第八十六話【立派な旗を】
木を切って、切った木を使いやすい長さに切り分けて、それを一か所に運び込んで。
なんだかんだで夢中になって、ユーゴは楽しそうにそれを繰り返していた。
彼にとっては貴重な体験、新鮮な体験だったのだろう。
退屈が紛れたのならば、戦うこと以外で満足出来たのならば幸いだ。が……
「……あの、ジャンセンさん。本当にこんなことばかりしていて良いのですか……?」
「こ、こんなことって……ま、言いたいことは分かるけど」
私達はここへ調査をしに来たのだ。
いつかの為にとここを開拓するのも重要なのだとは分かっているが、しかし……
「大丈夫大丈夫、心配しないで。やることはちゃんとやってるから」
「ですが……」
意外と信用無いのね。と、ジャンセンさんは肩を落として、しかしすぐに気を取り直してある方向を指差した。
そこには、せっせと何かを書き込んでいる若者達の姿があった。
「ここに魔獣がいないのは分かってたからね。調べるのはそこじゃない」
「もちろん、今まで以上に動き回って、本当にそれがいないのかって確かめる目的もあったけど」
「魔獣の調査が目的ではない……では、彼らはいったい何を……」
フィリアちゃんと同じだよ。と、ジャンセンさんはいたずらっぽく笑った。
私と……同じ……?
私の目的は……ええと……国の安全を取り戻すことで、その為に魔獣の問題を解決しようとしていて……?
「あら、自分で言っといて忘れてる? 嘘つくの下手だね、やっぱり」
「測量だよ、これからはこっちに来る機会も増えるからね」
「単に地形を確認するだけじゃなくて、土の具合とか、水場の再調査とかさ」
「だってここ、地図が更新されたのって随分前でしょ?」
測量……そ、そういえばそんなことも言いましたね……
まだ身分を隠していた頃……今にして思えば、隠せていると勝手に思っていた頃、か。
国策で地図の更新をしに来た測量士だと名乗ったのだった。
しかし、まさかそれの当てつけの為にそんな予定を立てた……なんてわけはないか。
なるほど、解放が目的ならば、地図の作成……再作成は必要だ。
「あの嘘、フィリアちゃんとしても必要だと思ったから――疑われにくい、真実味のあるものだと思ったからついたんでしょ」
「そういう意味では、今の俺達にはちょうどいい」
「国にとって、議会にとって価値のある行動をする組織だってアピールは、今一番必要なことのひとつでしょ。心象、良くしとかないとね」
「私達のこの活動の為だけではなく、組織の発足に少しでも有利に働くように……ですか。抜け目ありませんね」
やはり、この人物は頭が切れる。と言うより、方々に気が回るのだろう。
自分の属する組織だけでなく、敵対する組織やそこに属する人物。
或いは、全く無関係の人々の行動と行動原理を意識する。
組織が大きくなれば、やることが増えれば、責任が重くなれば、それはどんどん難しいものになるだろう。
「ま、それもあくまで建前だけどね」
「姉さんがいないから派手なことは出来ない。そもそもまだ俺達には活動の許可が下りてない」
「他に出来ること無いだけなのを、ちょっとカッコつけただけだよ」
ジャンセンさんはそう言うと、その測量結果を纏めているのであろう若者達のところへ行ってしまった。
建前とは言うものの、しかしそれは本当に実の無い虚勢というわけでもない。
ともすれば、彼の中には更に大きな展望がもう出来上がっているのかも。
そう考えると……
「私もしっかりしなければいけませんね。これだけの人に協力して貰う、期待していただくのですから」
ぎゅっとこぶしを握って、自らに戒めるように呟いた。
裏切れない。
もう二度と、ジャンセンさんに裏切りを味合わせてはならない。
その恐怖を乗り越えてまで手を取ってくれた彼らに、なんとしても報いなければ。
「フィリアちゃん、ちょっと来て。確認して貰いたいんだ」
「俺達で好き勝手やっただけのもの提出するわけにはいかないでしょ。だから、ちゃんと女王陛下のお墨付きを頂かないとさ」
「は、はいっ。すぐに」
その後も、私達は昼食を挟んで林の中を調べ続けた。
これからここをどうしていくつもりなのか。
その為には何が必要で、それはこの場所で確保出来るのか。
