第九十一話【三つめの未開を目指して】
かつて使っていた魔術工房でジャンセンさんと話をした日の、その晩のことだった。
仕事も頑張って間に合わせて、パールも渋々ながら納得してくれた。
食事も済ませて、後は眠るだけになった私のもとに、ユーゴがやって来たのだ。
「あの……ユーゴ……?」
やって来た……のだが、彼は特に何を言うでもなく、私の様子を窺いながら考えごとをしている様子だった。
何かあったのだろうか。何かあったのだろうな。
けれど、その何かを打ち明けてくれないことには……
「……フィリア。お前はどう思う」
「ジャンセンの言ってた、西の海岸線について。そこ、何があると思う」
「何が……ですか。ええと……少なくとも、魔獣がいない場所というのは分かっていますが……」
何が、か。また漠然とした問いを投げられてしまったな。
それは当然、何かがあるのだ。
でなければ、魔獣の姿が無いなどという不自然は起こらない。
これまでの二件を思えば、きっと獣も鳥もいないのだろう。
ならば、やはり何かが――ただごとではない何かがそこにはある。それは間違いない。
「……何かはある、けれどそれが分からない。だから、私達は調査に向かうのです。貴方だってそう言って……」
「そうだけど、そうじゃなくて。分かんない分かんないで行き当たりばったりを繰り返してると、いつかまたなんかやらかしそうだからな」
ユーゴはそう言うと私をじろりと睨み付ける。
わ、私がこれまでにも何かとやらかしただろうと咎めているらしい。
らしいが……ど、どの話だろうか。
そもそも、私としてはあまりそんな詰められるようなミスをした覚えも無くて……
「……はあ。お前は呑気だな、本当に」
「そこにはアイツの手下が――盗賊がたくさんいるって話だろ」
「なら、ジャンセンがまた罠に掛けようと思ったら、絶対そこでする」
「お前、いくらなんでもアイツのこと信用し過ぎだぞ」
「そ、それは……それは、貴方が疑ってくれるからですよ。以前にも言った通り、皆が疑ってくれるから……」
私は唯一違う目線を持とうと思って……
その答え自体には納得しているのか、ユーゴはそこに文句を言うことは無かった。
けれど、そうじゃない。と、ちょっとだけイラついた様子で続ける。
「忘れるなって。ジャンセンだって操られてる可能性があるんだ」
「まあ……あんまり疑い過ぎるとかえって怪しまれるから、お前はそうやって呑気にしてるくらいでいいのかもしれないけど」
「でも、俺が警戒して準備したいとこには手を貸して欲しい」
「準備……ですか? それはもちろん、私に出来ることならなんでもお手伝いしますが……」
彼は何を警戒し、どんな備えをしようというのか。
肝心の部分に限って少しだけ歯切れが悪くて、私ではどうにも彼の真意を汲み取り切れない。
「…………はあ。お前だよ、このバカ」
「前にも言ったけど、俺はフィリアが敵だって決めたやつを倒すんだ」
「それに、ジャンセンも言ってた。お前が倒れたら全部おしまいだって」
「だから、お前にはもうちょっと……なんて言うか……守られやすくするようにして欲しい」
「勝手にふらふらしたり、無警戒に近付いてったり、呑気にボケっとしたりしないで」
「ユーゴ……や、優しいことを言われている風なのに、どうしてか胸が痛むのですが……」
要約すると、私の心配をしてくれているのだろう。
けれど……どうしても彼は私を微妙に馬鹿にしなければ気が済まないらしい。
子供らしいと言えばらしいのだけど、普段は冷静で思慮深い彼に言われると、本当に蔑まれているように感じてしまって……
「……分かりました。貴方の目の届くところにいますし、貴方がいない時には周りの兵士を頼ります」
「そして、明日はその兵士がいないのですから、貴方から離れないように――貴方が離れて戦わなければならない状況に陥らないように、先んじて危機を回避するようにしましょう」
「心配してくれてありがとうございます」
別に。と、ユーゴはぷいとそっぽを向いてしまって、それっきり何も言わずに部屋を出て行ってしまった。
あの子はどうも……器用だと思っているのに、稀に考えられないくらい不器用な行動を見せるな。
それでも、私を想ってくれているのだけは伝わってくる。
「不要な心配は掛けないようにしてあげたいですが……」
そんな余裕があるかどうか。
彼の心労を思うと、兵を出撃させる権利を制限されてしまったのは痛かったかもしれない。
けれど、それも少し――もう少しだけの辛抱だ。
例の魔術師についての問題を解決すれば、不必要に他人を警戒し続ける必要も無くなる。
そうなってしまえば……一刻も早く、そうしてあげられれば……
