第九十四話【港町の主人】
馬車はゆっくりと街の中を進み、そしてひときわ大きな建物の前で停車した。
そしてマリアノさんからの合図があると、ジャンセンさんがまず先に馬車の外へと出て行った。
すると……
「――姉さん! 頭! ご無沙汰してます!」
「おう、ディクソン。出迎えご苦労さん。ここんとこ調子はどうだい」
姉さん。お頭。と、次々に明るい声色で彼らを称える男達が現れた。
そして、それに釣られるように子供の姿も見え始めて、気付けば馬車は大勢に取り囲まれてしまっていた。
「おーう、お前ら。今日は大切なお客さんが一緒なんだ。おら、散れ散れ。通れねえだろうが」
「お客さん? 珍しいですね、新しく人を入れるなんて」
男の声にジャンセンさんは、お前らの知らないとこでは結構スカウトして回ってるんだよ。と、ちょっとだけ不穏な発言をする。
まあ、国のいたるところに点在する組織だ。
当然、その数が発足当初から変わっていないなどとは思っていなかった。
しかし……それなりに大胆な募集をしていたとすれば、やはりそれを見付けられなかった私達の能力に疑問が……
「前に連絡やったろ、姉さんを通じて」
「俺達はただの盗賊団から脱却する。お国のお墨付きを貰って、女王陛下直属の部隊として活動する」
「んでもって、今日お連れしたのはその査察にいらした偉い人だ」
「分かったら無礼働く前に散れ。お前らはどこに出しても恥ずかしい無法者ばっかなんだから」
査察に来た役人……ここでは私の身分は伏せるのだな。
いや、当然か。
女王と知れればそれなりに騒ぎになるかもしれないし、そういった混乱は余計なものを引き込みかねない。
「ごめんね、騒がしくて。とりあえずふたりが過ごす部屋は準備させてあるから、案内するよ」
「おら、ユーゴ。んな顔すんな。俺が人気者なのがそんなに不服かよ」
「……別に。ただ……やっぱりリーダーなんだな、一応」
ジャンセンさんと彼を取り巻く人々との盛り上がりに、ユーゴは不満げに目を細めていた。
羨ましい……と、思ってくれたりはしていないだろうか。
人に憧れられたい、人に慕われたい。
そんな感情が彼の中にあってくれると、以前より目論んでいたこと――彼を救世主として、人々に希望を与えることも簡単になるのだけれど……
「……? なんだよ、フィリア。お前もなんか文句あるのか」
「実際、アイツがリーダーなの変だろ。強くないし」
「い、いえ、文句なんて…………ジャンセンさんが相手になるとすぐ喧嘩腰になるのには、少なからず文句もありますが……」
出来れば仲良くして欲しい。
というよりも、仲良く出来ると思っていたのに。
私の真意を推し量る為だったとはいえ、あの一件でユーゴはジャンセンさんに対して敵対心を抱いてしまっている。
警戒や疑念を通り越した後の、敵対心。
危ないかもしれない。
何をするのか分からない。
そういった段階はもう超えて、完全に敵として……嫌いな相手として認識してしまっている。
ふたりなら友達になれる……と、本気でそう思ったのだけれど……
私とユーゴは馬車で同行した若者達によって姿を隠されて、出来るだけ顔を見せないようにしながら目前の大きな建物へと入った。
私達の部屋を準備してくれているとのことだったが、そこへ連れて行かれるのだろうか。
それとも、先に会議室や彼らの部屋へ――調査の打ち合わせを済ませてしまうのだろうか。
「……珍しいか? テメエらの暮らしてるランデルとこことじゃ、そもそもの文化が違うからな」
「それにオレ達の無茶苦茶な改装が入ってる」
「外っツラも酷いもんだが、宮殿を知ってるテメエから見たら、中は余計に酷く見えるかもな」
そ、そんなつもりは……と、マリアノさんの言葉に慌てていると、それが私に向けられたものではないのだとすぐに分かった。
彼女の視線の先には、どうにも落ち着きの無い様子できょろきょろしているユーゴの姿があったのだ。
「……珍しい……うん、珍しい。でも、酷いとは思わない」
「ただ……俺はこっちの方が好きだな。宮の中は……まあ……綺麗だけど。なんか……嫌な空気も混じってるから」
「嫌な空気……ね」
ユーゴの言葉に真っ先に反応したのはジャンセンさんだった。
どこか苦い顔で、思い当たる節でもあるかのように、目を伏せてため息をつく。
「そりゃそうだろうよ。宮殿なんてのは人間が住む場所じゃねえからな」
「蛆の湧いた腐肉みてえなグズどもと、金だけ蓄えて太り切った豚のクソと、後はそれに囲まれても平気なくらい鈍臭いそこのデカ女だけだ」
「ちょっとちょっと、口が悪いよ姉さん。ごめんね、フィリアちゃん」
「まあ……姉さんに限った話じゃないけどさ。ここにいる連中は、知っての通り国に対して良い感情を持ってない奴の方が多い」
「ちょっと言葉が強くなり過ぎちゃうんだ、気を悪くしたら俺から謝るからさ」
