第七十五話【さあ、踏み出せ】
「じゃ、やろうか。今日のこの瞬間が記念すべき第一歩」
「俺とフィリアちゃんの――俺達とアンスーリァの、共同戦線の記念日だ」
カンビレッジ南部の砦、その中の一室。
出来上がったばかりの広い会議室で、ジャンセンさんはそう言った。
そして私達を席に座らせて、それからすぐにマリアノさんもやって来た。
また今日もどこか不機嫌そうにしている彼女の後ろには……
「おら、挨拶しろお前ら。相手はこのお国の君主様、女王フィリア=ネイ陛下だぞ。間違ってもナンパなんてしようと思うなよ」
「おはようございます、マリアノさん。それと、初めまして、皆様。フィリア=ネイ=アンスーリァと申します」
よろしくお願いします。と、私は立ち上がって、マリアノさんと、そのすぐ後ろから現れた他の団員と思しき男達に頭を下げた。
なるほど、先日ジャンセンさんに伺っていた通りだ。
誰もまだ青年といった風体で、ジャンセンさんよりも――それに、私よりも歳下に見える。
そんな若い衆は皆どこか緊張した様子で、少しこわばった顔のまま私に頭を下げてくれた。
私が王だから……という緊張。そして、客だからという歓迎の礼。
しかし、誰にも浮かれた様子――浮き足立った様子は無い。
既に知らされていて、その上でしっかりと覚悟が固まっている。そんな背景が伝わって来た。
「姉さんはこっち座って。おい、ピート。こっち座れ。他、お前らは立ってろ。女王陛下と同じ席に座れると思うなよ」
ジャンセンさんの指示を受けて、誰もがてきぱきと動き始めた。
アレを持ってこい。ソレをこっちに広げろ。コレはなんだ、ちゃんと片付けろ、と。
「さて、お待たせしました、フィリア陛下。堅っ苦しい挨拶をわざわざ全員にしてやる必要はありません」
「早速ですが、本題……今日これからすることと、これからの方針をきちんと話し合いましょうか」
「はい。よろしくお願いいたします」
今日これからすること……か。
手紙には何も書かれていなかった。
これからの方針を決める……というのも、当然今日することの一部だろう。
しかし、それとは別にしたということは、急ぎで終わらせなければならない問題があるのか。
「えー、お恥ずかしい話ながら、うちは陛下が思ってらっしゃるほど大きくて立派な組織じゃあありません」
「魔獣を抑えていられるのは、そこなる姉さん、マリアノの手腕……もとい、彼女ひとりの特級な戦闘能力によるもの」
「彼女の指導によって踏みとどまるだけの戦力こそ整ってますが、残念ながら魔獣を蹴散らすのはほんの一部の特殊部隊のみ」
「まず、そこんとこを念頭に置いて貰って……」
今日手を付け、そして最初に完遂すべき目標。
それは、このカンビレッジから南にある全ての砦の機能を完全なものにすること。
ジャンセンさんはそう言って、そしてピートと呼ばれた男に地図をテーブルの上に広げさせた。
そこには既にいくつか印が打たれていて、それらが現在彼らの使用している砦跡――拠点であるとも説明された。
「魔獣なんてのは野生の生きもんですんで、殺しても殺してもキリなんて無い」
「魔王が討たれた……と、そう聞いた時にはちっとは期待もしたもんですが、その勢い、生息数に陰りなど見える気配も無し。なんだったら増えてる地区さえある始末」
