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異世界天誓  作者: 赤井天狐
第二章【惑うものと惑わすもの】
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第八十九話【一瞬の心理戦】



 ジャンセンさんから手紙が届いてから二日が経った。


 出来得る限りの準備は全てした……と、自信を持ってそう言い切ることは不可能だ。


 ジャンセンさんの不信感を持たれない方法は、結局何も思い付かなかった。

 しかし、だからといって調査を取りやめたり話し合いを後回しにしていては、それこそなんの問題も解決出来なくなってしまう。

 だから……


「お久しぶりです、女王陛下」

「本日は私のようなものをお招きいただき、誠にありがとうございます……なんてね」


「お久しぶりです、ジャンセンさん。こちらこそ、ご連絡ありがとうございます」

「私達としても、一刻も早く調査を進めてしまいたいところでしたから」


――後のことは俺に任せて欲しい。

 ふたりで散々頭をひねった結果、ユーゴが出した答えがそれだった。


 そうして今朝、宮へとジャンセンさんはやって来た。

 昨晩のうちに彼の宿泊する宿へと連絡係を遣わせて、ランデルへ到着したばかりの彼に招待状を出したのだ。


 もう彼らは盗賊団ではない。

 れっきとした私の客人で、或いはしばらくの後に、この宮で働くかもしれない人物だ。


 誰も文句など言わない……とは残念ながらいかないが、それでも私はあえて彼を招待した。


 彼にこの場所を見て貰う為、宮の人間に彼を知って貰う為に。

 とは言っても、入り口まで――その全貌を明かすことは出来ないが。


「すみません。出向いていただいたばかりなのですが、場所を変えましょう」

「あまり人のいる場所でしたい話でもありませんし」


「うん、分かってるよ。わざわざありがとね、俺の為……俺達の為に。いつかのことを思って気を遣ってくれてるんだよね」

「フィリアちゃん、抜けてる割にはそういうとこには気が回るよね」


 抜けてる割には……か。

 少しだけ納得のいかない評価だが、しかしそれを覆すだけの実績が無い以上は閉口しよう。


 彼の言う通り、私の目論見はそこにある。


 彼らの立場をより良いものにする為に。

 こうして公的に招待されるだけの人物であると、そういう信頼のある組織であると、見せしめのようなことがしたかった。


 少なくとも、女王は彼らを厚くもてなそうとしているのだ、と。


 だが、それでも彼を奥へ案内するわけにはいかない。

 現時点での議会をあまり刺激したくない――まだいつ話をひっくり返されるかも分からない以上、これからの作戦に支障をきたす可能性があるなら、それは避けて通りたかった。


 それと……やはり、伯爵の話が頭の中にあったから。


「そんで、どこへ連れてって貰えるのかな。っても、護衛も無しじゃ遠くへは行けなさそうだ」

「となれば……フィリアちゃんが個人的に利用している、かつ宮にもそれがなんであるかを知られている場所」

「生家……は、流石に宮の中? 王族の暮らしなんて知らないし、想像も出来ないや」


「はい。これから私が向かうのは、幼少に魔術を学んだ工房跡です」

「現在は何にも利用されていない、たまに私が掃除する程度の場所ですが、秘匿性という点においては、これ以上の場所は無いでしょう」


 なるほど、魔術師の隠れ家ね。と、ジャンセンさんは嬉しそうに、未知を前にした子供のように目を輝かせていた。


 この反応はどことなくユーゴと似ている。

 それだけジャンセンさんが純粋な好奇心を――向上心を持ったままで、それだけユーゴが達観しているということだろうか。


 そんな彼と並んで歩いていると――いいや、そんな彼の姿を間近に見てもなお、伯爵の言葉が、忠告が脳裏をよぎる。


 ジャンセンさんとて、かの魔術師の術中にはまっていないとは限らない。

 ならば、宮の情報は完全に秘匿しなければならない。


 魔術工房ならば、宮とも政治とも全く無関係の、俗世とも切り離された場所だ。

 私の過去の研究が多少知られてしまう可能性も無くは無いが、それだって彼が魔術師であればという話。


 今向かっているのは、多少立派な造りをした、頑丈な洞穴のようなものだ。


「到着しました。その……最近は少し掃除に来る余裕も無かったものですから、ほこりが舞っているかもしれませんが……」


「おー、ここがフィリアちゃんの魔術師としての原点か」

「ん……ん、あれ? そういえば、フィリアちゃんって魔術師だったのね。それは知らなかったわ」


 そういえば話していなかったか、とはならない。


 そもそも、私はもう魔術が使えない。

 だから、もう魔術師であるとは名乗らない。


 それ以前に女王であるのだから、政策以外にうつつを抜かしているのかと後ろ指をさされかねない発言は、ずっと昔から控えている。


「いえ、学んだというだけで、魔術はひとつとして扱えないのですけれど。魔力痕を見出すくらいは……」


「ふーん、そっか」

「うちにも多少はいるからさ、魔術出来るやつ。せっかくならちゃんとしたとこで習わせてやろうかとも思ったけど……」


 魔力が失くなっただけで、知識も式も頭の中に残っているから、教えるくらいは出来るけれど……

 それをやっている暇など無いだろう、残念ながら。


 私に掛ける声にはそれほど大きな意味は無さそうだと、興味深そうに建物をじろじろと観察するジャンセンさんの姿にそう感じた。

 ここにはどんな仕掛けが……と、疑われていたりもするのだろうか?


「では、お入りください……うっ。ほこりくさい……」


「あははっ、これまたしばらくほったらかしだったみたいだね」

「いいよ、これの方がなんかそれっぽいでしょ。まだ認可されてない組織なんだし、このくらいの暗がりでやるべきだ」


 なんだかよく分からないところで嬉しそうなジャンセンさんの姿に、少しだけ安心した。


 こんな場所に案内して……と、怒られるとは思っていなかったが、しかし女王ともあろうものが、こんなになるまで掃除もサボっていたとは……なんて落胆があるかなとは考えたから。


