第八十七話【異端】
ヨロク北部の林での調査は数度にわたり、最新の詳細な地図と、そして簡易的な活動拠点の完成を見届けることでそれを区切りとした。
しばらくこの場所には、国から派遣した憲兵が見張りに立つ。
それには、ここが本当に調査の為だけに使われるものかどうかを審議する議会の意図もあっただろう。
しかし、なんにせよひと区切りだ。
そんな実感を覚えたのは、ヨロクからランデルへ――宮へと帰った後のこと。
執務室で大量の事務仕事と、議会からの報告書……あれは良くてこれとこれはダメで、それはこういう形でしか認められなくて、なんて口うるさい指示の並べられた返答の山に、リリィともども頭を抱えた時のことだった。
けれど、それだって苦ではなかった。
一歩一歩に実感が持てる今は、たとえ後ろ向きな力であっても簡単に振り切ってしまえそうな気がした。
そして――
「――よーく来たであーる! もてなすのであーる!」
「いっつもそれだな、お前。大してもてなされた記憶無いぞ」
私達は連絡を受けて、またバスカーク伯爵のもとを訪れていた。
件の組織、そしてその中枢にほど近いと思われるひとり。
人心を操作する特異な魔術を行使する魔術師。
それだけが分かっていて、その時点で危険極まりないと警戒している女性。
その人物についての新しい情報が得られたと、伯爵から手紙が届いたのだ。
「むぉっほん。今日はそちの無礼に付き合っている時間も余裕も無いのであーる。早速本題に入るであーる」
「フィリア嬢、今回の情報も他言無用で頼むであーる」
「はい、承知しました」
では。と、伯爵は薄暗い洞窟の中で、一枚の大きな紙を広げ始めた。
これは……地図だろうか。
もしや、例の組織の拠点が分かった……なんて都合の良い話は無いか。なら……
「例の魔術師の出現場所――盗賊団との競り合いの中で、あの魔術が行使されたのを確認した地点を記したのであーる」
この人物はどうしてこうもクリティカルな情報をすいすいと搔き集めてみせるのだろうか……
しかし、なるほど。
見れば、地図上にはいくつも赤い点が記されている。
そしてそれが全てヨロクよりも北――私達が先日まで調査していた林よりも北、ジャンセンさん達が利用している活動拠点のもう少し先に点在しているのが分かった。
「……思っていたよりも多い……ですね。その人物の能力を思えば、確かに最前線でこそ輝くものだとは思いますが……」
魔術師とは、そもそも軍人ではない。戦うことを念頭に置いて魔術を開発したりはしない。
それが、元魔術師である私の持つ常識。
魔術とは学問であり、式によってもたらされるものはあくまでも結果。
その結果を自然現象へとどれだけ近付けられるかという部分こそが、世の魔術師全ての目標とするところなのだが……
「我輩は魔術師ではないし、魔術というものにも詳しくはないのであーる」
「しかし、その志すものについては知っているのであーる」
「ならば……こう考えるべきであーる。この魔術師は、戦場を実験場だと思っているのであーる」
「実験場……ですか。しかし……人の心を操ることで、果たしてどうやって術の最奥へ……」
それについては我輩では分からんのであーる。と、伯爵はため息をついた。
魔術師としての観点からすれば、この人物の行動はやや不自然だ。
確かに、人の心を操る魔術というのであれば、当然その被験者の多い場所こそが最良の実験場所だろう。
だが、その為に自身が危険に晒されるのは割に合わない。
それに、魔術という分野の中でも異端過ぎるその術は、果たして本当に最奥へと繋がっているのかも怪しいものだ。
「……ならば、その人物は魔術師としてではなく、あくまで組織の人間として、魔術によって軍事作戦に加担する人物――魔術によって何かを成そうとしている人物と考えるべきでしょうか」
「個人主義の強い魔術師ではなく、組織の一員として成果を上げることを優先している人物……ということであーる? ふーむ……」
そうとしか思えない状況にあって、なお個人の目的の為に実験をしている可能性を疑わなければならないほど、魔術師というのは魔術至上主義なのであるな。と、伯爵はなんだかがっかりした顔でそう言った。
そ、そこに今落胆しないでください。
「私も元は魔術師の端くれですから。その理念については理解していますし、納得もしています」
「そうでもしなければ到達出来ない地点を目指している、と」
「ただ……それでも、本当にそれだけを目指しているだけではない――それだけを目指せるわけではない魔術師も少なくないのでしょう」
