第九十三話【器用な強さ】
出発した直後、馬車の中にはそれなりにのんびりとした空気が流れていた。
箱の中なのに風が吹き込む古い馬車……という意味ではなくて。
ユーゴとは不信という関係性を築くのだと決めたジャンセンさんが、それでも多少は打ち解けようと話しかけていたのだ。
これまでどんなものを見た、どこへ行った。
俺はこんなものを見た、買った、売った、どこへでも行った。
まだまだ経験の足りないお前よりも、俺は多くのことを知っているぞ……と、要約するとそんなことを……打ち解けようと話しかけてくれていた……のだと思う。
決して、挑発じみた意図など無い……と、思いたいのだけれど……
そんなわけで、馬車の中は悪い意味で盛り上がっていたのだ。その合図が来るまでは。
「――なんだ今の音。マリアノか?」
「そろそろだな。ユーゴ、もうおしゃべりはおしまいだ。フィリアちゃん、しっかり守れよ」
お前とおしゃべりなんてする気は無かった。と、ユーゴはまだ悪態をついたままだったが、しかしもう真面目な顔で私のそばに寄って身を低く構えていた。
ユーゴだけに聞こえたわけではない特別な合図――音は、火薬による破裂音だった。
信号弾……ではないが、目的は同じだろう。
獣への脅しと私達への戒めの意味を持った、上空に向けて放たれた弾丸だった。
「っ! 魔獣の気配だ。フィリア、もうちょっと奥行け。数は多くなさそうだけど……」
「姉さんもそうだけど、ほんとどうなってんのかね。見えないもんが見えてるってのは、本人としちゃどんな感覚なのやら」
そろそろ。という先ほどのジャンセンさんの言を鑑みて、元から知っていた魔獣の生息域への進入を報せてくれたものだったのだろう。
ここから先について、私は――私達は、国は、何も情報を得ていない。
まるっきりお荷物の私と、それを護る為に戦うことも出来ないユーゴ。
ジャンセンさん達からすれば、余計な荷物が増えてしまっていることになる。
「すみません、ジャンセンさん。負担を掛けてしまいます」
「平気平気、このくらい。それに、そういうの背負うのは姉さんだからね。心と頭の中でだけ感謝しといて。口にするとまた俺が蹴られるから」
感謝を口にすると暴力が発生するという因果はよく分からなかったが、しかし彼の言う通りにしよう。
事実、そういうシーンを何度も目撃しているのだし。
「どうか……どうかご無事で戻ってください、マリアノさん」
「……お前、マリアノの心配してられるほどの立場か……? アイツ、あのデカい魔獣より全然強いんだぞ……?」
デカい……カンビレッジからの帰路やヨロクでも見かけた、巨大魔獣のことか。
彼女は単純な鍛錬によってあの強さを手に入れているとのことだったが……人はどう鍛えればあんなにも大きな生き物より強くなるのだろうか……
ユーゴのように特別な力が、本人も無自覚なままに芽生えている……なんてこともあり得たりするのでは……?
「そうだね、姉さんは強い。それはもう、半端じゃなく」
「ま、余裕があったら覗いてみなよ。ユーゴ、お前にも結構得るものはあると思うぜ」
「姉さんはただ強いだけじゃない。どんな状況でも強いんだ」
どんな状況でも……?
私もユーゴも共に首を傾げ、いそいそと覗き窓へと近付い……
「っ。ち、近いっ! 離れろ! デブ!」
「っ⁈」
一緒になって外を眺めていると、ユーゴに肩を叩かれて押し退けられてしまった。
そ、そんなに幅を取っていたつもりなんて無かったのに……
「……マリアノのやつ、馬に乗ったままだぞ。降りないと戦えないだろ」
「いや、普通なら降りると付いて行けないって考えるんだけどな」
「馬と競争して勝てるのはもう人間じゃねえよ……って、その理屈で行くと、お前はなんになるんだろうな……」
ジャンセンさんの呆れた顔には、私もつい頷いてしまいそうになる。
ユーゴの膂力は……いいや、純粋な筋力、脚力ではないのだろう。
彼の身体を動かしている特別な力は、人間の枠組みを超えてしまっている。
マリアノさんがいくら鍛えていようと、種の限界は越えられない。
では、あの巨大な魔獣を倒すことは、まだ人間の限界の範囲内とでも言うのか……
「馬の上でも戦えるし、戦車だって乗りこなせる。指揮を執ることも、先陣を切ることも出来る」
「姉さんは戦いに関しての全てで強い」
「やるまでもないからそう目にすることも無いけど、罠だって暗殺だって得意だよ」
じっと食い入るように外を見ているユーゴの頭の上から、ようやく私も戦況を目の当たりにする。