「では、早速ですが……っと。ユーゴ、私の荷物を知りませんか? 地図を広げたいのですが」


「さあ。お前、ずっと手ぶらだったぞ」


 ああ、しまった。やってしまった。

 急いでいたものだから荷物を忘れてきてしまいました……と、この演技はあまりにも不自然だっただろうか。


 後のことは俺に任せて欲しい。

 ユーゴの言葉に従って、私はここで一度席を外す手筈だったのだ、もとより。


 ただ……ユーゴ、そんなに睨まないでください。

 演技が下手なのは自覚していますから、これ以上疑われそうな要素を増やさないで……


「す、すみません、ジャンセンさん。すぐに荷物を取ってきます。少しだけ待っていてください」


「地図なら持ってるよ? これじゃダメ?」


 うっ。

 ほこりの積もった机の上を軽く払って、ジャンセンさんは先日も使った地図を広げてくれた。

 流石……仕事の出来る人物は準備に欠かさないですね……


 し、しかし……今は地図が欲しいのではなく、時間が欲しいのであって……


「あの、その……実は、えっと……」


「……はあ。さっさと行ってこい、フィリア。ちゃんと手洗えよ」


 っ⁉

 どう誤魔化そうかとしどろもどろになっていた私に、ユーゴが思わぬ形で助け舟を出してくれた。

 くれたが……そ、そんなやり方は無いだろう……っ。


 ジャンセンさんは少しだけ申し訳無さそうな顔で笑ってくれた。くれたが……っ。


「……っ。では……すみません、少し席を外します……」


「昨日変なもん食うからだ、バカ。さっさと行ってこい」


 せめて……せめてもう少し……

 いや、確かにこれが一番疑われにくい方法だったかもしれないけれど……っ。


 生理現象だ、それを咎める理由も疑う理由も無い。けれど……っ。


 もう少し……もう少しデリカシーというものは無いのか。

 それを否定出来ない、している場合ではない以上は乗るしかないが、せめてもう少し……


 複雑な思いを胸に抱いて、私は工房を後にした。

 遺憾も遺憾、迷惑極まりない手段ではあったが……咄嗟の機転でこれが出来る彼の能力を信じて。


 あまり時間を掛けたくなくなってしまったけれど、しかしユーゴにそれなりの時間を与えてあげないといけない。


 くっ……わ、私はどのくらいで戻るのが正解なのでしょうか……っ。




 少年にとって、その男は大敵であった。


 裏切りを――過去を、恨みを思い出させたからではない。

 それも無くはなかったが、それ以前の問題だった。


 とてもとても単純、ひどく簡単な理屈。


「……で、お前は何がしたかったんだ? なんか企んでんのは分かってんだ、変に隠し立てすんなって」


「別に、フィリアが腹壊したのはホントだ。まあ、企みが無いわけでもないけど」


 少年にとって、フィリア=ネイという存在は特別だった。


 それの意味は問わない。

 ただ、特別であることだけが確かだった。


 故に――彼女が妙に信頼を寄せるこの男が、本能的に嫌いだった。それだけ。


 それだけだから、ユーゴの中にはこの男に対する確かな評価があった。


 この男は――ジャンセン=グリーンパークは、間違いなく自分よりも優秀な人間だ。


 子供に過ぎない彼よりも優秀な人間など、この世界、国にはいくらでもいるだろう。

