第九十五話【心境の変化】
私が案内された部屋は、とても困窮した街の宿とは思えないくらい立派なところだった。
ベッドも大きくて、窓も広く取られている。
もっとも、分厚いカーテンが付けられていて、滅多なことが無い限りは、あまり外に顔を出さないようにとジャンセンさんに言われているが。
そしてそれは、きっとユーゴの部屋も同じなのだろう。
そう思う理由は……
「……あの、ユーゴ? 連絡があるまでは休んでいていいとのことでしたので、自室に戻っても構わないのですよ……?」
あてがわれた部屋に荷物を降ろしてすぐに私の部屋へとやって来たユーゴが、特に不平不満を言うでもなくのんびりしているから。
あの……いえ、いいのですけれど。
やはり、最近の彼は、どこか私との距離が縮まっているような……
「休む……って言われてもな。落ち着かないし、それに疲れてもない。なら、別に何しててもいいだろ」
「……はあ。構いませんが……」
心細い……わけでもないのだろう。
人見知りするタイプではあったが、しかしひとりを極端に嫌がる姿は見たことが無い。
素直に考えるのならば、ここが彼らの――ジャンセンさんの、盗賊団の本拠地のひとつだから。
彼らを全く信頼していないユーゴにとっては、文字通りの敵地とも思えるのだろう。
だから、私を護る為に。ひとりにしない為にここにいるのかも。
「……こっちの方の話はカスタードに聞いてなかったな」
「いや、そりゃそうか。そこら中に拠点があるって話で、その中から重要な場所は割り出せなかった……ジャンセンの居場所は見付けられなかったって言ってたし」
「そうなると、俺達が色々見て、調べてくれって頼んだとこしか調べようもないもんな」
「ユーゴ……? ええと……そうですね」
「いかに調査能力に長ける伯爵といえど、知らねば調べようもありません」
「しかし、こうして私達が訪れることで……」
また、彼に新しい調査を依頼出来る。
このウェリズの街の様子はどうか――例の組織との接触がどの程度あるのか、魔獣が生息していない正確な範囲はどこまでか、そして港は無事なのか、と。
「尋ねれば調べてくださるでしょう」
「あまり頼り切りになってもいけませんが、協力者の手は借りられるだけ借りた方がいいですからね」
「そもそも、国だけでは行き詰ってしまっていたのですから」
「あんまりアイツに借りみたいなの作りたくないんだよな。つけあがりそうだし、そうなったらちょっとうざいし」
その点については心配無いと思うのだけれどな。
ユーゴはどうにも伯爵を過小評価している節がある。
あの人物は本当に凄い。
その……そもそもの調査能力である、コウモリを使役する……という部分は別の意味で凄いのですが。
それを抜きにしても、その慧眼と思慮深さには舌を巻くばかりだ。
「……ユーゴ? あの……本当にどうしたのですか?」
「なんだか様子が……いえ、特別変というわけでもないのですが……」
「……変じゃないなら何も無いだろ……何言ってんだお前は……」
そ、それは言葉の都合が付かないと言うか……言語化に際して、適切なものが浮かばないのだ。
違和感……でもない。
変と言うのも、近しいようできっとその本質とは別の感覚だ。
私が抱いているこの……もやもやとした奇妙な感じは、どうすれば彼に伝えられるだろう。
「てっきり、自室にこもってしまうと思っていましたから」
「私の警護の必要がある……と、そう考えたにしても、貴方の部屋からここまではそう遠くない。だから……」
「邪魔だったか? まあ、やることあるなら出てくけど」
いえ、そんなつもりでは……
私に追い出されると思ったのか、ユーゴは少しだけ緊張した様子を見せた。
もちろん私にはそんな気など無いから、それを察してかまたすぐにリラックスしてくれた。
くれた……が、やはりどうにも違和感がある。
「ユーゴ。もしも不安があるのでしたら、いつでも相談してください」
「私に話しても無駄だ……と、そう思ってしまうかもしれません」
「ですが、私に答えが出せずとも、吐き出すことで貴方の中の疑問や不安が解消されることもあるのです」
「口にしてみれば、それだけですんなりと答えが見つかる場合も……」
「……? 別に……そういうのは無いけど」
私が慌てているように見えたのか、それとも不安に駆られているように見えたのか。
ユーゴはのんびりした姿勢のまま、少し心配そうに私を見つめていた。
「……すみません。その……どうにも浮足立ってしまっていて。貴方の様子が変に見えてしまうのです」
「それが本当にユーゴの問題なのか、それとも私自身に何かがあって、それが理由で見るもの全てに違和感を覚えてしまっているのか。それも分からないくらいで……」
「ふーん。まあ……それは変じゃないだろ。だって、今までとは違うところにいるんだから」
今までとは……そう、そうだ。
ここはもう国の中ではない。
確かにアンスーリァ領土内ではあるが、しかし国政はこの地の統治を放棄したのだ。
最終防衛線の外の街へ訪れるのは、私としても生まれて初めての出来事で……
「多分、俺はいつもと変わらないぞ。今まで通り、今までに色んな街へ始めていった時と同じ通り。でも、フィリアは違うと思う」
私……は?