翌朝、私はまたユーゴの声で目を覚ました。
なんとなく……本当になんとなくだが……
「おはようございます、ユーゴ。最近はなんだか、貴方に起こされることが多い気がしますね」
「お前がそれだけボケてるからだろ。のんびりすんな、行くぞ」
初めの頃に比べて、随分と近くに来てくれるようになった気がする。
物理的な距離も然り、心の距離についてもそうだ。
考えを打ち明けてくれるのだって、初めの頃はそうあることじゃなかった。
心配はずっとしてくれていた気はするけれど。
そんなユーゴに甲斐甲斐しく手伝って貰いながら……もとい、遅い遅いと文句を飛ばされながら支度を済ませて、私達は宮を出て、ジャンセンさんの泊っている宿へと赴いた。
そこには既に馬車と荷物が準備されていて、私達の到着を待っていたことが分かった。
「おはようございます、ジャンセンさん。短い期間にはなってしまいますが、今回もよろしくお願いします」
「おはよ、フィリアちゃん。ユーゴも、ほら、おはよう。おい。おはようございますはどうした。こら、おい」
ふん。と、ユーゴは私よりも一歩だけ前でジャンセンさんを睨み付け、しかし挨拶は一向に返そうとしなかった。
どうにも……意固地になってしまっている感じがする。
警戒とか用心と言うよりも、好き嫌いの部分が強く出過ぎてしまっている。
「ま、いいよ。お前とはそういう関係を結んだんだからな」
「けど、他のとこではちゃんとしろよ」
「お前がそういうガキみたいなことしてると、フィリアちゃんの評価が下がるんだ」
「そうなった時、困るのはお前だぞ」
「うるさい。お前なんかに言われなくても分かってるし、お前みたいなクズが他にいるとも思ってないからそんな心配は必要無い」
「まともな奴が相手なら挨拶もちゃんとする」
本当にかわいくねえな! と、ジャンセンさんはちょっとだけむきになってユーゴと睨み合い続ける。
ふたりとも落ち着いて欲しい……
「ったく。さて、それじゃあささっと出発しましょうかね」
「目指すのはウェリズ、だけど今日中にそこまで行くのは無理だ」
「だから、バンガムを経由して、今日はバリスまで行くよ」
「バリス……ですか? その、ウェリズを目指すのならば、少し南へ行き過ぎてしまっているのでは……」
バリス。
ランデルの周囲、ラピエス地区を解放した後に訪れた街だ。
そしてそこは、バンガム――これはカンビレッジを訪れる際に経由する街なのだが、そのバンガムよりも更に南にあるのがバリスの街だ。
だが……
「ウェリズの街へ向かうだけなら、バンガムから真っ直ぐ西へ向かうだけでも良いのではないでしょうか?」
「それに……その……バリスはかなり深刻なダメージを負っていますから。私達が泊まりに行っては……ああ、そうでした」
「うん、そういうこと。俺達でもバリスの状況は把握してる」
「あそこはかなりへばってるからね。普段の女王陛下が訪れたんじゃ、そりゃもう出迎えにもてなしにととんでもなく苦しい思いをするだろう」
「でも、今の俺達は……」
まだ認可されたわけではない、軍属の紋章を持たない集団だ。
となれば、当然宿泊施設を間借りする必要がある。
きちんと正規の手段で――お金を払って。
ユーゴと共に魔獣を蹴散らし、民の心に希望の光は届けてあげられた。
けれど、まだ潤いの足りないあの街に、国からの支援ではない形で援助をすることが出来る。
早い話が、お金を落としてあげられるのだ。
「あそこの河川を失うわけにはいかない」
「幸い、魔獣については前にユーゴが払ってくれたんだろ? なら、多少は楽になってる筈」
「あの街を襲ってた魔獣の源流はとっくに潰えてる」
「北東には魔獣をだいぶ抑えられてるバンガムがあって、西にはウェリズが……俺達がいる。んで、南にはデカい川がある」
「新たに魔獣が住み着きにくい環境というわけですね。ならば、街に活気が戻りさえすれば、あの街は完全に立ち直る……と」
その為の一手は、やはり金銭的な余裕を持たせてあげること。
一時のものではなく、消費――経済活動によって、恒久的に需要を作ってあげることが肝要なのだ。
「納得もして貰ったとこで、そろそろ出ようか」
「あんまり遅くなると、暗い中を走る羽目になりかねないからね。そうなると、ユーゴに出番が回っちまう」
「そういう展開はお望みじゃないんだろ、今回に限っては」
「……うるさい」
今回に限っては……
ユーゴが私をひとりにしたがらないのもお見通しか。
今朝も頼もしいジャンセンさんに急かされて、私達は南へ向かう馬車へと乗り込んだ。
まずはバンガム、そして補給をしてバリスへ向かう。
以前とは違う小さくて古い馬車で、救世主の光の残る街を目指して。