 だが、それを彼自身に認めさせるものは限られる。


 自分は優れた人間である。


 幾度となく成功を積み――魔獣を倒し続け、人々に認められ続けたからこそ、彼の中にはそんな自負がある。

 幼い少年だ、当たり前にそんな自尊心も生まれるだろう。


 だが、そんな幼い――盲目的な自尊心があってなお、彼はこの男を優秀だと認めた。

 だからこそ――


「――めんどくさいから端的に言うぞ」

「北――もう一個の敵と戦ってる部隊、もっと補強しとけ」

「それと、交代制をやめろ。マリアノも、もうそっちへは送るな」


「……唐突だな。それも、俺達のやることに文句付けるとか」

「意外と……でもないか。やっぱお前、子供だな」


 男の挑発にも少年は乗らない。覚悟が決まっていたからだ。


 この場でのこのやり取りは、全て虚構のもの。

 自分がこの優秀な男を騙すか、それとも真意を悟られたうえで騙されたフリで誤魔化されるのか。


 やり取りそのものにはそれほど大きな意味が無いと、彼はそう考えていたから。


「……詳しくは言えない。フィリアにも言ってない」

「でも……なんか、ヤバイ。林の奥のやつ、アレもヤバイ」

「だけど……そっちにはもっとヤバいのがいる……気がする」


「っても、お前まだ何も見てないだろ。それでも分かんのか、お前のその直感は」

「これまでの様子を見るに、多少は近付かないと……いや」

「一回は目で見ないとロクに働かないと、俺はそう思ってたけど」


 分からない。少年はその言葉を貫いた。

 それは、察してくれという意味ではない。


 真に迫られない為には、自らも不明であるという認識を押し付ける必要があった。


 本当に無根拠だが、なんとなくそんな気がする。

 そういう荒唐無稽な言葉ならば、疑われるというところにすら届かないと思ったから。


 疑うまでもない言葉であっても、この男ならば――と、そう思ったから。


「あのデカい魔獣の時も、小さい魔獣の時も、林の奥も、マリアノも、全部近付くのが分かったから気付いた」

「でも……そうじゃないのもたまにある」

「近付いても分かんないのがあるし、俺だって信じ切れてないけど」


「……ま、話になんないわな」

「お前の力は信頼してるし、それをアテにして協力を受けたけど」

「でも、それを言葉に出来ないなら、俺はお前の能力もアテにはしない」


 決定は俺がする。

 ジャンセンのその言葉に、少年は目を伏せた。


 がっかりした――風を装った。


 もちろん、それに意味は無い。

 しいて言えば、喜んだ――感謝したと思われたくなかった。


 この男は、自分の忠告を重く見た。

 そういう意図を男の短い言葉の中に感じた。


 彼に付与された特異な能力が――危険を察知する能力が、そういう機微を伝えたのだった。


 それから、ふたりの間ではいくつかの言葉が交わされた。

 調査へ向かうとすれば、どこへ向かい、何をすべきか。

 少年の本能と男の知略が、何を最優先にすべきだと訴えているかを。


 その間、互いの心理へと踏み込む言葉は発せられなかった。

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