ジャンセンさんが明確な目的を持って来てくれたおかげで、魔獣は見つからなかったというだけの結果では終わらずに済む。
なるほど、以前の私達にはこれが足りていなかったのだな。
そんな気付きを得て、私達は日が暮れるのと同じ頃に、また馬車との合流場所へと戻った。
街へ戻り、ジャンセンさん達と別れて、私とユーゴはまた役場へと赴いた。
今日調べたことを報告する為――議会に提出する為に、もう一度不備が無いかを確認するのだ。
情報の抜けが無いか。
そして、余計な情報が書かれてはいないか。
やるべきことはまだまだある。それも、私にしか出来ないことが。
「ユーゴ、貴方は先に戻っていても良かったのですよ。慣れない作業で疲れたでしょうし」
「別に、あのくらいで疲れないよ」
他の誰よりも――全員を合わせたのよりも多くの木を切り、それでもなお疲れてはいない、と。
やはり、ユーゴの力は特別なものだ。
体力があるとか無いとかではなく、運動そのものに影響を及ぼしているのだな。
斧を振り回す力は最小限で済み、木材を運ぶのにも力を必要としない。
私が付与したものとはいえ、まったくとんでもない力だ。
「それでも、休むべき時には休んでください」
「以前、ジャンセンさんもおっしゃっていましたよね。貴方ありき――協力を結ぶ価値は、貴方の力にしかない、と」
「……だから、俺の体力は出来るだけ温存しておく……ってことか?」
それもあります。ありますが……それだけではなくて。
私がそう言うと、ユーゴは目を丸くして首を傾げた。
他にあるのか? と、そう尋ねたいらしい。
「……貴方にしか価値が無い、現状の国力は彼らにとって大したものではない」
「その……あの時は、多少の挑発やカマかけの意図もあったでしょう」
「ですが、それが全てとも思えません。自覚もあります」
「ですから、貴方以外の人間が――その筆頭として、私が。少しでも力を付けて、私達の価値を高めなければなりません」
まったく変な話ではあるのだが。
国という枠組みを持っている私達が、その価値を少しでも高めなければ必要と思って貰えない。
国が弱り過ぎているのが悪いのだが、それに今更文句を言っても仕方が無い。
「少しでも貴方に追い付かないといけないのですよ、私が。だから、ここは私ひとりにやらせてください」
「貴方のように走り回ることも、戦うことも出来ないのですから」
「……分かった。でも、一応はここにいるぞ。なんかあると面倒だからな」
いえ、ゆっくり休んで欲しいのだけど……
しかし、ユーゴとしてもそれは気が気で無いのだろうな。
私に何かあれば、国は――宮は旗印を失う。
彼はそれに付き従うものだから、その喪失は避けたいのだろう。
自分を優秀な先導者だと思ったことは一度も無いが、しかし女王という立場の意味は理解して……
「……ああ、そういうことだったのですね」
名前も立場も武器にしろ。とは、そういうことだったのか。
なるほど、ジャンセンさんの理念は、ユーゴのものと近いのかもしれない。
武器――強み、能力。
ユーゴはそれを、むやみに振り回したくないものだと言った。
それは怖い行いだと、だから嫌なのだと。
「立場を武器にする……というのは、それの重みをきちんと理解して、振るうべき場所を見定めるべきだ……という意味も含んでいたのですね」
「……? おい、ごちゃごちゃ言ってないで早くやれよ。パールに言いつけるぞ」
っ⁉ そ、そんな脅し文句をどこで覚えてきたのですかっ。
やっとジャンセンさんの言葉を理解して納得していた私に、ユーゴはあまりに無慈悲な脅しをする。
この歳になってまだ説教が怖いなどとは言わないが、避けられるものなら避けたいのだ。
それに、いい加減あのふたりにも一人前だと認めて貰わないと。
それから私は、ユーゴの見張りがある中で、調査書と報告書の確認、そしてそれをもとにした申請書類を製作し続けた。
これですぐに何かが変わるわけではないかもしれないが、少しでも彼らの――かつて盗賊団と呼ばれていた若者達の待遇が良くなれば。
それに、ジャンセンさんの能力をもっともっと活かせるようになれば。
彼らに提供する見返りという部分からは外れてしまうが、国力はずっとずっと大きくなるだろう。
そんな期待を込めて、ひたすらにペンを走らせ続ける。




