第八十八話【多くの制約】
伯爵からの忠告を守り、私は誰と相談することも出来ぬまま過ごしていた。
ジャンセンさんにもまだ指示を出せていない。
どうか北の戦線を厚くするように、その人員を他の部隊と接触させないように。
そんなお願いを、どうすれば疑われずに出来るだろうか、と。
ユーゴと共に、ずっとずっと悩んでばかりいた。
そんな時だった。
「女王陛下。お手紙が届いております」
「手紙……ですか? 差出人はどなたでしょう」
執務室へ向かった私を待っていたのは、どうにも疲れた表情のパールと、そんな彼が手に持っている一通の便箋だった。
この新組織設立の件で、彼にもいろいろ負担を強いてしまっているから、どこかで一度ゆっくりさせてあげたいものだ……ではなくて。
手紙……とは、はて。
伯爵からの連絡であれば、いくらなんでも早過ぎるが……
「差出人はジャンセン=グリーンパーク。かの協力者からです」
「ジャンセンさんから……ですか。どうしたのでしょうか」
ジャンセンさんから連絡があること自体は、そう不自然でも珍しいことでもない。
私達は協力関係を結んだのだ。
それぞれの代表同士が連絡を取り合うのは、むしろ当然のこと。
だが……伯爵の言葉が頭にあったから、妙にタイミングが良いと身構えてしまう。
パールは手紙を渡すと、そのまま自分の席に戻ってしまった。
まだまだやることが多いのだと、その表情は物語っている。
彼は普段、そういった感情を表には出さない人物なのだが。
今回は相当追い込まれている……仕事量が多いということだろう。
「……お疲れ様です、パール。リリィにも貴方にも、この件が落ち着けば一度休暇を出しましょう」
「ひとりにしても心配にならないくらいには私も頑張りますから」
「お心遣い感謝します、女王陛下」
「ですが、今は終わった後のことを考える余裕も余地もありません。何よりも、現在が大切なのですから」
相変わらず堅苦しいと言うか、生真面目と言うか、遊びの無い人だ。
もっとも、そうでなくてはこのような仕事は務まらないか。
私もだが、先代の王も優秀だったわけではない。
少なくとも、国民からの反発は多かったのだから、彼の苦労は途方も無かっただろう。
「……っと。まずは今のことを、ですね」
では、これからの彼の負担を少しでも軽くしてあげなければ。
そんな思いも込めて、ジャンセンさんからの手紙を開ける。
書かれているのは……当然、これからの調査についての相談だった。
「パール。議会の予定はどうなっていますか?」
「私はまた、彼らのところへ赴いて、ともに調査の下準備を進めようと思うのですが」
「カンビレッジの砦の使用許可についての返答期限が三日後、それ以外の砦についての期限が十日後」
「組織の運営費用申請がその後から受け付けられますから、それまででしたら」
十日後までに……か。
となれば、急げばヨロクまでを往復する時間さえ作れるな。
手紙によれば、ジャンセンさんも明日にはランデルに到着するそうだし、そこで相談してまた調査へ向かおう。
となると……ユーゴにも相談しなければいけない。
「パール、少しだけ席を空けます。ユーゴにも相談しなければ」
「彼の直感には何度も助けられていますし、魔獣と直接戦っているのは彼ですから」
「彼の意見を……彼が考える時間を設けてあげないと」
「……なるべく早めにお戻りくださいますようお願いします」
わ、分かっていますよ。サボりたいわけではありませんから。
更に疲れた顔になったパールにそう言い残して、私はユーゴの部屋へと向かった。
「ユーゴ、少し良いですか? 相談があるのですが」
ドアをノックして声を掛けると、またなんとも不機嫌そうな声色の返事が聞こえた。
しかし、何か嫌なことがあったわけではないのだろう。
顔を覗かせた姿は、どことなくウキウキして見えた。
「なんだよ、相談って。またなんかやらかしてパールに怒られたのか?」
「ち、違いますよっ。ジャンセンさんから手紙が届いたのです」
「それで、明日にはランデルへ到着するそうなので……」
また先日のように調査へ出かけようと思った。
しかしその前に、ユーゴに色々と相談しようと思った。
まずはどこを調査すべきか――どのような場所、どのような危機を調べるべきか。
それと……どうすれば伯爵から聞いた話をジャンセンさんに勘付かれないで済むか。
「北の人員を増やしていただくお願いもしなければなりません」
「私と貴方との間に認識の齟齬があっては、なおのこと疑われてしまいます」
「なので、その件についても少し話し合いをと思いまして」
「ふーん。まあ、かなり目敏かったしな、アイツ」