私がそうだったのだし。
そもそも私は、魔術師以前に王女だった。
だから、術の最奥を目指すという最終目的は知っていながらも、それに自分が関与するとは一切考えなかった。
この人物もそうなのではないだろうか。
「もともとがこの組織の人間として、立場ある存在だったのでしょう」
「そして、その目的達成の為に魔術を習い始めた」
「世にいる魔術師とは順序が逆。目的ありきの魔術師なのだとすれば、その人となりも少しずつ見えてくるかもしれません」
「ふーむ……普通、人間はそういうものであーる。やはり、魔術師というのは……」
変な生き物であーる。と、吸血鬼伯爵を自称する変な男性に言われてしまっては、世の魔術師達も浮かばれないだろうに。
そんな伯爵と私のやり取りに、ユーゴはさっきからずっと目を丸くして首を傾げてばかりいた。
彼にとっても、魔術師の在り方は理解しがたいものだったのだろうな。
「しかしそうなると、この組織には他の指導者がいると見ていいでしょうか」
「魔術師がわざわざ人を集めて何かをするとは思えないし、人の上に立つ者がわざわざ魔術を修めてどうにかしようと考えるとも思えない。あまりに非効率的ですし」
魔術を修めていた女王が言うことではないのかもしれないけれど。
それでも、私の考えは間違っていない筈だ。
「……であるな」
「或いは、この人物は元々から魔術師であったが、非常に強いカリスマによって組織に引き入れられた――自らの目指す最奥よりも、その指導者の語る理想を重く見た。そんな可能性も高いであーる」
伯爵はそう言ってしばらく悩んだのちに、慌ててまた地図へと視線を戻した。
その人物についての考察は後。今すべきは現状への対策だと言いたいらしい。
少しだけ焦った様子でユーゴの顔色を窺ったり、私になんとなくそんな視線を送ったりしている。
「……こほん。少し話が逸れてしまっていましたね」
「さて……これからどう手を打つべきか、ですが……」
「我輩としては、この人物との接触は絶対に避けるべきだと進言するであーる」
「もしもフィリア嬢かユーゴが操られてしまった場合、我輩の集めた情報の全てが無駄になってしまうのであーる」
「それどころか、折角協力を取り付けた盗賊団との関係も、その立役者であるそちらがいなくなってしまえばそれまでとなってしまいかねないであーる」
いえ、その……立役者だからという以前に、私が操られてしまったら全てが終わってしまうのだけれど。
女王という立場の人間を好き勝手に出来るようになれば、それはもう事実上の国獲り成功なのだ。
国策も全て思うがまま。
それに、もしも対抗しようとする動きがあっても、全てを事前に察知出来てしまう。
「となると……この地点にはまだ近寄らないほうがいいでしょうか」
「しかし……それでは、彼らに負担を掛け過ぎてしまう。なんとかして増援を……」
「国軍も近寄らせない方がいいであーる」
「誰かひとりでも操られてしまえば、宮の情報を全て持っていかれてしまいかねないであーる」
「協力関係を結んだとはいえ、盗賊団の人間もあまり信用し過ぎない方がいいであーる」
「重要な作戦が事前に漏れてしまえば、痛い返り討ちに遭いかねないであーる」
分かってはいたが、なんと心苦しい選択を迫られるのか。
せっかく手を取ってくれたジャンセンさん達を疑わなければならないとは。
この魔術師については、ユーゴやマリアノさんがどれだけ強かろうと関係無い。
もしもふたりのような特別な戦力が操られてしまったら、一瞬の拮抗を保つこともままならずに圧し潰されてしまうだろう。
「とにかく、この地点には絶対に近寄ってはならんのであーる」
「もしも盗賊団の戦力配置に口を挟む余地があるのなら、この地点の防御を厚くしつつ、しかし他の部隊との交流を極限まで減らすように伝えるであーる」
「……それも、やはりこちらの意図を――この情報を打ち明けずに……ですよね」
そうなってしまうのであーる。すまないのであーる。と、伯爵は肩を落とした。
それはまた難しい話だ。
困ったことはそれだけではない。
ジャンセンさんの察しの良さ――切れる頭脳が、場合によっては仇となってしまう可能性だってあるのだ。
私達は伯爵の教えてくれた地点をしっかりと頭に叩き込んで、彼の屋敷を後にした。
最前線にはまだ近付くべきではない。
そんな忠告があっては、私達の直近の目的をまた考え直さなければならないな。
ユーゴとすら相談をするわけにもいかない帰りの馬車の中で、私はずっと頭を抱えているしかなかった。