甘やかすな、このバカ。と、マリアノさんはジャンセンさんの背中を蹴っ飛ばして、そして私をじろっと睨み付ける。
鈍臭い……か。
彼女との初対面は、それはそれは……あまりにも間抜けで情けないところを見せてしまっているからな。
なかなか簡単には評価を覆せそうにない。
それにしても……物の例えがどれもこれも酷いものばかりだったな……
「……そうでない者がいる……と、私がそう主張しても、しかしマリアノさんの思う通りの人物がいることも確かです」
「宮には……ランデルには、議会には、この国には。既得権益や資産にばかり囚われた者達もいます。それは否定しません」
それでも、国を良くする為に戦ってくれている人々も多くいるのだ。
パールやリリィはもちろん、他にも大勢が私と共に戦ってくれている。だから……
「しかし……マリアノさん。必ず……必ず、貴女に今の言葉を撤回したいと思って貰える国を作ってみせます」
「簡単なことではないと思いますが、必ず成し遂げます」
「……はあ。そういうとこだろうな、平気なツラであんな場所にいられる理由は」
「だんだんとクソガキよりテメエの方が奇妙な生き物に見えてきた」
き、奇妙……ですか……
限りいっぱいに誠意をもって答えたつもりだったが、どうやらマリアノさんの眼鏡にはかなっていないらしい。
やはり、言動ではなく行動――結果で示さなければだめか。
「そこがフィリアちゃんの良いとこだと思うけどね、俺は」
「まあ……悪いとこもそこ由来だから……この話は一回やめよっか」
気を……気を遣われてしまった……
ジャンセンさんはどうにも機嫌の悪いユーゴとマリアノさんをなだめ、そしてようやく到着したらしい目的の部屋のドアを開ける。
その中は、大きな建物の外観らしからぬ狭い部屋で、少なくとも大勢が話し合いをする為の場所ではないとだけは分かった。
「ランデルで借りた部屋と同じだよ」
「この部屋だけは他より頑丈に作ってあってね。その名目は、なんかあった時に俺が逃げ込む為の場所。んでも、実際の用途は……」
ばたん。がちゃん。と、私達を――私とユーゴと、ジャンセンさんとマリアノさんだけを中に閉じ込めたその部屋には、もう外の音は届かなかった。
まだ表で騒いでいた若者や子供達の声も、この建物の中で聞こえていた話し声も、何もかも。
「……外に会話が聞かれないようにする為……ここは完全防音室なのですね」
「そゆこと。だから、大切な話はここでしよう」
「裏を返すと、ここ以外では下手な話はしないように注意してね、って言いたいわけよ」
「理由は……言わなくても分かるよね」
彼らを――ジャンセンさんの部下を、街に住む人々を、守るべき民を怯えさせない為に。
余計な危険があると知れれば、皆が不安を抱くだろう。
私の素性がバレて騒ぎになれば、それもやはり人々を怖がらせてしまいかねない。
そして何より――彼らの主と女王とが不穏な話などしていれば、当然誰もが脅威の襲来を懸念する。
故に、彼らの前では出来る限り笑っていろ、と。
「お任せください。これまで散々言われたことが事実なら、私にはそういう特技だけはあるのだと思いますから。誰にも不安は感じさせません」
「あはは……姉さん、ユーゴ。お前ら、もうちょっと自重した方がいいぞ……? フィリアちゃん、意外と根に持つタイプだったみたいだ」
ごめん。と、ユーゴは目を丸くして素直に謝ってくれた。
マリアノさんも、なんとなく居心地が悪そうに口をもごもごさせていた。
ふたりとも……そんな反応を見せるくらいなら、最初からあまりバカにしないで欲しかったのだけれど……
「と、冗談はさておき、だ。ユーゴも頼むぜ」
「いろいろ言いたい文句があるのは分かってる。でも、周りのやつらは関係無い。分かるだろ、それは」
「うるさい、言われるまでもない」
「わざわざお前がクズだって言い触らさなくても、とっくに全員知ってるだろ。知った上で、付いて来てるんだろ」
「やっぱりお前うざい。あの時もっと強く殴っとけば良かった」
最近はたくさん喋ってくれて俺は嬉しいよ! と、ジャンセンさんはあまりにも子供みたいな嫌味を返して、またユーゴと取っ組み合いになりそうなくらい睨み合った。
これはこれで仲が良い……と、そう捉えても差し支えないのではないだろうか。
いくらなんでも無理があるだろうか。
私達はその後すぐに狭い部屋を出て、そして宿泊用の部屋へと案内された。
したかった話は……いいや。
何よりもとり急いで忠告したかったのだろう。
私達を信じていないからではなく、それが最も重要なことがらだから。
うっかりや意識のすれ違いがあってからでは遅いから、万が一すらも許さない為に。
彼はそういう用心深い人物だと、私もユーゴもよく知っている。