これは、ユーゴにとっても初めての出来事の筈だ。
これまでよりもずっと危険と遭遇する可能性が高い街。
彼の普段の言葉を借りるのならば、もっと強い敵と戦えるかもしれない場所。
これまた彼の言葉を借りるなら、つまらなくないかもしれない場所だ。
なら、良くも悪くも、心境に変化がある筈で……
「だって、今までに行った街は、もう行ったことあるとこばっかりだったわけだろ?」
「少なくとも、先に色々調べたり、話を聞いたりした後のところ。じゃあ、そりゃ違うだろ」
ここへは初めて来た。
そうだ、それはユーゴの言う通り。
私が物心ついた頃には、最終防衛線なんてものが引かれていて、国は領土を切り分けて防御の姿勢を固めていた。
だから、王女である私が、その外へ出るなんてことはあり得なかった。
でも……いや、だから。それはユーゴだって……
「……知らない場所に来たから、それだけで浮かれている……のでしょうか」
「その……ここが危険だから、気が抜けないから……ということではなくて……」
「いつも気が抜けてるだろ、お前は」
「知らないとこ行けば色々変わるだろ、当たり前だ。わくわくするし、ちょっと不安にもなる」
ユーゴはそう言って、そして怪訝な顔で私を睨んだ。
けれど、いつもの表情とは――呆れたような顔とは違った。
感心している……というのでもないだろう。
「鈍い鈍いとは思ってたけど、それどころじゃないのかもな」
「なんて言うか……もう……神経が死んでるんじゃないのか……? フィリア、お前……」
「っ⁉ し、死んでいません! 知らない場所に旅行へ行けば、きちんと感動もします!」
私は何に張り合っているのだろうか……?
しかし、ユーゴの言葉で少しだけ喉のつかえが取れた気分だ。
或いは……先ほど私が彼に言った言葉の通り、自らそれを言葉にしたことで解決したのかもしれない。
なんと言うのか……本当に私は、情けないくらい余裕が無かったのだな。
「あんまり出歩くなって言われてるから、遊びに行くのは無理かもしれないけど」
「でも、調査の為にどうせ歩き回るだろ。そしたら多分慣れる」
「……そうですね。いつものように街の人々に話を聞きに行けたら良かったのですが、流石にそんなわけにもいきません」
なら、調査の時間を心待ちにしよう。
それは重大な仕事だし、国の代表としての責任感は忘れてはいけない。
でも、私の知らないところでジャンセンさん達が護ってくれていた場所を、ゆっくりのんびりと観察する時間を少しは楽しみにしてもいいだろう。
「――おーい、フィリアちゃん。そろそろ出るから、支度だけ済ませといてねー。また馬車の準備出来たら呼びに来るからー」
っと。
そんな話をしていたそばから、ドア越しにジャンセンさんの声が聞こえた。
もうすぐ出発か。
さっきの話が無ければ、きっと何も思わなかっただろう。
これから重要な調査がある、気合を入れなければ。
またマリアノさんに失望されないように、しっかりと気を張っておこう。
とか、そんなことくらいは考えただろうが。
「楽しみですね、ユーゴ」
「この街には――この場所には、何があるのでしょうか」
「魔獣がいない場所がある……とのことでしたが、そこは何に使えるでしょう」
「ヨロクの時のように、小屋を建てるのでしょうか。それとも、もう活動拠点はあるのでしょうか」
「……やっぱり、お前って子供だよな。なんか……呑気でいいな、いつも」
っ⁉ ユーゴから言い始めたのに……
別に、それに乗っかって発言したわけではなかったけれど、こうも釣れないことを言われるとは思っていなかった……
自分の内側にあるものが好奇心であると知らされて、私は高鳴る胸をそのままにしてジャンセンさんの声を待った。
きっと、間抜けで呑気で子供のような表情だったのだろう。
ユーゴはその間ずっと、呆れた顔で同じようにのんびりと迎えを待っていた。




