第七十六話【唯一の機会】
馬車は街の外側をぐるりと回って、以前にも訪れた街の東部へと到着した。
ここからは徒歩で、念入りに調査しよう。
誰が言うでも無く皆馬車から降りて、そして馭者と護衛を残して林へと踏み入る。
魔獣に限らず、生き物が生息するにはうってつけの筈の場所。
けれど、ここにはただの獣すら見当たらなかった。
そしてそれは、あの時に限った話ではないらしくて……
「……どうですか、ユーゴ。やはり、今日も……」
「いないな。魔獣もいないし、ただの動物の気配も無い。けど……」
けど? ユーゴは少しだけ警戒心を強めて、そしてジャンセンさんを睨んだ。
これからは一緒に、その一歩目を今からと話をしたばかりなのだから、早速喧嘩腰になるのは避けて欲しいのですが……
「……前来た時とはちょっと違う。安全だって分かったから……なのか、人の気配がある」
「人の気配……ね。そりゃまた……」
困った話があるもんだ。と、ジャンセンさんは肩を竦めて頭を抱えた。
これから調査に向かう。そして、場合によっては危険な存在と戦闘になるかもしれない。
となれば、なるほどこれ以上都合の悪い話は無い。
「では、探して避難指示を出しましょうか。いえ、しかし……」
「残念ながら国軍の紋章は付いてない、ならず者のボロ装備だ。何言ったって聞き入れて貰えないだろうよ」
私もユーゴも、決して顔を知られているわけではない。
顔が知られていないからこそ、街の人達に話を聞けたのだし。
となると、今のこのまま接近すれば、いたずらに怯えさせてしまうだけか。
「迂回する……のも変な話か」
にちょっとだけ音立てながら行こう。そしたら、まともな奴なら逃げてってくれるだろうし」
「魔獣だと思えば近寄らない、もしも人の姿が見えてもこんな集団に関わるなんて愚もいいとこ。そんでも逃げないとしたら……」
もうひとつの組織。北方で彼らと競り合っている、この国に蔓延る危険な集団だろうか。
そちらの素性もまだほとんど知れていない。
北だけではなく、既に国内全域に……と、そうであってもおかしくはない。
「……? フィリア陛下、どうかなすった? 微妙に顔色が悪いけど」
「い、いえ。その……もしも無辜の民であるなら、絶対に傷付けてはなりません」
「そうなると、やはり国軍という肩書き無しにはやり方も限られますから……」
そうだね。避難させるにもひと苦労だ。と、ジャンセンさんはそう言って、それ以上は踏み込んでこなかった。
この件は彼らにもまだ話すべきではない……いいや、彼らにだからこそ話すべきではないだろう。
吸血鬼伯爵――バスカーク伯爵から聞かされた話の中に、その北方の組織についてのものがあった。
組織の人間は、どうやら人の心を操る魔術を会得している可能性が高い、と。
それが可能なら、既に全国どこにでも支配下にある人間がいてもおかしくないだろう。だが……
「……フィリア。気を抜くなよ」
「人だとは思うけど、もしかしたら人に化けた魔獣かもしれないぞ」
「そういうのの気配がどう感知出来るのかは知らないんだ、まだ」
「っ。そうですね。貴方ひとりに全て任せていては意味がありませんから」
ユーゴにはどうやら心の内を見抜かれてしまっているようだ。
この話は、絶対に他言無用でと念を押されている。
だから。その言いつけを守りたいから。というだけの理由ではなく、伯爵がそうした原因にこそ頭を抱えさせられてしまう。
彼らは――盗賊団は、既にその組織と何度も接触している。
そして、その度にその能力を目の当たりにしている筈だ。
であるならば、当然その魔術を受けた人間だっているだろう。
それが完全に解呪されたとは限らない、まだ魔術による支配が続いている可能性もある。
ならば、迂闊なことは口外出来ない。
「……そうだ、ユーゴ。貴方は以前、ヨロク北方の林の奥に何かの気配を感じ取っていましたね。こちらではそういったものは感じられませんか?」
「あの時は、随分と遠くの時点で察知していましたが……」
「いや、何も。俺ももしかしたらとは思ったんだけどな」
「あっちに行ってから分かるようになったんじゃなくて、ただ単にここはもっと遠いか、他の理由があるのかもしれないな」
他の理由、か。
そういえば、ジャンセンさん達も魔獣がいない原因――ユーゴが察知したとてつもない脅威については、目撃しているわけではないようだった。
ならば、まだ平和な理由で魔獣がいないという可能性もあるのか。
もっとも、それに期待して勝手に安心していたのでは話にならないが……
「ただ……この間は俺が気付くより前にあのデカいのが現れてるからな」
「もしかしたら、あんまりアテにならない力なのかもしれないし」
「んお? なんだなんだ、弱気発言だな。お前、そういう奴だったか?」
「んまあ、ガキのくせに冷めてるなとは思ったけど」
弱気じゃない! と、ユーゴはジャンセンさんの言葉に噛み付いた。
しかし……私から見ても、今のは弱気な発言に思えた。
ユーゴの魔獣や危険を察知する能力については、これまでどれだけもお世話になってきた。
それが外れた例は無いし、彼自身もそこには自信を持っているものだと思っていたが……
