量の光が無念に囚われた地縛霊を包み、支配から解放された雪だるまは力を失う。
「ああああ、太陽のひかりだ」
姿を現した男の霊が、慈愛の光に包まれしあわせそうに呟く。
繊細で美しい顔をしたこの男、どこかで見たことがある。
「ありがとう。ようやく、ようやく行ける」
「ふん、そういうことか」
私は合点がいった。
この男は地縛霊としてここにいた。
だが、なぜ毎回、取り付く雪だるまがここにあったのか?
それにこんな人通りの少ない車も通らぬ裏通りに、しかも出歩く人もすくない雪の日。
なぜ毎回獲物が都合よくここを訪れたのか。
「誰かが作り、誘い出した、というわけか」
かまくらが光によって溶けてくずれてゆく。
「だめええええええっっっっ!!!!」
溶けかかったかまくらを破壊しながら、いまにも天に召されようとする男の霊に詰め寄ったのは、あの可憐な少女だった。
「あなたがいくなんてゆるさないいいいいっっっ、あなたは永遠に、私の、私だけのものおおおおおおおおっっっ!!!!!」
今更いくら縋り付いても、如来の加護に救われた魂を下衆なる人間に手出しすることはできない。天から指す一筋の光明に導かれ成仏した男を見上げて、膝から崩れ少女は泣いた。
「おい」
私は少女の前にズイと立ちはだかる。
「私もあの男の獲物にするつもりだったか。あいつの魂力がつき霧散せぬよう、魂を食わせるために。
あいつを永遠にここに閉じ込め続けるための餌として。安く見られたもんだ」
雪だというのに白いタイツに靴もはかずコートも着ず、白いフリルのついたゴシックロリータファッションのワンピースはお腹と腕がメッシュになっている。
きっとマンションのどこかの部屋で成り行きを見守っていたが異変に気づき、あわてて飛び出してきたのだろう。
「あの男、数年前に不審死した女装バンドのボーカルだろう?おおかたお前があいつを独占するためになにかの術を施し、毎年のように生贄を捧げて、雪だるまのあいつを生きながらえさせていたんだろう。独占するためだけに」
とんでもない奴だ。何人も人を殺し、魂に呪いをかけ呪縛するとは。
己の欲のためだけに。
「ああ。彼が行ってしまった。私が唯一愛せた男。そうよ、独占したかった。私は彼に全てを捧げた。それなのに売れそうになったら私を捨てようとしたから。
だから閉じ込めてやったのよ、永遠に苦しむように。永遠に私のもとにいるように。それなのに、それなのに」
泣いている少女の顔を掴んでこちらをむかせる。
涙で化粧が崩れているが、元がよいのでそれもまた美しい。
「どこで術を習った?それとも誰かに依頼したか?」
少女は目を背け答えない。
本来ならばこのままではおけない。ここまでの悪意にみちた行為は、その身を持って償ってもらわねばならない。
しかし。
改めて少女を見る。
雪が微かにつもり、黒い衣装に儚げな淡い縁取りを添える。細い手足を寒さに震わせ、肌は陶器のように青白く頬だけが赤く紅潮し、黒く塗った唇と合わせ、人と人形の奇跡的な掛け合わせだ。
こんな『可愛い』を失うのは惜しい。
となれば、あとは使役するしかないが。
心に入り込み彼女を捉え、命令に背かない従者としての契りを交わさせること。
そして私に従う中でその罪を償わせること。
それ以外に仏や他の破邪者を得心させ彼女の命を救う方法はない。
「おい、お前。私に従え。あの男のことは忘れて、もっと『可愛い』私に尽くすんだ」
少女が私を睨む。
「馬鹿いわないで。私が好きなのは男なの。いくら美しくても、女なんて興味ないわ!だから彼しか愛せなかったのn」
言いかけた言葉が止まる。
強く風が吹き、雪を舞い散らす。
少女の巻髪が大きくなびく。
私の着ていたコートの合わせも捲れ上がった。
その中を見て。
「こ、こ、このふくらみは」
ぴっちりとしたレザーのパンツを私は着込んでいる。
それを見た少女の頬が、さきほどよりさらに赤みを増した。それは寒さによるものではない。
私は優しく笑っていう。
「私と契約するか?」
「はい」
捉えた。
目がハートになった少女の心に、従者としての約定を刻み込む。
これからは私の手駒として、破邪の仕事を手伝わせる。
禊も兼ねて、かなりきついものになるだろうが。
「へくちっ」
くしゃみをした私に少女が心配そうに抱きつく。
「ああ。どうか私のへやでお休みください、暖かい飲み物をお入れいたします」
「そうさせてもらうか。ところで」
「はい?」
「ココアとマシュマロはあるかな?」
ある寒い雪の日、私が依頼された事件の顛末である。