そんなわけで、まずはお互いの認識をしっかり確かめるところからにしましょう。と、そう告げれば、ユーゴはちょっとだけめんどくさそうな顔になってしまった。
そんなに嫌がらないでください……
「まずは……伯爵から聞いた話は全て他言無用、ここはいいですね。それで……」
「どれがカスタードから聞いた話で、どれが違うのかってのを確認するんだろ」
「それと、アイツが自分で気付いてた時にどう誤魔化すかとか」
「こっちもそれに気付いてた体で行くのか、それは知らなかったって顔するのか」
なんだかんだと文句ありげな顔をしながらも、ユーゴは真剣にいろいろ考えてくれていた。
この子はやはり聡い子だな。
生前はやはり、平和な世界で学問を修めていたのだろうか。
とすると、彼の知識は、意外なところで国を救ってくれるかもしれないな。
「その……私の嘘はあっさりバレてしまいそうですから、ジャンセンさんから踏み込まれた際には、あまり誤魔化さない方が良いでしょうか」
「公に出来ない情報筋から、噂話程度には聞いている……とか」
「自覚あるんだな……そうか……」
「でも、それに意味があるとも思えないんだよな。アイツ、目敏かったから」
むすっとした顔になるのは、ジャンセンさんを認めるような発言をしなければならないからだろうか。
そんな彼の心情は一度横に置いておいて、彼の言には一理ある。
私の嘘ではバレてしまうとなれば、嘘をつかないようにしている違和感にも気付かれてしまうだろうし。
「ならばいっそ、誤魔化すことさえやめてしまう……とか」
「その……それ以上は察してくださいと念じるとか……」
「……それじゃ元も子も無いだろ」
そう……なのですよね……
口外しなければいい……という単純な話ではなくて、私達がそれに気付いていることを悟られてはならないのだ。
ジャンセンさんも例の魔術師の影響を受けた後である可能性がある以上は、こちらの動きを察知されてはならない。
となると……ううん……
「……無理だな。でも、それで諦めて投げ出すと、なんかあった時にカスタードに怒られるかもしれない」
「それは……それだけは絶対嫌だ。あんなやつに……っ」
「ど、どうして伯爵をそんなにも……」
ユーゴはなんだかよく分からないモチベーションで真剣に悩み始めた。
どうして彼は伯爵をこうも見下して……いや、そうではないか。
張り合っているのかもしれない。
あの人物が優秀だから……というのもあるだろうけど。
それ以上に、伯爵が彼としっかりぶつかってくれるから。
「……では、先に答えを置き換えて認識しておくのはどうでしょうか」
「その……例えば、問題の魔術師について」
「心を操る魔術というのではなく、身体を操ってしまう魔術だと……」
「思い込んでるように見えるだけで、結局なんか知ってるってのはバレるだろ」
「まあ……そのくらいしか思い付かないけどさ……」
そう……ですよね。
駄目だ、どうしても打開策が思い浮かばない。
人の心を操作する……なんて馬鹿げたやり口、どうすれば防げるというのか。
むしろ、知らなければ――真実は知らぬままに、人員を増やすべきだという助言だけを受けていたら……いや、それはもっと危険か。
何かの拍子に私達がその魔術に接触してしまったら、それで全てがおしまいなのだ。
「ジャンセンのやつが操られてないことを祈るしかないな」
「マリアノは……どうだろう。アイツは最前線で戦う以上、可能性は高くなっちゃうけど……」
「マリアノさんほどの人物が……とは思うのですが、しかし可能性は高いですよね」
ジャンセンさんは普段後方に控えているし、それにいつだって警戒心を高めて表立った行動を避けるようにしている。
操られている可能性は低いだろう。
それに賭けるしかない……か。
「それか、俺が一回カマかけてみるとか」
「でも、俺だって別に嘘が得意なわけじゃないしな。フィリアよりはマシだけど」
「ですが、現実的に一番可能性があるのはそれでしょうか」
「その……すみません。昔は嘘が下手だったとも思わないのですが……」
へたくそでも周りが騙されててくれただけだろ。と、ユーゴはあまりにも悲しくて鋭い言葉で私を斬って、そして頭を抱えたままベッドの上に転がった。
いろいろ考えとくから、飯の時にまた話そう、と。
部屋を出る直前の私に声を掛けた時の彼の顔は、魔獣と戦っている時のように楽しそうなものだった。
「……人を謀ることに楽しみを見出さないでください……はあ。今は頼もしい限りですが……」
彼の中で、これはひとつのゲームなのだろう。
ジャンセンさんを上手く騙し通せるか、と。
頼もしくはあるのだが……あの歳頃の子供に、そんなことで笑って欲しくはなかったと思わざるを得ない。