「……抜け穴があるのは思い知らされたからな」
「さっきも言っただろ、人に化けてる魔獣とかだったら知らないって。だから、あのデカいのも……」
「人の姿で街に侵入し、そしてあの場で元の姿へと戻ったかもしれない……と。そ、それは……」
そんなもの、注意のしようもないではありませんか。
ついついそう嘆いてしまいそうな話を聞かされて、私もジャンセンさんも揃って顔を青くする。
いいや、私達だけではない。
周りにいる若い男達――ジャンセンさんの部下も、同じようにうろたえていた。
しかし、ユーゴとマリアノさんだけは少し様子が違って……
「――ハン。上等じゃねえか」
「おい、テメエら。もしテメエらン中に魔獣がいるんだったら、今のうちに白状しとけよ」
「後になって襲って来やがったら、生きたまますり潰して団子にしてやるからな」
「今言っても絶対殺すだろ、お前。まあ、俺もだけどさ。変身の途中でも真っ二つにしてやる」
マリアノさんはどこか嬉しそうに笑って、あまりにも物騒な話を、よりにもよって誰よりも大きな大剣を握り締めたまま口にした。
そんな姿に、当然彼女の部下でもある男達は怯えてしまう。
そこへユーゴによる追撃があったものだから……
「おいおい、あんまおっかない話すんなって」
「特に姉さん。姉さんが言うとマジでシャレになんないから。そうでなくてもおっかない顔してんのに」
「ユーゴもですよ。ただでさえ恐ろしい話を聞かされた直後だというのに……」
どうしてこのふたりはこうも好戦的なのだろうか。
それにしても、あまりにどうしようもない可能性の話をしてくれたものだ。
確かに、今この場で――ユーゴやマリアノさんがいる場で魔獣の姿になられるぶんには、全くではないが、しかし大きな問題にはならないだろう。
だが……
「ま、やるとしたら、フィリアだけになった時だろうな」
「こうやって人に化けてる時点で、それなりに頭はいいわけだし。フィリアと違って」
「そうだな。話が出来るってのは、獣としちゃまずあり得ない。少なくとも、どっかで人間の言葉を覚えてこなくちゃならねえからな」
「そうなったら、テメエよりずっとマシな頭なのは間違いねえぞ、ジャンセン」
どうしてふたりしてっ。
私もジャンセンさんも声を揃えて、その扱いの悪さについて抗議する。
というか、彼らの力関係もこちらに似たものなのですね。
いえ、マリアノさんはジャンセンさんよりも歳が上の、保護者のような方だとは伺いましたが……
「……近いな。フィリア、お前は一応顔隠しとけ。これで兵士だったら面倒だろ」
「よく考えたら、黙って出て来てるんだから、探しに来ててもおかしくないし」
「そ、そう言われてみれば……ならば、それはユーゴも同じでしょう」
うっ。その可能性は考慮していなかった。
確かに、カンビレッジの憲兵である可能性は高いか。
もしもそうだったら……ジャンセンさん達とて姿を見られるのはまずいだろう。
こうなったら、遠回りをしてでもその気配を避けて……
「……いんや、そのまま行っちゃいましょ」
「おい、お前ら。陛下とユーゴを囲め。それでとりあえず姿は隠せるだろ」
ジャンセンさんの指示に従って、男達は急いで私とユーゴを取り囲んだ。
少し視界が狭いが、しかしこれなら私達の姿は見えないだろう。だが……
「ジャンセンさん。その……まだ、正式に取り決めたわけではない……決定を報告していませんから」
「この状況、もしも踏み込まれて私達の姿を見られでもしたら……」
「女王陛下の御身を拉致する暴漢に見間違えられる……? あはは、確かに確かに」
わ、笑いごとでは……
だが、どうにもジャンセンさんはその懸念を払拭するつもりが無さそうに見えた。
ふん。と、小さくため息をついたと思えば、遠くの方をじっと見つめたりして……
「――――ま、いいんじゃない? だってそれ、別に勘違いでも何でもないんだし――――」
「――え――?」
――パァーン――と、火薬の爆ぜる音が聞こえて、私達のすぐ近くの木の幹が抉れた。
鉄砲――っ? どこから、誰が。なんの為に。
状況が呑み込めずうろたえる私の背中を、ユーゴは少しだけ強い力で叩いた。
そして、それが意味したのは――
「――おい、お前ら。作戦変更。たった今から、このふたりは敵な。だから、もう取り囲まなくていい。おら、さっさと動け」
ジャンセンさんの言葉に、男達はひどく動揺した姿を見せた。
しかし、さっさとしろと彼が怒鳴れば、その統率力はすぐに取り戻される。
そうして広がった視界のど真ん中――声のした方、顔を上げた目の前には、冷たい目をしたジャンセンさんと、大剣を構えたマリアノさんの姿があった。
「動くなよ、ユーゴ。いくらお前でも、三方向からいっぺんに撃たれたら守り切れないだろ」
「――っ。ジャンセン――お前――っ!」
取引しよっか、フィリアちゃん。彼は感情の見えない声色でそう言った。
表情からも何も感じ取れなかった。
部下の男達からはまだ大きな混乱が見られて、マリアノさんからも少しばかりの焦りや困惑の色が窺える。
なのに、彼だけは何も――