そして、彼と同じように見入ってしまった。
いつも使っているあの大きな大剣を馬上で器用に振り回し、馬車の行く先を塞ぐ魔獣を簡単に斬り飛ばしている姿に。
「もっぱらこうやって暴れ回る役割が多いからさ、いつもあんな得物使ってるけど。でも、サーベルなんか持たせてもさまになるんだよね」
「多分、騎士様どもと決闘させても見劣りしないんじゃないかな。強さ云々はもちろん、風格も」
ユーゴの見せる強さとは違うものを感じた。
そして、それは本人も分かっているのだろう。
じっ――と、本当に集中した様子でマリアノさんの姿を見つめている。
ユーゴのように、でたらめな強さで全てを蹴散らすというやり方はしていなかった。
彼女にもそれに近しい力があるにもかかわらず、馬車を護るという目的を達成するのに、最も効率的な戦い方を選んでいる。そんな様子だった。
「……俺の方が強い。俺だったら全部倒してる」
「でも、現実に俺達は魔獣に襲われてない」
「そりゃ、減らせるなら減らした方がいいけどさ。それで一帯の魔獣を全部殺せるわけじゃないんだとしたら、そこには大した価値は無い」
「だったら、俺達を安全に送り届けるって目的を達成することが肝要」
「それを優先出来るかどうか――目的を冷静に見極められるかってとこが、姉さんとお前の差だな」
ジャンセンさんの言葉にユーゴはまた更にむっとしたが、しかし何も言い返さずにマリアノさんの背中を見ていた。
彼の言には少々のひいき目があると思わなくも無い。
魔獣の数そのものが減れば、思わぬ形で襲われるという可能性も減る。
だから、ユーゴのやり方に価値が無いとは思わない。けれど……
「……フィリアはどっちがいいと思う。マリアノと、俺」
「どちらが……とは、中々決めづらいですね」
だが、確かにこれでも――マリアノさんのやり方でも、私達は無事に目的地に到着するだろう。
結果という部分を見るのならば、両者に大きな差は無い。
それは事実で、そして最も重要なのがその結果なのだから。
「マリアノさんは、何かがあった時に対処する余裕を常に持っている……その為に必要最低限の接触だけで済ませているのでしょう」
「対してユーゴ……貴方は、何かが起こらないように先んじて全てへと対処している」
「なら、やっぱり俺の方が強い。全部倒せないから備えるしかないんだ」
ユーゴはちょっとだけ満足げに笑ったが、果たしてそれだけだろうか。
マリアノさんの力なら、魔獣を全て蹴散らすくらいは出来そうにも思える。
しかし、そうしない。
備えている……というユーゴの言葉はきっと真だ。けれど、それは……
「それで、もしヨロクに出たあの小さい魔獣がまた現れたらどうする」
「アレがそのままって意味じゃなくて、苦戦させられる相手が出たら、って話だ」
みその時、お前がちょっとでも馬車から離れてたら、フィリアちゃんは本当に安全か?」
未知は現れない。そういう前提での備えだろう。
もちろん、どんな敵が現れようとも、ユーゴがそれに後れを取るなどとは思わない。
マリアノさんについても変わらない、彼女が魔獣に苦戦する姿は思い描けない。
だが……それは、これまでの話でしかない。
「……そん時に他の魔獣が残ってる方が危ないだろ。なら、やっぱり俺の方が強い」
「そこは別に否定しねえよ、実際、姉さんのこと組み伏せたのはお前なわけだから」
あのタヌキのような魔獣にも、やはり私はユーゴが苦戦するだなんて思わなかった。
けれど、少しの間だけでも彼はあの魔獣に苦闘していた。
不明、不測、不慮は、どんなに力があっても容易に振り払えない。
ならば、それには間違いなく備えておきたい。何かが起こる前に、と。
「さ、お話してたらそろそろ到着の時間だな」
「ユーゴ、着いたらちゃんと姉さんにお礼言えよ、心の中で。言葉にはするな、俺が蹴られる」
「お前らなんかに感謝するか、バカ」
「俺だったらもっと簡単に……何が出て来ても対処出来るくらい余裕を残したまま、それでも全部倒してた」
負けず嫌い……だけではないだろうな。
それが出来るだけの力もあるから、次からはそこにも気を付けて……と、そんなことを考えている顔だ。
やはり、こういう時には少年らしい素直さが垣間見える。
ただ……その素直さを、もう少しジャンセンさん達にも向けてあげて欲しいところだ。
ジャンセンさんの宣言通り、それから少しして馬車は街へと――不格好な門を潜り、砦の内側へと乗り付けた。
国からの保護を失い、盗賊団によって護られていた街。ウェリズへと私達は到着したのだった。