「なんで、うちの戦力だけじゃ、それを相手に安全圏を増やすなんてやり方は出来なかった」
「もちろん、お国の力を借りてもそれは無理でしょう」
国の力だけを借りたのならば。と、ジャンセンさんはそう言って、そして冷たいとすら感じるくらい真面目な視線をユーゴに送った。
いつも彼を毛嫌いするユーゴも、この場では睨み返したりなどしない。
何を言われているのかなんて、当たり前に理解している。
「――そこの少年、ユーゴの力については、マリアノからしっかり報告を貰ってる」
「まさか、姉さんをも押さえ付けるだけの力があるなんてね」
「そんでそれは、対人でのみ発揮される力じゃない。この認識で間違ってないよな?」
ユーゴはその言葉に小さく頷いて、そしてちらりと私の方を見た。
知らない場所だから、知らない人ばかりだから不安だ……と、そうではないだろう。
どの程度まで打ち明ける、どの程度までこちらの手の内を晒す。
そういう線引きを私に求めているのだろう。
「はい。彼の……ユーゴの力は、魔獣を相手にする時が最も強く発揮されます」
「彼の性格的な部分もあるのでしょうが、危険で凶暴な相手を前にこそ、何度も進化を繰り返してきました」
「その力があるからこそ、女王陛下はこの国の完全統一……元あった形への回帰に踏み切った、と」
「魔獣を蹴散らして、俺達を蹴散らして、全部を取り返す。そういう道へと踏み出したわけだ」
それは違う。と、声を上げたのはユーゴだった。
私が否定するよりも前に、いつもよりちょっとだけ大きな声で。
きっとジャンセンさんの意図を――表面上の揺さぶりを看破したわけでもないだろう。
珍しく咄嗟な行動を取ったみたいだった。
「……魔獣は全部倒す、そこは間違ってない。でも、フィリアはお前らを倒すとは言ってない」
「バカだから、協力して貰うとかそんな呑気なことばっか言ってる。そこは間違えんな」
「……なるほど、ね。やっぱいいな、お前」
「持ってる力の割にはタフじゃないけど、だからって見た目ほどガキじゃない」
「今の件はしっかり謝罪するよ。雑な駆け引きだった。心無い言葉をかけて申し訳無い」
ジャンセンさんは立ち上がって、そしてユーゴに向かって頭を下げる。
やはり、揺さぶりを掛けに来ていたのだな。
その標的は……或いはユーゴだったのかもしれない。
どこか満足気な姿を見るに、少しだけそう思ってしまう。
「ごほん。話が逸れました」
「そんなユーゴの力があるからこそ、まず真っ先にやっておきたいことがある」
「マリアノの姉さんひとりじゃ無理だった、流石にリスクがデカ過ぎたから避けてた問題」
陛下は既にその一端に接触してらっしゃいましたね。と、ジャンセンさんは地図をゆっくりと北に向かってなぞり始める。
マリアノさんひとりでは不可能だった、非常に危険な問題。
それに、私達が既に知っているもの。それは……
「……ヨロク北方の林、その奥に潜む何か」
「あの場所に魔獣が住み着いていない原因となっている謎の脅威、ですね」
「そう。んでもって、そういう場所は何もあそこだけにあるわけじゃない」
「そうだね、これは非常に残念で、同時に泣きたくなるくらい厳しい話だ」
「現在確認出来てるだけでも三か所。そのうちのひとつが、ここカンビレッジからほど近い場所にある」
「もしかしなくても、一回見に行ったりしてるんじゃないかな?」
っ!
そうだ。かつてこちらに視察に来た折に、街の東側へと調査に出かけたことがあった。
その時には、魔獣の一頭すらも生息を許さないほどの制圧力が盗賊団にあるものだと考えたが……
「……そうか、そうだったのですね」
「ここもあの林と同じように、また別なる脅威によって魔獣が住み着かなくなって……」
「今日すべきことは、まずそれの確認。って言うか、本当ならもっともっと早くにやりたかったんだよね」
「でも、やれなかった。どんだけのもんが出てくるか分からなかったから」
「姉さんを失えば、俺達はもう引きこもって耐えるしかないからね」
代わりにもっと強いのが手に入ったなら、それを使って試さない理由は無い。
ジャンセンさんはどこか嫌味な言い方でそんな言葉を口にする。
どうも先ほどから、こちらを挑発するような意図の発言が目立つ。
これは……大勢の前で、私達の本性を詳らかにしようという腹だろうか。
良く言えば、全員に私達がどんな人物かを知って貰おうとしている。
悪く言えば、ボロを出さないかと試している、とか。
しかし、今はそれをどうこう言っても意味は無い。それよりも……
「おっしゃる通りです。その問題については一刻も早く調査すべきでしょう」
「もしも、もっと強力な魔獣が生息しているのだとすれば」
「それが繁殖を繰り返して、或いは魔王と呼ばれたものに近しいまでの脅威が誕生してしまったならば」
「その時には、現状の国力ではとても太刀打ち出来なくなってしまうでしょう」
それに、北ではまた別の戦力との競り合いがある。
それとの関係性についてもしっかり調査しておかないと、これからの活動の全てに支障が出かねない。
私の考えは、どうやらジャンセンさんの中にあるものと似通っているらしくて、彼も小さく――だが、しっかりと頷いていた。
「女王陛下が現状を把握していただけているようで何より」
「魔獣の問題については、場合によっては手遅れってシーンもしっかり想定しておくべきだ」
「単純に強過ぎる個体が発生してしまった、とか。或いは、とてもじゃないけど対処し切れない数にまで膨れ上がってしまった、とか」
「相手は生き物――それも、理性とか利益とかで動くもんじゃない」
「生きて、広がって、増えて、全部食う。そういう本能だけでとりあえず暴れる厄介者。その進化には際限が無い」
理性が無いが故に、成長にも歯止めが利かない。
彼の言葉は悲劇的だが真実だった。
これ以上はリスクがある。これ以上は無駄になる。
これ以上は、これ以上は。と、理性は暴挙を食い止めてくれる。
しかし、魔獣にはそれが無い。
きっと、全てが無くなるまで食らい尽くして、その暁には自らも絶え果てるだろう。
そういう思考が、ブレーキが無い。
「んなわけで、だ。お前ら、準備しろ。今、この時から作戦を開始する」
「本当は陛下をそんなとこに連れてくわけにはいかないんだろうけど、ユーゴから引き離す方が危ないって怪しまれるもんね」
「今この砦にいる全勢力引っ提げて遠征に出る。そこにふたりも同行して貰いたい」
「はい。ユーゴ、お願い出来ますね」
やっと出番か。と、ユーゴは大きく伸びをして、他の誰よりも先に席を立った。
さあ、行くならさっさと行こう。ぎらぎらと輝く瞳にはそんな気持ちが映っていた。
「姉さん、頼んだよ」
「ユーゴがどんなもんか、俺は直接目にしてないからさ。姉さんから見て無理そうだったら、さっさと無理って言ってね」
「まだやることいっぱいあるから、こんなとこで使い潰すわけにはいかないかんね」
「分かってる、余計な心配はするな」
「あのガキの力は本物だ。まだ場慣れしてない、精神も未熟なままだが、危険を見極める力は間違いない」
「無理そうなら、オレよりアイツが先に逃げるだろうよ」
マリアノさんはいつもより少しだけ穏やかな口調で、しかし険しい顔でそう言ってジャンセンさんの背中を蹴っ飛ばした。
テメエも支度しろ! と、怒鳴り声が聞こえたのはそのすぐ後。
口より先に手が出るのは本当に悪い癖だかんね! と、反論が聞こえたのもその更にすぐ後だった。
私達は砦を出て、そして馬車に乗って移動を開始した。
国軍の保有しているものよりも小さく古いものだったが、しかしきちんと手入れされているのが分かった。
車輪は滑らかに回り、馬も良く調教されている様子だ。
これから第一歩が踏み出される。
まず、魔獣の不在の謎を解き明かす。
それが終われば、ヨロクを含めてもう二か所あるという、同じような場所への対処を話し合うのだろう。
この一歩目如何では、これからの予定の全てが破綻してしまう。
私が気負ったところで何もならないかもしれないが、しかし今までに無いくらい気合を入れて、小さく拳を握り込んだ。




